病気の苦労と現実の苦労はシーソーゲームになっていると思います。
今まで病気の苦労が重かったものが、浦河に来て退院して共同住居に生活するようになって、住居の友達が胃腸炎になったとき私の部屋に来て床に吐いたりと、現実の苦労が増えて、病気の苦労とかかわっている暇がなくなって来ました。
浦河の作業所で、私を告発しようとする勢力が出て来たりといった、病気の苦労がぶり返して来ても、現実の苦労がダイナミックで人間味にあふれているので、病気の苦労は吹き飛んでしまいます。
現実の苦労と病気の苦労の違いは、現実の苦労は一人では出来ないけど、病気の苦労は一人で出来てしまうことです。
「砂時計の理論」というものを考えました。
砂時計は、私の心×時間軸=人生、です。
砂時計の上の方が病気の苦労で、下が現実の苦労です。砂時計が詰まっていなければ現実の苦労が増えて行きます。病気の苦労が減って、ついにからっぽになると、からっぽを感じてさびしくむなしくなります。
そして、色々な要素(現実の苦労が重い・不眠・食欲不振など)があり、砂時計をひっくり返してしまいます。これが再発です。
時々ひっくり返したくなっても、すぐにまた戻せるように体調管理が出来たら良いです。
この砂時計の中の苦労(砂)の総量は変わらない、ということも大事な点です。これが「苦労の質量不変の法則」です。病気の苦労が減っても、増えるのは現実の苦労で、苦労であることに変わりがないのです。ですが、現実の苦労は、対処の仕方も豊富ですし、持っていて誉れ高いのです。
(katsuko)