「甘えられない」から続く記事で、「ダメな自分を受け入れられない」に関する記事を書いてきました。
今日は、「謝れない」と「遠慮しすぎ」について考えてみます。
アダルトチルドレンの人は、「遠慮しすぎ」の人もいますが、逆に「謝れない」人もいます。
どちらも、「ダメな自分を認められない、受け入れられない、向き合いない」が関係します。
謝るためには、自分の言動を振り返り、周囲への影響を認識し、自分の言動の否を認める必要があります。
つまり、「ダメな自分と向き合い、受け入れる」 ができないと、謝ることができません。
「謝らない」人はプライドが高く自信家に見える場合もありますが、脆弱な自己肯定感を守るための仮面であることが多く、「ダメな自分を受け入れられない」からくるものが多いと思います。
つまり、本人も自覚していないかもしれませんが、「謝らい」というより「謝れない」のです。
「謝ってしまったら、ダメな自分を受けれなければならない」「ダメな自分を受け入れたら、何が起きるかわからない」と恐れているのです。
これらは、過去に自分のダメな部分を徹底的に攻撃されて苦しんだり、自分の言動のために大変の経験をした経験が関係していることが多いのです。
「謝らない」は多くの場合は、その人にとってのダメージはすぐにはありません。しかし、適切に謝れない人は人間関係を悪くいて対越な人を失ったり、自分の言動の問題に気づかず人としての成長もありません。
遠慮しすぎで誰かに何かを依頼できなかったり、目標や希望をた制することを求めようとしない人がいます。
誰かにお願いいたいことがあったり、興味のある目標があるのに、それをしようとしない人です。
これは、「甘えられない」で書いた心理構造や経験とよく似た構造があります。
遠慮いすぎや求めないのは、「ダメな自分と向き合う」ことが起きないように、自分の欲求を抑圧しようといているのです。
例えば、
- 好きな子に振られたくないから、告白しない
- 理解できないと嫌だから、勉強しない
と言ったことです。
この「遠慮する」「求めない」は、リスクを避けることができるので、心理的な負担が少なくて済みますから、短期的なメリットがあります。しかい、長期的なはチャンスをものにすることがきず、生きづらさを感じるようになります。
「謝らない」は「甘えられない」から続き記事で書いた経験も関係している場合がほとんどだと思います。
「遠慮しすぎ」「求めない」も、それが関係しますが、ここではそのほかの辛いか過去の可能性を考えてみましょう。
それは、「誰が悪いわけでもなく、運が悪かった」といった類の経験です。
- フラられた
- 死別した
- 何かに負けた。
- 何か不合格だった
- 努力が報われなかった
そういった思い出があれば、それを振りかえり、合わせて感じられるネガティブな感覚に向き合って、しっかり感じて、感覚が柔らかく弱まるまで観察してみましょう。
ネガティブンな感覚が弱くなったら、もう一度同じ挑戦をすることをイメージしてみます。
それと共に感じられるネガティブな感覚に向き合って、しっかり感じて、感覚が柔らかく弱まるまで観察してみましょう。
これを繰り返すと心が自由になり、「やりたいことやる」が自然にできるようになっていきます。
変な遠慮をせずお願いしたいときはお願いし、断られても大きなダメージを受けない心になっていきます。
