思考には欲が関係しているお話を何回かしてきましたが、欲が働くときは「自分」への意識が向いているので、これに着目する捉え方もあります。

 

自分の利益・権利のために、自分の価値観維持のために、自分が認められるために・・・

といった感じで自分と他人を分けています。

これを仏教では我執(がしゅう)といいます。

 

自分と他人を分ける意識が減ってくると、欲が減り思考が減ります。

つまり、苦しみが減り、心が軽くなり幸せを感じやすくなります。

 

いろいろなことに寛容な人が幸せそうな雰囲気を持っていることが多いと思いませんか?

寛容だということは我執が少ないということかもしれません。

 

この我執を減らす簡単な方法に「慈悲の瞑想」というものがあります。

 

 

 
我執(がしゅう)

 

我執というのは、以下のような考えのことです。

  • 自分だけは幸せでいたい
  • 自分だけは認められたい
  • 自分だけは正しくいたい

こう書くと、欲の権化のような印象を受けるかもしれませんが、多くの人が我執にとらわれています。

 

例えば、以下のように書くとよくわかると思います。

  • なんで報われないんだ
    (私は幸せでいたいのに)
  • なんでわかってくれないの!
    (私は認められたいのに)
  • あいつは、わかっていない
    (私が正しいはずなのに!)

我執が働いている時、自分と他人の違いに意識が向いています。

自分と他人の違いに意識が向かなくなった時、相対的に我執が低くなります。

 

なにごとにも寛大だったり、気前の良い人が幸せな雰囲気を持っているのは、この我執が関係するのかもしれません。

 

慈悲の瞑想

 

ウィキペディアに掲載されているものは以下をクリックすると確認できます。

 

 

要約すると、嫌いない人も含め生きとし生ける物の幸せを願う内容になっています。

 

これを唱えながら、自分の中に湧き上がる感覚をしっかり味わうと、苦しい思考が減っていきます。瞑想状態にも入りやすくなります。

他者の幸せを願うことで、我執が下がり、欲が下がり、思考が減るからです。

 

嫌いな人のために何かをしてあげようとする必要はありません。

ただ、しっかりと嫌いない人の幸せを願うだけです。

嫌いなままでもよいので、幸せを願います。

 

つまり、慈悲の瞑想は善行を勧める物ではなく、幸せを感じられる心に導くものです。結果として、善行をしたくなるかもしれませんが。

 

 

また、悟れると自分に不快なことをしてくる人に出会っても「苦しみの中にいるんだな~」と思うだけで、腹が立たなくなるといいます。

 

 

誰かを恨んだり嫌っても不愉快なだけで、何も良いことはありません。

 

慈悲の瞑想にしっかり取り組んでみると、その感覚がなんとなくわかると思います。

文章は比較的短いですし、とても手軽で効果の高い方法だと思います。


 

他者の愛で幸せを感じるとき

 

自分の子供といる時、なんとも言えない幸せを感じる人は多いと思います。

 

色々な生理現象でも説明されますが、ただただ子供の幸せを願わずにはいられないというのも原因のように思います。つまり、自動的に慈悲の瞑想状態になるのです。

 

 

慈悲の瞑想というは、意図的にこの状態に導くための仕掛けなのだと思います。

 

キリスト教でも「隣人を愛せ」「無償の愛」といいますね?

これもこの慈悲の瞑想と同様の効果を狙った、 ”仕掛け" なのかもしれません。

 

宝彩さんは、愛の4要素に心を変えていくと教えます。:

関連記事:欲の4要素、愛の4要素

 

慈悲の瞑想フルバージョン

 

慈悲の瞑想フルバージョンというのもあります。

 

これは他者の幸せを願うだけでなく、その他の苦しみにつながりやすい考えをいさめる言葉が含まれています。

少し仏教の知識がないと、わかりづらい部分があるかもしれませんし、長いですがより高い効果が期待できると思います。

 

 

 

 

 

 

 

慈悲の瞑想の音声ガイド

 

youtube で音声ガイド見つけたので紹介します。

文章で読むよりも、この音声ガイドに合わせて唱える方が、私は扱いやすいように感じます。