「いただきます」 って、だれに言いますか?」

OUR DAILY BREAD 1

OUR DAILY BREAD OUR DAILY BREAD2

今日は『いのちの食べ方 』 という映画を観てきましたカチンコ

これはSma STATIONの“月イチゴロー”という、スマップの稲垣吾郎さんがランク付けする映画紹介のコーナーで、『ALWAYS 続・三丁目の夕日』 を2位に差し置いても1位とした映画で、『人として観ておくべき映画だと思った』という彼の言葉が心に残っていましたぶーぶー ヒヨコ


印象的だったのは、人間が毎日口にしている食料が、日々どんな経緯をたどってテーブルの上にあるのかという真実が、一つのインタビューや会話もなしに映像だけが淡々と1時間半ものあいだ流れ続けるという映画の手法でした。

聞こえて来るのは無機質な機械音と動物の鳴き声や悲鳴だけ。

それがリアリティを助長して、見る人に思考する空間と時間を、見事に与えていました。


大量生産のために人間が作り出した機械は、文字通り“機械的”な見事なまでの流れ作業で、何万、何億匹もの『命』を日々と殺していて、その『命』も人工的な受精によって作られ、食用として効率的に育てられたものです。

映像はあまりにも衝撃的な場面もありましたが、そこに携わって働いている人たちにも、私達は時に思いを馳せなくてはいけないのではないかと思いながら見ていました。 誰もが楽しんでできる仕事では絶対ないのに、誰かがしていかなくてはいけない仕事だから。


スーパーで綺麗に梱包されて並んでいるお肉や魚を日々手にとって買っている一人間が言うのは、矛盾極まりなく偽善的なのかもしれませんが、増長している “人間の業” というものを省みること、そして“他の命” をいただいて生きているということに感謝して食する ということは、せめても人間としてできる大切なことではないかと思いました。


蛇足ですが、 『ALWAYS 続・三丁目の夕日 』 も とても感動しました東京タワー

生物と無生物のあいだ (講談社現代新書 1891)/福岡 伸一
¥777
Amazon.co.jp

この本は、現在は青山学院大学の教授で、過去にはニューヨークにあるロックフェラー大学と、ボストンにあるハーバード大学にて分子生物学の研究員として活躍をされていた福岡伸一氏による著書です。

唐突ですが、“生物と無生物の違いは...?” と問われたら、何と答えられるでしょうか? 言い換えれば、生命の定義についてです。
子孫を残していくものが生物でしょうか?
心臓が動いていたら生物でしょうか?
自己複製能力(DNA)を保持していたら、それが生物でしょうか?
例えば私達は、海辺に流されてきた貝殻を見て、石ころとは違った“動的な秩序”を瞬時に見い出して、貝殻に生命を感じたりはしないでしょうか...?

著者は興味深い例として、ウィルスを挙げています。

ウィルスは、通常の病原体が球状のカタチをしているのに対して、幾何学的な極めて美しいカタチをしているといいます。 あるものは正20面体の如き多角立方体、あるものは繭状のユニットかららせん状に積み重なった構造体、またあるものは無人火星探査機のようなメカニカルな構造をしているのです。

同じ種類のウィルスは全て同じ形で、大小や個性といった偏差がありません。

またウィルスは、栄養を摂取することもなく、呼吸もしていない。

二酸化炭素を出すことも老廃物を排泄することもなく、つまりは一切の代謝を行っていません。

もしウィルスを混じり物がない純粋な状態にまで精製し、特殊な条件で濃縮すると、『結晶化』 するのだそうです。 これらの事を考えると、ウイルスは細胞や生物ではなく、鉱物に似た、まぎれもない “物質” であるように思えます。


しかし一方でウィルスは、自己複製能力を持っていて、エイリアンさながら、人体や動物の細胞内に寄生して自身のDNAを注入し、その複製作業を寄生先細胞に行わせているのです。 そして次々と寄生先の体内で生産されたウィルスは、まもなくその細胞膜を破壊して一斉に外へ飛び出し、次のターゲットで更なる増殖を果たします。

自己複製能力(DNA)を持つことが生物の定義だとするならば、ウィルスも立派な“生物” と言えます。



福岡氏は、自身のアメリカでの研究生活や、他の歴史に名を残す生物学者たちの軌跡を辿りながら、さらに“生物”についての追求を掘り下げていきます。

そしてもう一つの欠かすことのできない “生物の在りよう” を教えてくれます。

それは、『私達の身体を構成する全ての分子は、食物を摂取することによって絶え間なく入れ替わって機能しており、私達の生命活動は、戻ることの出来ない進行形の時間軸のなかで、畏怖を感じるほどに秩序だった循環作用の経緯の中に完成している仕組みであり状態である』 ということです。

