OD>日本人のしつけと教育―発達の日米比較にもとづいて (シリーズ人間の発達)/東京大学出版会

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この本は1994年初版発行ということでとても古いですが、内容に古さを全く感じ得ませんでした。
アメリカと比較した日本の母親の子育ての文化的特徴が、1972年から10年間に及んで行われた日米縦断調査の結果を基軸にわかり易く書かれています。
アメリカ人の子育てが、自己主張ができる自立した人格を育てる方向性であるのに対して、日本人は他者の気持ちを慮れるようなしつけを無意識に文化的に継続している。それは大人になってからの日米の民族性の特徴をよく裏付けていて、さまざまな場にて繰り広げられる日米間の力学の由縁が心の奥でストンと腑に落ちる。

筆者はまた、人の抱くイデオロギーには、原理原則(normativeな考え方)の重視型と、道徳的判断に『人』や『気持ち』を裁量に加味する、感性的評価(heuristicな考え方)の重視型があり、前者はアメリカ的、後者は日本的であると説明している。
例としてコールバーグ『ハインツの課題』の道徳的発達感を挙げている。
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『ある女性が癌のために死に瀕していました。もし彼女を助けられるとすれば、それはある薬を使った場合だけです。ある薬剤師がその薬を開発したのですが、彼はその薬に、薬の開発費用の十倍もの値段をつけました。この癌に苦しんでいる女性の夫は1,000ドルしかお金を準備できなかったのですが、薬剤師は2,000ドルを要求しました。夫は薬剤師にもっと薬を安く売ってほしい、あるいは後払いにしてほしいと頼んだのですが、薬剤師の答えはNoでした。失望した夫は、妻の命を助けるために、薬剤師の店に押し入って例の薬を盗んだのでした。』

 彼はどうすべきだったのでしょうか?彼の行動は正しかったのでしょうか?それとも間違っていたのでしょうか?そして、それはどのような理由からなのでしょうか?
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アメリカ人の大多数はハインツの課題を ”生命と法とどちらを優先させるべきか” という課題として捉え、「生命はもっとも尊重すべきものだからハインツは盗むべきだ」などと答えた。
ところが日本人の過半は、"ハインツが盗まずに目的を達するために本当にすべての可能性を試みたのか?” を疑問とし、「新聞にだしてみたら」「世論に訴えたら」「募金をしたら」などという提案をした。日本人は、よりハインツの置かれた場面に寄り添って思考するのである。

著者は、この日本人特有の傾向が、複雑な人間社会の様々な現象において平和的解決を見出す上で重要な柔軟性を包括していると述べると同時に、感性的評価に陥ることの危険性についても述べている。特に道徳的評価と感性的評価が混ぜこぜに思考されることで、例えば『いじめ』の悪について、『最初は止めていたのだけれども、やり出したらおもしろかったから』『汚かったから』などという感性的評価にうまくすり替えられ、『いじめられる方にも原因がある』などという大義名分と化けてしまうことがあるという。


この他、日米の子育て感や方法の違いについて興味深い内容がわかり易く書かれていて、文化比較や心理実験に興味のある方には是非とも一読をお勧めしたい、読み応えのある本でした。
今日は機関に、里親さんが赤ちゃんを連れてきてくれました。
実のお父さんが迎えにくるまでの30分ほど、赤ちゃんを抱っこしていました。
まだ誕生して数ヶ月の命。男の子らしい顔立ちで、泣こうとすると顔が真っ赤になる。
眠りながら時々笑みを浮かべていました。
お母さんはご病気で亡くなられていて、赤ちゃんは里親に預けられ、週末だけお父さんが迎えにきます。

時間が経つ毎に赤ちゃんの重みが増して手が痛くなってきます。
一人の人生の重さ。あらためて赤ちゃんが教えてくれました。

お父さんが、赤ちゃん用のバスケットを持って迎えにきました。
優しそうなお父さん。ミルクは作れますか。お風呂は入れられますか。

幸せに暮らしてくださいね。



今日女の子を保護しました。
ポロポロと静かに流した涙。信じてくれた勇気。握った小さな手。
この気持ちを絶対に忘れたくないと思いました。絶対に。

変えたい法律があります。
力になる機関をつくりたいです。
そのためには、説得力のある研究論文を今は目指そうと思います。
発達障害と呼ばないで (幻冬舎新書)/幻冬舎

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近年、ADHD、自閉症スペクトラム(広汎性発達障害)と診断されるケースが急増しています。児童のADHDの有病率は6%に達し、学習障害は10%に及ぶといわれています。なぜ診断名のつく子どもが急激に増えたのか、そもそもそれは障害と呼べるものなのか、ということを、著者は分かりやすく丁寧に述べています。

