- 進化しすぎた脳 (ブル-バックス)/池谷 裕二
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『脳についてを自分の脳で考える』...、この作業ってよく考えるととてもチャレンジングでチャーミングな人間らしい行為だと思う。
自分自身に備わっている曖昧且つ精巧で優秀な構造をしたツールについて、私達はほとんど何も知らずに暮らしてきました。
ですが、コンピュータを使うようになった私達は、電子や0と1で具現化(可視・可聴)されるプログラミングの世界と照らし合わせることによって、脳の構造に共通点を面白いほどに見出しているようです。
電気コードに電子が入っているように、脳内の神経線維には陽イオンと陰イオンが流れていて電気信号となり、神経細胞に情報を伝えています。
プログラミングにバグがあると故障が出るように、神経細胞にも各々役割があって部分的に過不足や欠陥が生じると病気になります。
この本は、著者である東京大学大学院薬学博士の池谷氏と、慶応義塾ニューヨーク学院高等部の学生達との対話形式の講義を記録したものですが、その生き生きとした高度なやりとりは本当に興味深いものばかりでした。
人間の脳とイルカの脳についての講義もその1つです。
イルカの脳は人間よりも大きく、皺の数も多いのだそうです。
それでもイルカの脳が人間の5歳児ほどの知能を維持するのに対し、人間がその能力を進化出来たのは、人間の身体の構造が大きく関わっていました。
呼吸をするためのエラを手と指に変え、肺で呼吸をするようになってからは空気を口に運んで発声するようになりました。 そして背骨を高く伸ばして2足歩行をするようになってからは、特にその変化し続けてきた肉体構造と環境に合わせて人間の脳は活性化してきたのです。
脳のキャパシティは小宇宙に例えられるほどに無限にあり、例えば6本目の指が生えてきたのなら、脳の一部は6本目の指の為の場所を確保し、たやすく順応して機能し始めるでしょう。
そして人がその舌で言葉を操れるようになったことをきっかけに、脳は抽象的な概念・思考ができるようになりました。
だけども脳はコンピュータのようには正確に作られていない。
決められた答えなどもあるわけではない。
一連の行動が全体として記憶されるのではなく、断片的な情報として脳内に整理・分配されるので、過去の記憶は部分的に曖昧になって、いずれは忘れ去られるようにできています。
あえて『不確定』 『あいまい』に作られているのは、それが未来に起こるどんな事象にも応用が利くからだと考えられています。
全てを覚えている必要はないし、その方がきっと人間には優しい。
興味深かったことに、“記憶力”についての講義がありました。
記憶は、時にたやすく覚えられ、時にどれだけ詰め込もうとしても頭の中に入ってこないことがあります。
それは、覚える対象物の難易度によるわけではなく、細胞膜のイオンの溜まり具合、つまりは覚える前の脳のゆらぎの状態によるものだという研究レポートが出されたというのです。
また、『私たちが見ている世界はホンモノか?』という観点からの問題提起も興味深いものがありました。
視神経は100万本しかないのだそうです。 本来私達に見えているのは100万画素程度の解像度だといえるのですが、脳内で不足した情報が充填されて、なめらかなビジョンに感じられているだけなのです。
このように、視覚の話でいうと、私たちの網膜から入る脳内への情報は3%ほどでしかなく、残りの97%は脳で自動的に埋め込んでいる情報なのだそうですが、私達はそれを実像だと思い込んでいる。
私達が見ている世界は時に実際の色とは違い、盲点や錯覚などのように、大小、有無の認識、立体と平面などの解釈に誤りがあることも少なくありません。
私達は脳の作り出す世界から逃れられないということです。
特記したいことはたくさんありますが、最後にはやはり本質的な議論を1つ。
コンピュータになくて、脳にはあるもの...。
『意識とは何?』 という話です。
著者は、意識が意識であるための定義として次の2つを挙げています。
1.外からの刺激に反応して自発的に活動を続けていること
2.表現が選択できること
さて、どうでしょう? 脳と意識の関係は、本当に難解ですね。
例えば数百年後に、コンピュータが人間のニューロンやシナプスと同じ数の引き出しを持ち、脳内と同じ速度で処理をし、最低限必要な記憶はインプットされて、更には自分で歩いて自発的に新しい情報(選択 ・ 学習 ・ 記憶/記録)を取り入れ、確率論を踏まえて時には『ゆらぎ』の幅も持たせたプログラミングをし、造りだされた心臓や肉体、血液なども備えた人間そっくりのロボットが出来上がったとして、そこに“意識”や“心”は自然に生まれてくるのでしょうか?
この本の中には、 “快楽”を感じ取る特定の部位がある ことを証明するねずみの実験についても記載されていました。
その部位の特性やしくみをロボットにも導入したのなら、例えば 『美味しい』 という喜び、その美味しいものを手に入れるための努力、活力、社会というシステム、どんなに努力してもその美味しいものが手に入らないという苛立ち、落胆、あきらめ、それが他者から得られたときの喜び、好意、感謝...
そういった喜怒哀楽、つまりは『意識』というものが、人間そっくりに生まれるのかもしれません。
この本を読みながら、いろいろなことを私の脳が考えていました。
その緻密に設計され、『ゆらぎ』やファジーさをも兼ね備えた1つの作品でもあるかのような脳の仕組みが、おおよそ理解できたような気になる瞬間もありました。
でも、いったん本を閉じて外の世界に飛び出してみると、その複雑に入り組んだファクターの中で、見事に調和を成しているこの世界の奇跡を感じ、自分はなんにもわかっていないのではないかとも思うのです。
著者は学生達にこんな言葉を投げかけました。
『ヒトの脳では、たかだか100個程度のシナプスを通っただけで言語の理解などの高度な知能活動が行われる。
市販のコンピュータが同じ結果を得るために1秒間に10億回以上も計算をしていることを考えると、脳ってすごく効率がいいよね。 こういう視点で見ると、脳とコンピュータの情報処理のしくみは根本的に違うような気がしてこないかな』
無条件に感動してしまう芸術や、自然の調和と美しさを前にして、私は少しも脳についての説明をすることができません。
ただ脳という高性能なツールを保持して生きている自分を、もっと誇らしく大切にしたいと思うだけです。