欧米に禅を広めた二人の鈴木。
一人は、多くの方が知る鈴木大拙。
そして、もう一人は鈴木俊隆。
彼の本を読んでいて、私なりに気づいたことがありました。
先日のブログに書いたニュートラルの解釈は、禅でいうところの「無」ではなく「空」
なのではないかということです。
人は、起こってくる物事に対して、勝手に意味づけをして、
あるがまま、今ここを感じる事ができない事が多々あります。
それは、ニュートラルではないから、言い換えると「空」になれていないから。
そして、「無」は、形もなく色もないけど、絶対的にある見えない存在。
心が空になり、無を感じる事ができる修行が禅ではないかと。
例えそれが禅の考え方でなかったとしても、今の私には、とても大事な事。
特定の解釈にとらわれず、縛られず、自分流に本質を見極めながら
悠々と生きていきたいなと思います。