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毎日をがんばる人へ。
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こんばんは。あかるかです。

今後のブログの更新は、自身のHPで行なっていくことにしました。

セルフラブ、自己肯定感をはぐくむことをテーマにお役に立てるように発信をしていきますので良かったらご覧ください。


新サイトでは日本一ゆるいまんがを描くコーチでもあります。笑

セルフラブコーチングは、自分自身と繋がりなおすためのセッションです。

子どもの頃は誰しもが自分自身と繋がっていますが、多くの場合大人になり社会化されるにつれてその繋がりが途絶えてしまう傾向にあります。

自分のYES/NOが曖昧だったり、何をしたいかわからないといった状態がその一例です。

 

セッションをおすすめする理由

・セルフラブ自体が日本人にあまり浸透してない感覚のため、体得するにはコーチとの対話を通して見えてくる観点をもとに実際に試して体験したほうがセルフラブを掴みやすく効果的です。

・ひとりでは気づきにくい「セルフラブを阻む価値観やパターン」を人は持っていて、それをセッションで明らかにして、価値観やパターンによる影響から自由になっていきます。

・誰もが肚をくくって自分の人生と向き合う時期が必ず1度はやって来ます。その時期を周囲との比較ではなく、自分自身と丁寧に向き合い、どうしたいのかを自分の本心から選べるようになります。

・自分が自分らしくいられていない感覚を放置し続けていると、無気力・無価値観・何をしてもやり甲斐を感じないといった状態になりがちです。セルフラブを通して内なるエンジンを回し、バイタリティに満ちてやりたいことを形にしていく人生を送ることに繋がります。

 

日々に違和感がある方、漠然とこのままでいいのかなという想いがある方はセルフラブコーチングセッションをオススメします。

 

→ 体験セッションはこちらから

セルフラブコーチングセッションMENU

 

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アカルカです。

イタリアから帰ってきてはや2週間。

なかなか目まぐるしい日々を送っていました。

マインドフルネスの研修が新たにはじまったり。

久しぶりの再会があったり。

新しいプロジェクトがはじまったり。

 

私の思考はディスカウント癖があるので

「なにもやっていない!」

とすぐに思い込もうとするのですが

書き出したり、スケジュールを見てみると

「なんだ、結構いろんなことやってるじゃん」

と思うのです。

 

さて、最近友だちになった中国人の女性に

ヒューマンデザインリーディングをしてもらいました。

これはその人の生まれながらの性質を

読み解くツールなのです。

 

以前日本人の方に診てもらったことがあったのですが

とあるワークショップで出会った彼女の人柄がとても魅力的で

ぜひこの人からも受けてみたいなと思いお願いしたいのでした。

 

そしてセッションを受けて言われた中でびっくりしたのが

「失敗から学ぶ人です。時にLOSERであることは人生の一部だと

受け入れることで成長し続けることができます」

と言われたことでした。

 

なにを隠そう私は失敗することが大嫌いです。

何をするにもめちゃめちゃ準備して、完璧な状態をつくることに

命を注いできたと言っても過言ではありません。

 

そんな私が「失敗を許容すること、そこから学ぶこと」と言われた時

反射的に出たのは「NO~~~~!!!」でした。汗

そんな私を笑い飛ばしながら、それもセルフラブよねという彼女。

おっしゃる通り。

 

セルフラブとは、どんな自分であっても受け入れ、許容すること。

結果を出しているから受け入れて

失敗しているから責めるなんてことではないのです。

結果を出しても、失敗しても、いい感じでも、イケてなくても

どんな自分もひっくるめてOKなのです。

 

それから私の失敗を許容する旅ははじまったのでした。

 

完璧であること、失敗しないこと。

意図を明確に持ち、ゴールを設定すること。

何事に対してもスマートであること。

 

そうありたい自分にとって、

失敗をするかもしれないことや

恥をかくかもしれないことをするのは

本当に抵抗感やこわさがあって。

 

失敗の可能性があることには、

やだな~~~~~~~~~~~

とうじうじして

何度もため息をついて

 

「やる」

を選択して行動してからも

結果にびくびくして。

一喜一憂して。

 

どーーーんと落ち込んでは

瞑想して立ち直って。

呼吸して立ち直って。

その繰り返しです。

 

そして失敗もしてます。

恥もかいてます。

ぐわ~~~って後でダンゴムシみたいに

丸まって悶絶することもあるけれど

べそべそしながらそこから学びも吸収しています。

 

自分の失敗を重ねるほどに

人の失敗にも寛容になってきてます。

ゆるくなったとも言うかも。

でも愛は増した気がする。

 

完璧であろうとするマシーンじゃなくて

人間になったなぁと思います。

 

とはいえ、いまだに未知のことをやるのは怖いし

嫌われたくないし、失敗したくないし、

いい子でいようとするし、完璧にやりたいし

そんな自分がにょきっと出てきますが

その自分のことも許容しつつ、

日々ハートのYESについていっています。

 

こわいけど~

 

きれいにまとめようといつも思うこのブログも

今日はこのまま終わりです。

 

LOVE

 

自分を愛し、生きたい人生を生きる

セルフラブコーチングセッションMENU

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イタリアに行ってきました!

今回はアムステルダム経由。

 

トスカーナの会場にてワークショップ参加が目的です。

 

外も中も美しい施設。

 

泳げる湖!

