I AM LEGEND


明けまして、おめでとうございます。

今年もどうぞよろしくお願いいたします雪


今日は映画 I AM LEGEND を観に行ってきました。

空気感染ウィルスによって絶滅しかけた世界の中で、たった一人だけN.Y.に生き残っていたウィル・スミス演じる科学者ロバート・ネヴィルが、飼い犬一匹と共に孤独を絶え忍び、自分の血液を利用した抗ウィルス物質を研究し続けている生活が映されています。


外は動物園から逃げだしたライオンや野生の鹿や野鳥などがいたとしても、誰一人として人間のいないマンハッタン島。 太陽の光で街が照らされると、そこはただ静かで緑の木々も輝く平和な風景にも見えます。

でも人がいない...

この違和感、どこかで見た記憶がありました。 チェルノブイリです。

のどかな田園風景なのに人がいない家が散らばり、でも過去には確実に人が暮らした痕跡を感じる風景。

ウィルス、放射能... どちらも目には見えないけれど、人の身体を蝕み、陽に輝く風景だけは何も変わらず不気味な空間を残します。


映画では、たった一人しか生き残っていないはずだと頭の中では計算できていても尚、希望の策を模索しようとする一人の人間の姿がリアルに描かれていて面白かったです。

バイオ・ハザードのような怖さやドキドキ、ハラハラ感もあって楽しめます。

ハリウッド映画にしては人間愛やドラマ仕立てが薄味めで、その分

“こんなことも現実にありうるかもしれない”

というメッセージが根底に強く流れているようにも感じました。



ESSE編集部『家族にありがとう大賞』事務局
初めて言えた「ありがとう」―父へ母へ子供たちへ…家族への101通の手紙

「ありがとう」 という言葉ほど祝福された言葉はないのかもしれません。

あの時言えなかった「ありがとう」

今だからわかる 「ありがとう」

いつも思っているのになかなか面とむかっては言えない「ありがとう」


60歳のラブレター 同様、一般の方々から募集した手紙が集約されて作られた本です。

夫婦だけではなく、子供から親へ、親から子供へ、祖父母へ、兄弟姉妹へ、そして家族みんなへと宛てた思いは、その有り難い愛情の数々に、読んでいると涙が滲んできます。


時には血が繋がっていなくとも、誰もが心の家族になれるんだって思えます。



なんのけない/横浪 修
¥3,360
Amazon.co.jp

この写真集を偶然書店で見つけ、パラパラとめくってみた途端、その

“なんのけない” 日常の風景に惹き込まれました。

と同時に、このおちゃらけたカツラをかぶったおじさんが、きっとカメラマンの

お父さんに違いないという直感が走る。

父はきっと、写真を生業とした息子にこういう表情をしてくれるだろう。

カメラマンと被写体である父親との距離感が温かい。

カメラマンの年老いた父に抱く、言葉では表現し難い感情が伝わってくる。

自分を育てた後も、ずっと田舎で暮らし続けている父親、そのなんのけない

日常は、時にとても愛しくて切ない。


そしてカメラは機械なのに、それを忠実に写し出してしまう。


木漏れ日、閉まりきっていない押入れ、やぶれた障子紙、父と母の若かりし日の写真、少し丸くなった背中...。

とても田舎が、そして父親が恋しくなる写真集です。



フラクタルな世界

ジョン ブリッグズ, John Briggs, 深川 洋一

フラクタルな世界―科学と芸術にみる新しい美学

\3,800

この本は 『生命の暗号を聴く 』 の著者でもある、深川洋一氏(東京大学院 理学博士)によって翻訳された、ジョン・ブリッグズ氏による著書で、『カオス』に関するたくさんのデータや現象、科学者達の学説だけではなく、カオスな状況の中で生み出される、美しくも幻想的な自己相似系(フラクタル幾何学)の世界を、豊富な写真やコンピューターグラフィックスで紹介しています。

この本を読んでいて私は、不確定で不規則な 『カオス』の世界で時間をかけて作り出されたカタチの芸術性に、それが漠然としたランダムな力学系の作用によって偶然に生まれたものではなく、そこに時間軸という次元が大きく作用するある種の秩序と、意図された創造性を感じずにはいられませんでした。

そして『カオス』 や 『フラクタル』 な世界について、とても興味深く知ることができました。

例えば今日、熟練の天気予報官がどれほど精密なコンピュータを採用して大気に関する情報(風向き、湿度、温度、気圧等)を入力しようとも、2週間後の天気を正確に予測することは不可能だといいます。

過去データからの研究を重ね、より確実性のある初期数値と演算方法でコンピュータ処理を行うことにより、1週間前後の天気まではある程度の正確さをもって予測が可能となってきているようですが、天候そのものがダイナミックなシステム(力学系)であり、複雑に絡み合う因子に対して敏感に反応して変化し続けてしまうため、10日後の天気でさえも予測が怪しくなってしまうのです。