著者は、そういった発達障害と呼ばれる状態が、養育環境や愛着形成といった条件から生み出されるものなのか、それとも遺伝子に由来する生まれ持った気質によるものなのか、或いは環境が遺伝子さえも変えてしまうものなのかといった視点から分析しています。また、日本以外の先進国でも発達障害が増えていること、その中でも自閉症スペクトラムは上流階層に多く、ADHDは恵まれない階層に多いという古くからの研究調査を引用しています。しかし途上国やヒスパニックでのADHD率は低く、経済階級が低くとも、愛着形成(夫婦、親子、社会の絆)が育まれやすい文化的環境においては発症率が少ない事についても述べています。

著者は上記のようなデータを持ち出して発達障害について分析する一方で、ある状態についての診断名を安易につける現代の医学的風潮にも警鐘を鳴らしています。例えば英数国理社音図などの教科や運動能力、人間関係形成能力が全ておしなべて平均60点である子どもが「正常・定型」だと規定し、音楽や美術だけ100点でもその他が10点である子どもは「異常・非定型」だとみなし障害診断をくだすことを危惧しています。なぜなら偉人として認められる人では後者の特質を持っている場合が少なくなく、できないことではなく、できる事についてフォーカスしたほうが可能性が開けるからです。また子どもの特質により理解の取得法が異なるため、教え方を心得ているかどうかにより子どもの能力が効率的に飛躍もするし、逆に停滞もしてしまうのです。

また、高機能自閉症やアスペルガー症候群と診断された子どもの25%が過剰診断だったという事実や、診断自体が拡張された結果、適用範囲が5-8倍程度にも広がっているという事実についても書かれています。さらに、これまで自閉症スペクトラムと診断されていた患者であっても、DSM-Ⅴへの診断基準の変更に伴い、診断からある日突然外されるということが安易に起こるのです。現代の不都合は、このように専門医でも確証の得られない一時的な特定の状態について、一度その診断名を下された子どもや親は、一生そうした負の特質を自分たちの中に背負わなくてはいけなくなるということです。

著者は、専門医に子どもの得意・不得意に差異が大きいと診断された時や、多動・こだわり・反復行為・過剰な刺激反応などが強いと感じた時にも、それは失望ではなく希望であると認識することが大切だと述べています。子どもを囲む人間が、子どもに対しての感受性や応答性を高めて接することが重要だと書いています。子どもの特質を認め自己効力感を育ててあげる事が、叱る事より大切なのです。

昨今、子どもだけでなく大人にも診断名が多くつけられていますが、一読しておくと人間の多様性とその意味、社会における必要な人間バランスについて再度考える事ができる一冊です。



粋に暮らす言葉/杉浦 日向子

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この本は、漫画家であり江戸風俗研究家であった、杉浦日向子さんの著書です。
江戸時代の人々の生きる姿を短い文章の数々で、生き生きと現代の私達に伝えてくれます。
そしてその一文一文が、何か得体の知れないものに悩み苦悩する私達の心のおもりをフッと軽くしてくれ、「今のままで大丈夫」「ゆっくり生きていこう」「江戸時代って面白いなぁ」などと思えてきます。

今の時代では、上下、貧富、勝ち負け、優劣など、自分と他者とを比較して安心や虚栄心を得る風潮が強くなっていますが、江戸時代の人からしたらそれは「野暮」である。当時の人々はそんなことよりも、一生は物見遊山、いろんなものをみてまわることに人生の喜びを見出していたようです。人生はすごろく。上や下に進むのではなく、右往左往するものだ、という生き方です。身分や権力が260年も固定した時代、そうやって日々を楽しく生きて、「人はなぜ生きるのか」などという遠大な問いはごはんをまずくするだけだから、とやりのけた時代があったのです。

文中から一部抜粋すると、、、

「自分の言葉で話す」
江戸っ子は、借り物の言葉ではなく、自分の言葉で話すことを重んじます。ありきたりの「空が高いね」ではなく、「今日の空は初鰹の背中のような色だ」などと、その人独自のオリジナルの言葉で、より強く思いを伝えようとしました。

「冬枯れの木」
葉をすべて落とした、黒い冬枯れの木に、江戸の粋を見る。蕪村の句の「斧入れて香におどろくや冬こだち」の意気だろう。

「禮(れい)」
江戸の寺子屋の教育の基本は、ただひとつ「禮」でした。禮を尽くす人になれと教え育てたのです。禮とは豊かさを示すと書きます。豊かさとは心の豊かさで、自分自身の心が満ち足りていなければ、他者を敬ったり、許したり出来ないということです。

などがありました。


日本の感性に敏感で、江戸時代の日本人が確かに持っていた「粋」さを私達に伝えてくれた美しい著者が、46歳で下咽頭がんのために亡くなられたことは残念でなりません。