What comes to us speak of Illness
I was suffering from schizophrenia at the age of 15.
I had to experience auditory hallucinations. I was so confused. I closed the heart. I can no longer speak. And my parents took me to the hospital.
However, do not know the meaning of my own needs and experience, could not talk with a doctor, first in the hospital, I did not lead to the continuation of medical care.
Based on that experience, I hope to educate mental health of junior high school is as follows.
I believe that the only knowledge of mental illness, they would not be able to take advantage of.
Hope the class to think together, what it means to come speak of illness.
Because thinking is not limited to mental illness, the struggle of life that old disease Well, there may be a sense of as a gift. By what they know the meaning of life to speak of the struggle, and there is a significance to learning and wisdom that can be utilized in their lives, I think it is.
I'd like to be able to take advantage of knowledge as a common experience in my experience, and I would like to think with you.
katsuko.
(対訳)
病いの語りかけてくるもの
私は15歳で統合失調症に罹りました。
私は幻聴を体験し、とても混乱して心を閉ざしました。言葉を発することも無くなった程です。心配した両親は私を病院へ連れて行きました。
しかし、最初の精神科では、私は医療の必要性や体験の意味が分からず、医者とも会話が出来ず、医療の継続に至りませんでした。
私の経験を踏まえ、中学校のメンタルヘルス教育に望むことは、以下のようなことです。
私は、精神疾患の知識だけでは活用に至らないと考えています。
病いの語りかけて来ることの意味を、共に考える授業を望みます。
精神疾患に限らず、病いや老いという人生の苦労には、賜物としての意味があると考えるからです。人生の苦労の語りかける意味を知ることによって、それは人生の中で活用出来る知恵となり学びに意義が生まれます。
私の体験を共通の経験知として活用出来ることを願って、是非皆さんと一緒に考えてみたいと思います。
Katsuko.
※ Puberty is a predilection age of schizophrenia. That's why, students What if out struggling friends? They think do not you out the struggle that gibberish? Such talk is, I think that it is important base for when if this happens. Not only lessons of health and physical education, but it is nice there is also struggling with the stance deeply talk classes that deal. Surely, struggling minority will frequently in adolescence. Sexual diversity, diversity of tastes. Also, struggling child that there is eaten not school lunch menu is felt also in mental pressure. At that time, why it is struggling and suffering or chose their own? Teaching to think is a chance to get to to learn the important skill to fulfill a life. Never, please do not kicked out of himself in the name of "early detection and early consultation" from the community.
※ 蔵出しネタを出してきました。英語同時通訳付きだったので、ほぼ、この原稿通りの発表でした。思春期は統合失調の好発年齢です。だからこそ、友達が苦労しだしたらどうする? 自分が訳のわからない苦労をしだしたらどう考える? そんな語り合いが、もしそうなったときのための大切なベースだと思います。保健体育の授業だけではなく、苦労と付き合うスタンスを深く語り合う授業もあっていいですよね。きっと、マイノリティの苦労は思春期は多発します。性の多様性、嗜好の多様性。はたまた、食べられない給食メニューがある子の苦労は精神的重圧にもなると感じます。そんなとき、苦労や苦悩はなぜ自分たちを選んだか? と考える授業は、人生をまっとうするための大切なskillを学ばせてもらえるチャンスです。決して、「早期発見・早期受診」の名のもとに本人をコミュニティから追い出さないでください。切なる願いでしたので、講演記録でしたが、再掲いたします。
自己対処を頑張ってるのに行き詰まりを感じたらチャンスなのです。
自己対処には三分類があると考えます。
気分転換としての自己対処
(超ポピュラーな概念です)
むしろどっぷり浸かる自己対処
対処しないと言う自己対処
【自己対処への誤解】
ポジティブシンキングと同様に行動様式を改変するのが自己対処と考えられがちで、気分転換が主な内容になりがちです。
それも効果はあります。身に付けば尚更。
しかし、気分転換は一時的。また苦労は順調にやって来ます。いたちごっこに疲弊する場合もあるでしょう。
そのとき、自己対処は意味無いとみかぎるのは早すぎ。
自己対処にはまだ種類があります。
むしろどっぷり浸かる自己対処は、きたやまおさむ先生が、NHKラジオで、説明していましたが、悲しい気分に包まれているとき、積極的に悲しい曲を聴くと気分の回復が早い、と言う。「悲しくてやりきれない」(フォーク・クルセダーズ)等良いですね。
また、対処に追われて多忙になったら、むしろなつひさおの疲れを呼ぶのではないでしょうか。健康オタクにありがちな落ちし穴。あえて、対処をしない(休養)も、やっぱり対処です。空いた時間を自己対処の満足度(パーセンテージを使うのが見える化して良い)の整理に使っても良し。
この三分類は、身体の欲する方法に耳を傾けたら自ずと見分けられるでしょう。
【積極的に自己対処する方法】
音楽を聴いてリフレッシュ。
食べる。
薬の服薬。
仲間と語る。
等々、挙げたらたくさんありそうです。
効果も即効性ありますね。
ですが、目を逸らすのは、一時的。
また苦労は形を変えて順調にやって来ます。
【真逆の対処も実は役立つ】
安心して絶望出来るなら最高。
どっぷり浸かると、サウナみたいなもので、デトックスで昇華していることもあります。
悲しいときに悲しい曲を。クレイジーな気分の時は、クレイジーな曲をどっぷり聴く。その方が近道のときもあります。
【頑張らない】
対処の毎日に辛くなったら、「しない」と言う対処を。そして、その対処は頑張らないように努める。
頑張らないを頑張るのは、慣れも必要。
毎日の大量の自己対処に追われてれると、結構頑張ってしまう。頑張らないを頑張るのを始めるのは、そこがチャンスです。
しないことを決めることも自己対処。自分助けです。忘れがちですね。
【自分憲法。新旧改定。】
自己対処の更新と言う研究になったときのことです。
仲間は、古い自分憲法は自分を呪縛したけど、ギリギリ死から守ってくれていた‼と。
新憲法と平行して大切にします!と、宣言。私は、目から鱗です。感動しました。
(安部総理もこのくらいに日本国憲法に敬意を示して欲しいなー?)
