- 生物と無生物のあいだ (講談社現代新書 1891)/福岡 伸一
- ¥777
- Amazon.co.jp
この本は、現在は青山学院大学の教授で、過去にはニューヨークにあるロックフェラー大学と、ボストンにあるハーバード大学にて分子生物学の研究員として活躍をされていた福岡伸一氏による著書です。
- 唐突ですが、“生物と無生物の違いは...?” と問われたら、何と答えられるでしょうか? 言い換えれば、生命の定義についてです。
- 子孫を残していくものが生物でしょうか?
- 心臓が動いていたら生物でしょうか?
- 自己複製能力(DNA)を保持していたら、それが生物でしょうか?
- 例えば私達は、海辺に流されてきた貝殻を見て、石ころとは違った“動的な秩序”を瞬時に見い出して、貝殻に生命を感じたりはしないでしょうか...?
著者は興味深い例として、ウィルスを挙げています。
ウィルスは、通常の病原体が球状のカタチをしているのに対して、幾何学的な極めて美しいカタチをしているといいます。 あるものは正20面体の如き多角立方体、あるものは繭状のユニットかららせん状に積み重なった構造体、またあるものは無人火星探査機のようなメカニカルな構造をしているのです。
同じ種類のウィルスは全て同じ形で、大小や個性といった偏差がありません。
またウィルスは、栄養を摂取することもなく、呼吸もしていない。
二酸化炭素を出すことも老廃物を排泄することもなく、つまりは一切の代謝を行っていません。
もしウィルスを混じり物がない純粋な状態にまで精製し、特殊な条件で濃縮すると、『結晶化』 するのだそうです。 これらの事を考えると、ウイルスは細胞や生物ではなく、鉱物に似た、まぎれもない “物質” であるように思えます。
しかし一方でウィルスは、自己複製能力を持っていて、エイリアンさながら、人体や動物の細胞内に寄生して自身のDNAを注入し、その複製作業を寄生先細胞に行わせているのです。 そして次々と寄生先の体内で生産されたウィルスは、まもなくその細胞膜を破壊して一斉に外へ飛び出し、次のターゲットで更なる増殖を果たします。
自己複製能力(DNA)を持つことが生物の定義だとするならば、ウィルスも立派な“生物” と言えます。
福岡氏は、自身のアメリカでの研究生活や、他の歴史に名を残す生物学者たちの軌跡を辿りながら、さらに“生物”についての追求を掘り下げていきます。
そしてもう一つの欠かすことのできない “生物の在りよう” を教えてくれます。
それは、『私達の身体を構成する全ての分子は、食物を摂取することによって絶え間なく入れ替わって機能しており、私達の生命活動は、戻ることの出来ない進行形の時間軸のなかで、畏怖を感じるほどに秩序だった循環作用の経緯の中に完成している仕組みであり状態である』 ということです。
これはウィルスが持たない性質です。
私達の体内の秩序は、『相補性』 というバランスによって保たれています。
それはパズルのように、全ての分子には互いにしか補い合うことのできない凸と凹があるようなものです。
もし先天的にあるべき1つの凸が無い場合には、生物には他の分子の集合体(タンパク質)によって代わりの凸を補填する柔軟性も備えているそうですが、あまりにも人為的な作為が施されたり、自然のルールに背いた環境や食物の変化をもたらしたりしたのなら、後天的に部分的なタンパク質の欠落が生じて、『相補性』 の秩序は乱れ、狂牛病などの脳神経障害を生み出し、死に至らしめてしまうのだそうです。
この本は、科学的な見解が述べられている科学本ではあるのですが、文章がとても文学的で洗練されている流れの中で読み終えてしまいました。
特にエピローグに記載されている、著者の少年時代の追憶の文章には、生物の美しさや脆さがありありと心に沁みこんでくる力量がありました。
読書中にも感じていたことが、本の最後に記されていました。
『生命という名の動的な平衡は、それ自体いずれの瞬間でも危ういまでのバランスをとりつつ、同時に時間軸の上を一方向にたどりながら折りたたまれている。 同時にどの瞬間でもすでに完成されたしくみなのである。
私達は自然の流れの前にひざまずく以外に、そして生命のありようをただ記述すること以外に、なすすべはないのである。』
最後に、分子がこれほどまでに小さい理由 (逆にいうと、あまりにも微小な分子で構成される人間がこれほど大きくなくてはいけない理由) についての記載も深く感嘆するものがありました。
テレビでの福岡氏はこちら
です