シリーズ
ここまでの記事で、心を深く分析して、心の改善に利用することを書いてきました。
私はやりすぎて、少し心が疲弊しかけました。
※関連記事:「変えようとする」まえに観察するだけでいい
もしかしたら、以下のような疑問を持つ人がいるかもしれません。
「生成AIって、心のことに使って大丈夫なんですか?」
たしかに、
文章を書いてくれる。
整理してくれる。
ときに、核心を突いた言葉を返してくる。
でも、使い方を間違えると、
AIを“分かってくれる存在”や“導いてくれる存在”にしてしまいそうになる。
ここには、少しだけ注意が必要になりそうです。
AIは「心を良くする存在」ではない
このブログで扱っている生成AIは、
心を治す存在でも、改善する存在でもありません。
心を治す存在でも、改善する存在でもありません。
AIができるのは、たとえばこんなことです。
• 書かれた文章を、構造として整理する
• 言葉と言葉のつながりを、見える形にする
• 思考を「事実」ではなく「文章」として言い換える
つまり、
心そのものを扱っているわけではない。
• 書かれた文章を、構造として整理する
• 言葉と言葉のつながりを、見える形にする
• 思考を「事実」ではなく「文章」として言い換える
つまり、
心そのものを扱っているわけではない。
扱っているのは、
言葉になった体験、
書き出された思考、
その表面だけです。
心理学の枠組みから、本人が気づいていない可能性のあることを指摘してくれることもありますが、
言葉になった体験、
書き出された思考、
その表面だけです。
心理学の枠組みから、本人が気づいていない可能性のあることを指摘してくれることもありますが、
指示をする側の言語化した内容だけで判断しています。
つまり、表現が間違っていれば、分析も間違います。
人間のカウンセラーであれば、表情や声のトーン、身振りからも情報をえて、掘り下げてくれますが、AIはそれができません。
この前提を忘れると、
AIはすぐに「答えをくれる存在」に見えてしまいます。
人間のカウンセラーであれば、表情や声のトーン、身振りからも情報をえて、掘り下げてくれますが、AIはそれができません。
この前提を忘れると、
AIはすぐに「答えをくれる存在」に見えてしまいます。
なぜ、AIが「観察」の補助になるのか
それでも私が、
生成AIにいろいろと分析させれているのは、私の人生を邪魔している心の反応に気づくためです。
生成AIにいろいろと分析させれているのは、私の人生を邪魔している心の反応に気づくためです。
そして、AIが感情に巻き込まれないからです。
- 慰めすぎない
- 否定もしない
- 正解にも寄らない
ただ、
「ここに、こういう流れがありますね」
と、淡々と返してくる。
「ここに、こういう流れがありますね」
と、淡々と返してくる。
これは、人間同士だとなかなか難しい距離感です。
AIは共感しないからこそ、
こちらが思考と一体化しているポイントを、静かに浮かび上がらせることができます。
こちらが思考と一体化しているポイントを、静かに浮かび上がらせることができます。
その意味で、
AIは「理解者」ではなく、
AIは「理解者」ではなく、
私たちの理解を分かりやすく整理し、解像度高く理解できるようにしてくれたり、
見落としの可能性を指摘してくれる存在だと感じています。
危うくなるポイント:「正しさ」を預けてしまうとき
一方で、危うくなる瞬間もあります。
それは、
- AIの言葉を「正解」だと感じ始めたとき
- 自分の感覚より、AIの整理に頼り始めた時
- 「どう思いますか?」を繰り返し始めたとき
このあたりから、
観察ではなく、依存に近い関係になりやすい。
観察ではなく、依存に近い関係になりやすい。
だから私は、
生成AIにお願いするとき、
あえて次のことを指定しています。
生成AIにお願いするとき、
あえて次のことを指定しています。
- 評価しないでください
- 結論を出さないでください
- アドバイスは不要です
AIを「考えてもらう存在」にしない。
一緒に眺める存在に留める。
一緒に眺める存在に留める。
この線引きが、とても大事だと思っています。
このブログでの、生成AIの位置づ
整理すると、
このブログにおける生成AIの役割は、だいたいこんな感じです。
このブログにおける生成AIの役割は、だいたいこんな感じです。
- 心を変えるための道具ではない
- 自分を説明してもらう存在でもない
- 悩みを解決してくれる先生でもない
その代わりに、
- 事実と思考、感情の「流れ」を見える化する
- フュージョン(思考との一体化)に気づくきっかけを作る
- 観察する自己に、戻りやすくする
あくまで、自分の心を見つめるときの補助役だと思うようにしています。
「分からないままにしておく」ために使う
いちばん大事なのは、
分からない状態に、すぐ答えを求めないことかもしれません。
生成AIは、とても上手に言語化します。
でも、言葉になった瞬間、体験は少し固定されます。
「分からない」自分へのフュージョンから、「私は○○という状態」にフュージョンしやすくなります。
「分からない」自分へのフュージョンから、「私は○○という状態」にフュージョンしやすくなります。
だから、最近の私は、
- すっきりしなくても終える
- モヤっとしたまま、ページを閉じる
- 「今日は分からない」と書いてやめる
を心がけています。
「分からない」自分へのフュージョンから距離をとる練習です。
AIは、分かるために使いすぎず、分かること分からないことを分離するために使う。
それくらいの距離感が、
心を扱うには、ちょうどいいと感じています。
心を扱うには、ちょうどいいと感じています。
まとめ:主役は、いつも人の側にある
生成AIは便利です。
ときに、驚くほど的確です。
ときに、驚くほど的確です。
でも、
気づくのも、
引っかかるのも、
怖くなるのも、
立ち止まるのも、
引っかかるのも、
怖くなるのも、
立ち止まるのも、
全部、人の側で起きています。
AIは、
人が自力で整理しやすいものを整理して、
AIは、
人が自力で整理しやすいものを整理して、
それを分かりやすく可視化してくれるもの。
そんな関係性で、生成AIを使っています。
心は、直さなくていい。
AIも、信じなくていい。
ただ、一緒に観察するのAIに手伝ってもらう。
AIも、信じなくていい。
ただ、一緒に観察するのAIに手伝ってもらう。
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