自己対処は、決して無理強いのポジティブシンキングではありません。
この三分類を意識して、バランス配分を身体に聞き耳をたてながら決めていっても遅くないのではないでしょうか?
【当事者研究アレルギー】
当事者研究アレルギーを発症して、もうやりたくない‼と言う向きもあるでしょう。
その一部には、自己対処がガンバルンバで重たい、と言う理由もありそうです。
三分類に分けて、自己対処をワイワイガヤガヤと出しあってみるのも、まあ、ひとつの実験と思ってはどうでしょうか。
【自己対処の到達点】
自己対処は押し付けられる特訓ではありません。その理解を場の中で共有するためにも、三分類に分けてみるのも一興。要はbalance。より自分の賄いが身に付くように祈ります。
「 管理社会に刃向かうために自己管理。己の奴隷となれ。」と、坂口恭平さんもツイートしていました。それって、早坂潔どんが言う、「自分の賄いだけしてきた人生だ。」っていうところと似てるようです。
どちらも、自分本人との付き合いが自分でわかってるよねえ。それは長年続く自己対処の到達点。
行き詰まりを感じたら、是非、長続きする自己対処のコツを探ってつかんでください。
私も、まだまだ、怯えつつ一歩ずつコツを探っています。
病気があったって、苦労があったって、それでも順調なのです。申し訳ありませんが、順調なのですよねえ。苦労の中で、自分の賄いをしてあげられる、自分自身の主人公は、全員です。自己対処の本当の意味は、自分の主人公であることを確認する誇り高い行いだと、私は、考えます。
katsuko.
当事者研究においては、苦労のプロフィール、と称して自らの症状や苦痛をさらっと紹介します。
これは、当事者研究を人前で紹介発表するときには、話の前段的な、基礎の部分です。
苦労のメカニズムや対処法実践の発表の前に、そもそも私はどんな人か、という自己紹介をしておくわけです。そうすると、当事者研究の実践発表は分かり易く伝わります。
ですが、この苦労のプロフィールをまとめるのが、意外と大変です。
ウエットな気分になりながら恨みつらみの固まりを書き連ねて終わらなくなったりもします。自分のこころを覗くという行為は、そういう危険性も秘めています。本来、当事者研究は、さらっと深く行うものなので、生育暦やトラウマを深く聞き出そうとしたりはしません。現在の「いま、ここ」を着地点として重んじます。ですので、当事者研究では、苦労のプロフィール、という前段の部分から、それまでの苦労の当事者である本人の在り方と一線を画します。
当事者研究を始めるとき、そのような落とし穴に落ちて、苦労のプロフィールのまとめでつまづいている方もいらっしゃるのではないでしょうか。
トラウマを掘り下げなくていいんですよ。しかも、独りでやってるでしょう。
そのやり方、ちょっと休憩して、別の方法を試してみませんか。
苦労のプロフィールをまとめるときのアイデアをいくつか、ご紹介します。
★苦労のピラミッド
苦労をピラミッドの三角形に例えるなら、てっぺんが病気の苦労(苦痛)、真ん中が人間関係の苦労(苦労)、土台が人生のテーマ(苦悩)、といえます。この三種類にあてはめて、一言でまとめて紙に書いてみると分かり易くなるかもしれません。
★苦労のマトリックス
四つに別けて線を引いた紙を用意してみてください。つまり、紙全体を十文字で区切るのです。
四つの枠が出来ていますね。
それぞれの枠に、「自動思考・イメージ」「身体の反応」「気分・感情」「これまでの助け方」を割り振って、苦労に対するときの自分を書き込んで見てみましょう。それぞれの枠同士の相関が見えてくるような気がしませんでしょうか。
★苦労の対処法対比図
少しで結構ですが、自分が使える資源やスキル(技)を考えて箇条書きする時間を取って見てください。
それを眺めながら、今度は対比図を作って行きましょう。
「これまでの対処」「新しい対処」の二つを並べてみましょう。
これまでの対処の中には、症状だと思っていたものややっかいな自分のこだわり行動だったりが入っているかもしれません。それらは、苦痛を軽くしようと藁をもつかむ思いでつかんでいた対処だったのでしょう。
使える資源(周りでサポートしてくれる人々を含みます)を活用すると、どんな新しい対処が作れるでしょうか。対比させると、作りやすいかもしれません。ここまで進めていくと、対処法の実践も目前ですね。苦労のプロフィールがまとまったと思います。
ただ、これまでの対処法に対しても、これまでのあなたを助けてくれていたギリギリの方法だったのです。感謝の気持ちを忘れずに、そっと離れて行くことを告げてあげてくださいね。
苦労をまとめるということは、今まで生きてくれていた自分を褒める第一歩だと思います。それって、意外とおろそかだったりするでしょう。この機会に、是非とも取り組んで見てくだされば幸いです。
Katsuko.