私たちが、影響をうけるやすい貪(欲求)に承認欲求があります。
人生の問題のほとんどに関わってくると言えるぐらい多く影響をうけているようです。
承認欲求というのは字のごとく「認めてほしい」という欲求です。
その「認めてほしい」という欲求は、以下のような形で感じることが多いと思います。
- わかって欲しい
- ホメてほしい
- 受け入れてほしい
- カッコいいところをみせたい
- ダメなところを見せたくない
直接は、「認めてほしい」という感覚がなくても、承認欲求が働いている場合があります。
例えば「失敗したくない」という感じるときを考えてみましょう。
色々なケースがあるかもしれませんが、一番多いのは「ダメなところを見せたくない」という感覚が関係していると思います。
その他にも「昇進したい」とか「お金持ちになりたい」というのも、「カッコいいところを見せたい」という欲求が関係していることが多いと思います。
これも承認欲求です。
誰かに認められたいという欲求があるために、他の欲求を我慢します。
葛藤の一つのパターンとして、ある人に認められるために、他の人からは嫌われるようなケースでは身動きが取れなくなります。
「よき父でありたい」「よき恋人でありたい」「良き大人でありたい」といった思いも承認欲求にるものです。
こういった欲求が強すぎると、他の欲求を我慢させることが起きます。
また、これが少し変形した形では
- 常識的ありたい
- 世間体が悪い
というのがあります。
このような感覚は不特定の人に対する承認欲求と言えます。
この欲求が「~べき」という考えにつながることが多くあります。
人との揉めごとの多くは、「わかってもらえない」という考えが関係しています。
「わかってもらえない」というのは、承認欲求からくるもので、その背景には以下のような考えがあります。
- 私の考えを理解してほしい
- 私の努力を理解し欲しい
- 私の気持ちを理解してほしい
これらも承認欲求によるものです。
これが攻撃的になると、以下のような形にかわっていきます。
- あいつは、わかっていない!
- 私の方が正しい!
- 俺が教えてやる!
これらも、承認欲求による「認めてほしい」「わかって欲しい」と怒りが交わったものです。
「わかってねぇな、俺の言うとりにすればいいのに」といった感覚も、承認欲求が関係しています。
承認欲求というのは、本来は他者から承認を求めるものですが、この感覚は自分で自分を認めることでその欲求を満たすようになったものです。
仏教では「慢」と言います。
この状態になってしまうと、他者からの承認が関係なるので、他者の考えや気持ちに関心が鈍くなります。
周囲からは、「やっかいな人」となってしまいます。