これはウィルスが持たない性質です。


私達の体内の秩序は、『相補性』 というバランスによって保たれています。

それはパズルのように、全ての分子には互いにしか補い合うことのできない凸と凹があるようなものです。

もし先天的にあるべき1つの凸が無い場合には、生物には他の分子の集合体(タンパク質)によって代わりの凸を補填する柔軟性も備えているそうですが、あまりにも人為的な作為が施されたり、自然のルールに背いた環境や食物の変化をもたらしたりしたのなら、後天的に部分的なタンパク質の欠落が生じて、『相補性』 の秩序は乱れ、狂牛病などの脳神経障害を生み出し、死に至らしめてしまうのだそうです。


この本は、科学的な見解が述べられている科学本ではあるのですが、文章がとても文学的で洗練されている流れの中で読み終えてしまいました。

特にエピローグに記載されている、著者の少年時代の追憶の文章には、生物の美しさや脆さがありありと心に沁みこんでくる力量がありました。


読書中にも感じていたことが、本の最後に記されていました。

『生命という名の動的な平衡は、それ自体いずれの瞬間でも危ういまでのバランスをとりつつ、同時に時間軸の上を一方向にたどりながら折りたたまれている。 同時にどの瞬間でもすでに完成されたしくみなのである。

私達は自然の流れの前にひざまずく以外に、そして生命のありようをただ記述すること以外に、なすすべはないのである。』


最後に、分子がこれほどまでに小さい理由 (逆にいうと、あまりにも微小な分子で構成される人間がこれほど大きくなくてはいけない理由) についての記載も深く感嘆するものがありました。


テレビでの福岡氏はこちら です流れ星


世界ノ夜景 (地球の歩き方)/丸々 もとお

¥2,625
Amazon.co.jp

書店を歩いていて見つけました。

ページをめくっていると心が安らぐのと同時に、 “こんな夜景を見てみたい” と湧き出てくる気持ちに小さな興奮も覚えました。


夜景はそこに暮らす人々の生活や地理的な条件によって、すべての場所で趣きが異なっています。

これまで私が旅をして実際に見ることのできた各国の夜景も、国や場所によって独特の色や光の陰影を持っていて、“偶然の芸術” 的な美しさを放っていたのでした。


まだ見たことのない素晴らしい夜景もたくさん載っていました。

私はその中でも、南アフリカ ケープタウンの夜景と、ノルウェーの小さな街の夜景を見てみたいと願いました。


夜景の1つ1つの灯火には、そこに暮らす人々の微かな幸せを感じます。

E=mc2 世界一有名な方程式の「伝記」/ディヴィッド・ボダニス

¥1,995

Amazon.co.jp


今月1日に、広島に原爆を落としたとされるB-29 (エノラ・ゲイ)の機長、

ポール・ティベッツ氏が死去したというニュース が流れました。

3年前には長崎に原爆を落としたとされるチャールズ・スウィーニー氏が死去しています。


この本は、“原子爆弾” という殺人兵器がどのような物理学的理論で誕生し、また歴史的な流れで私達一般市民が暮らす広島・長崎という街に落とされるに至ったのか、ということを理解するのには最も解り易く、力量を持った1冊であると思います。

そして人間は、いかなる時にも宇宙をつかさどっているエネルギー原理をもって、“殺人兵器” に応用してはいけないのだということを芯から感じ取らせてくれる本でした。


上記の人たちを含む、原爆投下機に乗り合わせた殆んどの兵士が、当時その威力と性質についてしっかりとした認識をもって任務に当たっていたのではなかったといいます。 この本を読んだ後には、もし彼らに原子力爆弾の原理と威力が説明されていたのなら、果たして人間として爆撃できていただろうか? 或いは罪悪感にも苛まれずに、これほど長生きできただろうか? などと思わずにはいられません。


E = mc2 アインシュタインの天才的なひらめきから組み立てられた方程式は、理論から先に生まれ、その方程式の証明や工学的な実用化案は、後から付いてきたものでした。

この本では、この方程式を構成する1つ1つの記号を分けて解り易く説明するところから始まります。

そしてそれぞれの記号には、宇宙を構成する上での絶対的な法則 があることを知らせてくれます。


E (エネルギー)』 ⇒ この世に広がっているエネルギーは、たとえ人間や動物の筋肉から放出される熱であっても、滝の飛沫や火山の噴火というかたちをとっているとしても、その総量は常に一定である。

それは例えば、神が宇宙を創造したときに発生した一定のエネルギー量が、これまでわずかたりとも減ることも増えることもない秩序の中で、私達の日常生活が維持されているということです。(エネルギー保存の法則)


⇒ 天秤でも方程式でもなく、斬新なアイディアを求めて覗く望遠鏡


(質量)』 ⇒ E (エネルギー)と同じく、形状(固体・液体・気体)は変わろうとも、宇宙・地球における総質量は常に一定である。

以下、本文より抜粋...