 

近づいてみたらハートがありました。

 

夕焼けも美しい。

 

にゃんこ。なつっこいです。

 

20時半くらいにやっと暗くなってきます。

 

パブリックアート。次の次元へのゲートなのだそう。

 
最終日が一番のお天気でした。
 
長らく所属していた組織を離れることにし
自分にスペースをあげるために
そして新たな学びを吸収するために
急遽参加を決めた今回のワークショップは
主に「呼吸」に焦点をおいて進んでいきました。
 
身体は、呼吸はすべてを知っている。
プロセスが進むにつれて日々反応が変わる身体。
より軽やかに、深さを増していく呼吸。
こんなに身体、呼吸には叡智があるのかと驚きでした。
無意識に留めておいた感情や思考、信念が浮き上がってくるのに
呼吸は本当に大きな助けになりました。
 
一番の気づきは、
私は怒っていたのか。ということでした。
割と身体は柔軟に動く方だと思っていたけれど
全然動かない部位があったのです。
それは怒りの蓄積による緊張でした。
 
怒りがあるというフィードバックをもらった時、
思いつくことが浮かんできました。
でもそれはほとんど無意識の領域の話で
自分ひとりでは気づくことがなかったものでした。
 
人にも、自分にも、感じたことを出せずに
溜め込んでいた。もはやあきらめに近い感じ。
感じるのではなく、感覚を遮断して麻痺させる感じ。
 
そこに気づいたとき、身体から物理的に
何かが抜け出たような感じがしました。
 
体験を通して手放していくことで
あんなに苦々しく思っていた体験が
次の瞬間にはなんてことのないものになったとき
心底驚きでした。
 
日本でこれを体験できるようにしたいと感じました。
感情を我慢して蓄積し、
自分へのケアがおざなりになることで
心が疲弊してしまったり、思い詰めてしまいがちな現代。
 
アンガーマネジメントも、6秒待つことで怒りを
その場では対処出来たらいいですが
蓄積されていく怒りはどう扱うのか。
本当の意味でのストレス対策、ケアは
まだこれからなように感じています。
 
解消されていない不満や怒りがあり続けることで
静かな混乱が続き適切な行動ができなくなること、
自分が我慢していることを平気でしている人を攻撃してしまうこと
などが起こりえます。
 
そこに気づきをもたらし、何より自分自身を慈しみ
日々過ごしていくためにもセルフケアは急務だと感じています。
 
ただ、私個人としては義務や使命感から自分をケアするのではなく、
喜びや愛からやっていきたいと感じています。
義務や使命感、〇〇すべきだというアイデアは新しい緊張を生み出すからです。
 
喜びや愛から生まれたエネルギーがその人を、
そしてこの世界を軽やかに満たしていくことを意図して。
 
love
アカルカ

こんにちは。アカルカです。

 

月曜日に彼岸入りしたので、夫と一緒に昨日はお墓参りに行ってきました。

天気が良くて気持ち良かった~!

お墓には私の生家である遠藤家の祖父母が眠っています。

 

祖父が亡くなったのは昨年5月。

長年の寝たきり生活を経て、静かに穏やかに永久の眠りにつきました。

 

祖父が亡くなった日、私は新人研修まっただ中で早朝に家族からの連絡で祖父の訃報を知ったのでした。

 

連続研修3日間のうち、2日目だったので帰ることはもちろんできず仕事に向かう道では、ふと気を抜くと涙が出てきそうになるのをぐっとこらえたのを覚えています。

 

両親に寄り添って、その日はちょうど夫が休みで病院や施設の往復に付き添ってくれました。

 

通常は葬儀場にそのまま向かうところをその時期は葬儀場が満床で祖父は自宅で通夜の日まで過ごすことになりました。

 

実家に帰ることを切望していた祖父の明確な意思を感じました。

おじいちゃんらしいな、と。

 

研修が終わってそのまま実家に向かい、祖父と対面しました。

まるで眠っているかのような、すこし微笑んでいるようにも感じられてようやく身体という制約をこえて祖父は自由になったんだなと感じました。

 

寂しいと今でも思うし、今このブログを書きながら涙も出てきます。

それでも、やっぱり誰よりも自由であることを希求していた祖父がきっと今は時間や時空の制約をこえて伸び伸びと過ごしているのだと思うと、良かったと思うのです。

おしどり夫婦だった祖母とも再会して仲良く過ごしていることでしょう。

 

かなわぬことですが、願わくば祖父の意識がはっきりしていた時に夫と合わせたかったです。

珍しいくらいに「自分」という境界線がはっきりしていておしゃべりや議論が好きなふたりなので、それはもう良き話し相手になったと思います。

夫も、祖父と話してみたかったと言ってくれています。

 

亡くなったその日に施設に迎えにいって、祖父と一番最初に対面したのが夫だったのも、何か意味があったのかなと思ったりします。


葬儀の準備も祖父の指示を受けているかのように、どんぴしゃで用意するものを思いつくのです。

カメラマンだった祖父の作品を入り口に展示しよう。

BGMは大好きだったジャズのアルバムにしよう。


葬儀直前に気がついたのですが、そのアルバムの最後の曲のタイトルは『薔薇色の人生』でした。

かっこよすぎでしょう、もう。

 

 

おじいちゃん元気ですか。

 

私たちは元気にやっています。

 

おじいちゃんが旅立ってから

 

間もなく1年経ちます。

 

寂しいけれど、一緒に過ごした時間は

 

ずっと消えないから、大丈夫。

 

家族みんなで、未来を繋いでいきます。

 

おばあちゃんと一緒に見守っていてね。

 

たくさんの愛をありがとう。