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SELF SUPPORT STUDY

Hello,everybody!
There are my self support study’s notes.
I rescue myself.I support my fellow.

 なつひさお(なやみ/つかれ/ひま/さみしさ/おなかへった・お金がない)。

 なつひさおという頭文字をつなげた人名のような呪文のような言葉があります。浦河べてるの家の当事者研究から生まれた、調子を崩すきっかけの頭文字です。
 私は、「調子が悪い」と訴えがある場合、このきっかけを当てはめてリサーチします。「朝ご飯食べた?」と訊くと、とても高確率で昨日から食べていなかったりします。食事の用意が億劫、という所からはじまって空腹から悲壮感が入り込んで来て、朝から調子が悪いという悪循環が多いのです。それがリサーチ出来たら、私は「自分の身体のために、ご飯食べさせてあげて」と声かけします。ご飯を食べたら思いのほか元気が戻って来るようです。
 ひまやさみしさ、ということも多いような気がします。そういうときは、一緒に今日出来る余暇活動を考えます。音楽を聴くという対処が元気の素になる方は多いです。
 べてるの家の当事者研究では、なつひさおというきっかけ集に対して対処法集となる、たなかやすお(たべる/なかまに相談/やすむ/お金をおろす)(注:項目分けには諸説あり)という言葉もあります。どこかの政治家の名前のようですが、お腹が減っていたら食べる、などシンプル・イズ・ベストながら効果てきめんな対処法集です。
 調子が悪いという訴えがあった時点で、なかまに相談、という対処が本人には出来ているのですから、訴えがあったときにすぐ私は、相談という自己対処が出来ていることがすごいよ! と存分に褒めます。そのとき、みんなの生きる意欲をかいま見た気がして、私は心から褒めたくなって言葉に出します。
 障害当事者をやっていると、病気に鍛えられてか、自然と自己対処のスキルを身につけているものです。そのアイデアを聴かせてもらうことは私にとってもプラスです。自己対処のスキルを既に持っている人、という視点で仲間を見ることは、隠れている対処法を共に発見していくために、とても重要な基本の立ち位置です。
(katsuko)
 病気の苦労と現実の苦労はシーソーゲームになっていると思います。
 今まで病気の苦労が重かったものが、浦河に来て退院して共同住居に生活するようになって、住居の友達が胃腸炎になったとき私の部屋に来て床に吐いたりと、現実の苦労が増えて、病気の苦労とかかわっている暇がなくなって来ました。
 浦河の作業所で、私を告発しようとする勢力が出て来たりといった、病気の苦労がぶり返して来ても、現実の苦労がダイナミックで人間味にあふれているので、病気の苦労は吹き飛んでしまいます。
 現実の苦労と病気の苦労の違いは、現実の苦労は一人では出来ないけど、病気の苦労は一人で出来てしまうことです。
 「砂時計の理論」というものを考えました。
 砂時計は、私の心×時間軸=人生、です。
 砂時計の上の方が病気の苦労で、下が現実の苦労です。砂時計が詰まっていなければ現実の苦労が増えて行きます。病気の苦労が減って、ついにからっぽになると、からっぽを感じてさびしくむなしくなります。
 そして、色々な要素(現実の苦労が重い・不眠・食欲不振など)があり、砂時計をひっくり返してしまいます。これが再発です。
 時々ひっくり返したくなっても、すぐにまた戻せるように体調管理が出来たら良いです。
 この砂時計の中の苦労(砂)の総量は変わらない、ということも大事な点です。これが「苦労の質量不変の法則」です。病気の苦労が減っても、増えるのは現実の苦労で、苦労であることに変わりがないのです。ですが、現実の苦労は、対処の仕方も豊富ですし、持っていて誉れ高いのです。
(katsuko)
当事者研究では「自己対処」という課題解消スキルを活用します。
問題だと思っていた苦しみを「課題」へと意味付けを代えます。
そして課題解消スキルとしての「自己対処」の技をアイデアとして出し合います。
「なつひさお」「たなかやすお」であったり(食べるという対処が意外と症状の苦労によく効きます)、サトラレサイン(人に知られてしまうという症状の苦労は人にサインを出して知らせると何故か安心感を生みます)であったり、はたまた、幻聴さんを確認する為にICレコーダーで録音して聞き返してみたり、といった実験精神の宝庫が自己対処です。

では、何でも自分次第ということでしょうか?
そう決めつける為のものではない、ということを今回は書きたいと思います。

そうです、問題の原因を個人内部に帰着させているわけではありません。
そして、せっかく「課題」として立ちのぼった課題自体の社会的問題に対する意識は忘れてはいけないのです。

自己対処というスキルを大いに活用する意図は、自己の自己へのコントロール力を再認識するためです。自分が自分のことを守れるという宣言である、主権回復の意義があるのです。
当事者が自分の主人公として主権回復を宣言していくことは、古い精神医療を行う支援者には脅威であるかもしれませんが、エンパワメントやセルフヘルプやリカバリーといった用語を生み出して来た当事者活動の歴史の上では自然と理解できると思います。

また当事者研究では、自己対処と同じように「課題」自体もまた尊重されるものであるのです。課題を独り占めしないというわきまえがその尊重です。
課題を、自分自身で仲間と共に、囲むことは、とても社会的な活動なのです。
自分自身だけのものにしないで、周りに発信することで、課題が社会化します。
そのグループ内での社会化は、自己対処スキルと共に伝播することによって、更に広い範囲で課題の社会化になっていくのです。

これらの日々の行いは、病者の体験を共有財産としての経験と立ちのぼらせるだけではなく、病者の文化を作り上げてゆく連綿と続く営みであると思います。
当事者研究は当事者のみの行いではないという意識を常に感じさせてくれる場面が、課題を出すときや自己対処を募集するとき、と私は感じます。
当事者研究は、既存の社会へ向けた野望に近いような、変革の意義を「課題」と「自己対処」に込めていると、私は考えています。
(katsuko.)