「それは例えば、宇宙を創造した神が現れ、こう言い放ったかのようである。

“わたしは自分が司る領域に一定量の物質を置く。 星々を成長させて爆発させる。 幾多の山を形成し、互いに衝突させ、風や氷で風化させる。 金属を錆びつかせ、ぼろぼろにする。 しかし、わが宇宙に存在する総質量は常に一定である。 100分の1オンスたりとも変わらない。 永遠の時を費やして待っても、変わることはないのだ。”」 (質量保存の法則)


c (光の速度)』 ⇒ アインシュタインが天才たる所以は、E(エネルギー) と

m(質量) を結びつける換算係数として、c(光の速度) にひらめきを覚えたところだといいます。

エネルギー = 質量 x 速度(v2)

までは誰でも想定できますが、そこに c(光の速度)という換算係数も理論上成り立つことを直感で感じ取り、同時に、

E (エネルギー) と m (質量) の和は常に一定である

と1905年に発表しているのです。


2乗(二 ⇒ 例えば本と電気スタンドとの距離を2倍縮めたとすると、読んでいるページに注ぐ光量は2倍ではなく4倍になります。

また、重りを高台から柔らかな土の上に何回か落とした場合、一番目に落とした速さより2倍早く落とすと、めり込む深さは4倍になり、3倍早く落とすと深さは9倍になります。(2乗分)

このように、世の中の幾何学的現象自体に、二乗した数値が顔を出すことが多いのだといいます。

アインシュタインも、その方程式の中で光の速度を二乗することに何の違和感も感じる必要はなかったのでしょう。


さて、こうしてE = mc2 の方程式が完成した後には、その実験証明と利用方法に向けて様々な科学者たちの挑戦が始まります。


著者のデヴィッド・ボダニス氏は、オックスフォード大学で科学史を教えている博士であり、 『エレクトリックな科学革命』 と同じく、科学者たちの性格や境遇、利欲の絡んだ人間関係に翻弄される人生模様まで、詳細に興味深く語ってくれます。


本を読んでいて意外だったのは、科学の進展には女性科学者の活躍が大きく影響していたことです。

また偉大な発見の裏には、理論よりも信仰心、或いは『直感力』 が大きく作用しているという事実にも驚くものがあります。

アインシュタインがそうであったように、これまでの常識を良しとして大学教授が何の疑問も持たずに講義をしている中身に “本当にそれが真実なのだろうか...?” と 疑問を持つことの大切さも感じました。


私のような科学にど素人な者でも、とても解り易く書かれていて、以前と比べると E = mc2 という方程式が断然身近に感じられるようになりました。

中性子によってその秩序を乱されたウラニウムの超ミクロな原子核に、光の速度の二乗という膨大な数値が掛け合わされると、恐ろしいほどのエネルギーが生じること、そしてその理論は発展して、宇宙を織り成している様々な原理原則の神秘の扉までも開けてしまったのだということをも知らせてくれる、貴重な一冊でした。


お時間がありましたら、是非ご一読ください本

flatland
エドウィン・A. アボット, Edwin A. Abbott, 石崎 阿砂子, 江頭 満寿子
多次元・平面国―ペチャンコ世界の住人たち

この本はエドウィン・アボット(1838年~1926年)という人が書いた本です。

『異次元は存在する』  の著者リサ・ランドール女史が推奨していた本で、

気になって読んでみました。


内容は、平面(2次元)の世界に暮らす “正三角形” が主人公となって、平面国(フラットランド)の様子を紹介してくれるのですが、それは私たちの暮らす立体世界である3次元(スペースランド)とさして変わらず、政治・教育・格差・宗教などが広がる世界でした。  

ただし、2次元であるがゆえに、私たちとは世界の見え方が根本的に違います。 著者アボット氏は、驚くばかりの想像力をもって、私たちに2次元世界のあり方を連想させてくれます。  

そして私たちがある次元の中に属して暮らしている限り、異次元、特に上の次元の存在を認識することはとても難しいということ、それでも一旦意識をズーム・アップして想像力を働かせたのなら、異次元の存在を感じ、理解出来るのだということを教えてくれます。 決してそこに行く事はできないけれども理解はできるのです。


3次元の私たちから見たら、2次元の世界はとても限られていて不便なものであるように、2次元の世界の住人から見ると、1次元に暮らすラインランド人(1つの直線世界)や、ゼロ次元に暮らすスポットランド人(点の世界)が恐ろしく狭い視野の中で暮らしていて滑稽にさえ見えるという内容は印象的でした。


この本の著者アボット氏は、想像力を働かせることの面白さと大切さを一番に伝えたかったのだろうと思います。  理論上、私たちが暮らしている次元ではない次元がきっとある。 それはいったいどんな世界なのだろうと。


個人的には後半100ページを越えたあたりからこの本の醍醐味を味わいました。

こんな本に時々ふっと出会うことができるから、本を読んでいくことが楽しいのかもしれません。