三たびの海峡:これが「真実」だ | ALL-THE-CRAP 日々の貴重なガラクタ達

三たびの海峡:これが「真実」だ


三たびの海峡
監督:神山征二郎
脚本:加藤正人、神山征二郎
原案:はたか
原作:帚木蓬生『三たびの海峡』
製作:石野憲助、岡田裕
出演:三國連太郎、南野陽子、永島敏行、隆大介、白竜、李鐘浩
音楽:佐藤勝
撮影:飯村雅彦
編集:鈴木晄
1995年 日本映画

以前、神山征二郎監督の『ふるさと』について書いたことがある。
『ふるさと』は僕の大好きな映画なのだが、神山監督には「破」がないなどと、生意気なことを書いてしまった。失礼だったと、反省する。

『ふるさと』からおよそ10年を経て、神山監督は『三たびの海峡』を撮った。
「破」がないどころではない。
そこには、一瞬の「緩み」もない、完璧に構築された演出がある。
「緩み」は「遊び」とも言う。機械を組み立てる際、それぞれの部品に「遊び」がないと全体を組み立てることができない。
しかし、「遊び」が大きすぎると、今度は組み上がった機械はガタついた完成度の低いものになってしまう。

神山監督の演出は、この「遊び」が極限まで削り込まれている。
試しに、『三たびの海峡』をご覧になればわかるだろう。
これ以上どこをそぎ落とすことができるか、1秒のさらに何分の一まで計算されたシーンの連続である。

ここまでの覚悟がなければ、『三たびの海峡』のような映画を作ることはできないのだ。
描こうとするその主題は、あまりに大きく、あまりに深く、あまりに重い。
お笑い映画があっても良い、ハートウォーミングな映画があっても良い、ハラハラドキドキの映画があっても良い。しかし、時には、どうしても語らなければならないことを、勇気をもって、描かなければならないのだ。
そのような作品の監督を託せるのは、神山征二郎以外にいなかったということなのかもしれない。

描かれるのは、帚木蓬生原作の『三たびの海峡』。
太平洋戦争中の、朝鮮人強制連行、強制労働、民族間の憎しみ合い、民族内の憎しみ合いもある。
目を覆うばかりの、拷問、暴力の連続。それらは、肉体だけでなく、精神までも破壊してしまう。
ここまで堕ちることができるのかと呆然とする、醜悪な人間性。単に正義感がないとか、心が弱いというだけではすまされない、根本的な人間性の欠如。
その地獄図の中に、男女の愛、親子の愛、同胞同士の愛が描かれる。

神山監督の下に馳せ参じた俳優陣も、素晴らしい演技を見せてくれる。
主演の三國連太郎。彼には「海峡」が付いて回る。
若き日の代表作である『飢餓海峡』。戦後の大混乱の中、どん底から這い上がって行く、最下層の男を演じた。その背景には、津軽海峡があった。
そして、晩年の代表作になるのが『三たびの海峡』。今度は、対馬海峡である(いや、朝鮮海峡というべきか)。
海峡をさす英語の"Strait"という単語には、困難、当惑、疑念など、引き裂かれた状態という意味があるのだ。

三國が演じた河時根(ハー・シグン)にとって、戦後50年の時間が経過しても、赦しも時効もない。
怒りは抜け落ちて、古希を過ぎた河時根に残っているのは、底知れぬ悲しみと、憎しみだけだ。

炭鉱の労務主任・山本三次を演じた隆大介も忘れがたい。
戦時中は、冷酷で残酷な鬼と化して、朝鮮人労働者を苛め抜き、命を奪っても動ずるところがない。
戦争が終われば、朝鮮人の復讐を恐れて、一転して、人情味さえ醸し出す、一般人へと変貌する。
そして、戦後50年を経て、旧炭鉱の町の市長にまで上りつめる男。
隆大介自身の出自がそうさせたのか、山本三次は忘れがたい、神がかりの演技だった。
この作品の後、酒に溺れ、暴力と奇行の末に、先年若くして亡くなってしまった隆大介には、山本三次が乗り移ってしまったのだろうか。

男くさい『三たびの海峡』だが、女優陣の演技も忘れがたい。
樹木希林演ずるアリラン部落の女丈夫。泉ピン子が演じるのは、戦時中、労働奉仕にかり出され、朝鮮人労働者にも気安く声をかける、いつの時代にもいる元気のいい主婦。
そして、戦時下にありながら朝鮮人・河時根に自ら近づく戦争未亡人・佐藤千鶴を演じた南野陽子。

千鶴を河時根との恋に駆り立てたのは、何だったのだろうか。
夫を亡くした寂しさだろうか、どうしようもない肉欲だろうか、それは愛と呼べるものなのか。
千鶴は、河時根との子を宿し、結婚し、戦争直後の朝鮮へと渡る。
慶尚北道の農村は、閉鎖社会で、日本人である千鶴を容赦なく差別し、疎外する。
そこには、形こそ違うが、戦争中と同様の、人間の冷酷さと残酷さがあるのだった。

千鶴は夫である河時根に行く先も告げず、幼い子供を連れて、日本に逃げ帰ってしまう。
日本では、行商をして、必死に子供を育て上げたところで、若くして亡くなった。
公立学校の教師となったその子(林隆三)と、河時根は再会を果たす。

林隆三が背中を丸めるようにして演じているのが印象的だ。
教師にしてはちょっと立派すぎる気もするが、朝鮮の人たちは皆、体格が良いのだ。

この映画には、アドバイザーとして、元プロ野球選手の張本勲がクレジットされている。

何をアドバイスしたのだろうか。

50年の時を経ても消えない「底知れぬ悲しみと、憎しみ」とはどういうものかを、アドバイスしたのではなかろうか。

僕には、そんな気がする。