天気予測がどれだけ繊細な作業を伴うのかという例として、例えばコンピュータに入力する際の初期数値として、風速12.00メートル/秒であるのを、風速11,98メートル/秒で入力した場合、その僅か2cmの誤差で、15日後の天気予測はまるで違ったものになってしまいます。


また、 “バタフライ効果” という言葉がありますが、アマゾンを舞う1匹の蝶の羽ばたきが、遠く離れたシカゴに大雨を降らせる、という現象も、複数の小さな因子が複雑に絡み合った結果、遠く離れた場所に力学的な作用が生じるということを現わしています。


こういった天候のように、通常の“法則”や“原理” に収まらず、様々な因子が複雑に絡み合って構成されているものは、この一見 秩序だった宇宙全体に満ち満ちていて、それは『カオス』と呼ばれ、30年ほど前からは本格的にコンピューターを用いて研究されてきました。


『カオス』 なカタチを辿っていくと、“反復” または “自己相似性” という言葉で特徴づけられます。

それは気がつくと、銀河系、自然界、生命体の中などに、とてもよく似た構造で随所に見うけられます。

血管や神経の分岐構造、木の枝分かれ、大地に延びる大木の根、航空写真で見る突起の激しい地形、稲妻の分岐、氷の割れ目が観測できる木星衛星の表面などは、とても似通ったカタチをしていて、ダイナミックな同等のカオス力学が働いていると思われます。


また、『カオス』 が生み出すカタチには、まるで “合わせ鏡” や ロシアの木製人形 “マトリョーシカ” のように、1つの物質が大きさの異なる同じカタチの繰り返しで構成されていることがわかります。

例えば遠くにまで延びる海岸線の形は、その打ち寄せる波の一部分を拡大してみると、海岸線と同じゆるやかにうねる形(構造)をしていて、その拡大して見た形の一部分を更に拡大すると、より微小の相似形が隠れており、同じ集合体が永遠に現れるのです。


これを発見したベヌワ・マンデルブロは、この連続性をこの本のタイトルでもある、『フラクタル』 と呼びました。

フラクタルな世界は、コンピュータ処理による反復代入の計算方法(非線形方程式)によって、画面上で容易に再現できるようになりました。

とても煩雑な演算の末に描き出される『フラクタル』のシュミレート画像は、異次元の世界を見事に表現しているのですが、とても不思議なことに、古代に描かれた宗教幾何学模様に似ているという印象を持ちました。

それは例えばトルコ・タイルやペルシャ絨毯に織られているような唐草模様だったり、仏教(密教)の曼荼羅であったりするのですが、私達人間は太古の昔から、無意識にもフラクタルな世界を感知し、“直感”をもってデザインや芸術に反映してきたのではないかと思いました。

現代では 『フラクタル』の分野は、軍事、化学、工学、情報、経済、生態、製造、精神医学、文学、建築、芸術、天体学、映画製作などにも応用されていて、今後の更なる発展のための大きなヒントを抱えているともいえます。

なぜなら『フラクタル』をつきつめていくことは、これまでに規定されてきた宇宙論や、生物の起源(ダーウィニズム)から逸脱しているからといって無視されてきた“混沌の世界” があるからこそ、世界が調和に満ちて、変化に対して柔軟に対応でき、芸術が生み出されているということを知ることになるからです。


この本は、そんなことを読み込んでいけば行くほどに知らせてくれ、自分自身の中の思考や概念を、とても深いところで遊ばせてくれる、とても興味深い一冊でした。

『カオス』 『フラクタル』に興味のある方には勿論、その世界をご存知ない初心の方にも是非ともお薦めの本です合格

100万回生きたねこ (佐野洋子の絵本 (1))/佐野 洋子
¥1,470
Amazon.co.jp

この絵本にとても感動してしまい、初めてジャンルに『絵本』 を追加しました。

(不覚にも書店にて涙しょぼん


1977年に初版5000部が刊行されて以来、30周年を迎えた今年2007年には89版発行、そしてその部数は160万部にまで及び、今尚大人から子供へと語り継がれています。

いえ、大人が自分自身への、または友人・知人への贈り物としてこの本を活用しているという意味でも、特別な魅力を持った絵本なのだと思います。


私はこの絵本を読んで、“主人公の猫はペットとして愛されることよりも、自分と同じ猫世界で 猫を心から愛して死を迎えられたことで、本当の幸福と悲しみを得られたのだ” と思い、自分よりも他者を思いやれることの幸福感と、苦楽を共にした最愛のパートナーが順番に人生を終えていくことへの切なさを感じて涙が滲んできたのですが、
読後に Amazon サイトでのカスタマーレビューの数々を読んでみた時、この『100万回生きたねこ』は読む人によってその捉え方が幅広く異なっていることに気がつきました。

そしてその多様性に驚き、感心し、再度この絵本が示唆していることについての哲学的な思想を走らせてしまうのでした。


それでも尚、本来子供に読み聞かせるための“物語”としての完成度を保っているこの絵本は、幻想的で憎可愛らしい猫の挿絵も含めて、とても素晴らしい一冊だと思いました。