人と揉める時は、お互いに以下のような心の状態になっています。
- なんでわかってくれないんだ!
- あいつは間違っている
これは、「人間関係が深まらない」でも書きましたが、承認欲求が歪んだ状態です。
この商人欲求の歪みを考えてみます。
周囲の人ともめごとが多い時、以下のようなことを考えていると思いいます。
- なんで、わからないんだ!
- あいつは間違っている
- あいつのせいで、こんなことになった
このような考え方の裏には、以下のような感覚があります。
- 私は、正しくわかっているのに
- 私が、正しいのに
- 私は、ちゃんとやったのに
「なのに、なんでxxx なんだ!」とを腹を立てているわけです。
この「正しく。。。」「ちゃんと。。。」という感覚は仏教では「慢」と呼びます。簡単に言うと「思い上がり」といった意味です。
これらは、承認欲求の渇望が関係します。
つまり、相手から「そうだ、君の言う通りだね」と言ってほしいのです。
そして、相手にそう言ってほしくて、相手の考えを変えいようと躍起になりますが、多くの場合上手くいきません。
これが、もめ事が起きている時の構造です。
承認欲求の渇望というのは、過度に「自分を認めて欲しい」と感じることです。
「過度」というのは、その状況に不適切だということです。
「お前は、間違っている」と言っても、相手には伝わりません。
お互いに、俺の考えに納得させて、「君の言う通りだ」と躍起になっているので、お互いに腹を立て状況が悪くなるばかりのことの方が多いと思います。
つまり、意味がない無駄な行為となります。
では、建設な行為は同意ものかというと、以下が考えられrます。
- 何が間違っていると感じるか、具体的に説明する
- 何を受け入れられないかを説明する
- 建設的な会話ができなければ、なるべく早くその場を立ち去る
これがしづらいのは、承認欲求の渇望からくる不安が関係します。
- 自分の考えを認めてもらえない
- 自分の都合を尊重してもらえない
- 相手から理解してもらうチャンスが無くなる
などの不安です。
人と揉めると怒りを感じます。
怒りというのは脅威や不安から来るものです。
つまり、承認欲求を損なう不安が怒りを生んでいるのです。
そして、怒りは冷静さを失い非建設的な互いの行為に気付きづらくなるのです。
承認欲求がなければ、認められない不安は感じません。不安を感じないので怒りも感じません。
つまり、過度な承認欲求がなければ、建設的な行動がしやすくなるのです。
と、言ってもピンとかない人が多いかもしれません。
- あいつが、わかってくれなきゃこまるでしょ?
- あいつが間違っていることに変わりない!
- 関係は維持しなきゃいけないでしょ?
と考えるからです。
これらの考えは、事実ではありません。
錯覚です。
相手のある行動から、不快な感覚が生まれ、その感覚の理由を言葉に変えているだけです。
不快な感覚が生まれるのもクセ、その理由として上のような考えが浮かぶのもクセです。
あまりにも瞬間的に自動で起こるので、「間違いない!」と感じてしまうだけです。
そして、感情的になり冷静さを失うので、より気づけなくなるのです。
相手にたいする怒りや批判な考えですから、その考えを反芻したり拘ったりしてはいけません。
まずは、考えから感情や感じている感覚に意識を向けます。
怒りや不安、悲しみを感じている自分を認めてあげます。
「考え」を認めるのではありません。
不快を感じている自分や現状を認め、受け入れる感覚です。
客観的に観察できるようになると、感情が収まり冷静さが戻ってきます。
次に、自分が相手から過度に(不必要に)認められようとしている感覚や、認められない不安を感じていないかチェックしましょう。
その感覚にきづいたら、その感覚もしっかり観察して消去していきましょう。
これだけで、もめ事は減っていきます。
慣れてきたら、本来の建設的な行動を考えてみましょう。
そうすると新たな不安を感じることがあるので、そうしたらその感情も消去しましょう。
