ミチオ・カク著のPARALLEL WORLDS (パラレルワールド)を読んでいる。

 

父が死去してもう3年を過ぎてしまったが、「もう一度だけ会えたらなあ」と胸が締め付けられることがまだある。

実際人は死んでしまうともう二度と繋がることはできないのだろうか。父が死去した通夜の深夜に親戚の人たちと枕を並べて眠ろうとしていると、肩を後ろに引っ張られ父の「おい」という声が耳元で聞こえた。葬儀の夜には深夜の天井が白く光った。どちらの時も怖さが勝って部屋を変えたり、目を閉じたりして逃げてしまったが、後から "しっかり見届けておけばよかった..."と悔やんだ。それから何か不可思議なことは起こらなかったから。

父が溺愛していた大学生の孫は、一人でこたつでうたた寝していた際に、足を引っ張られたと言っていた。

 

遠い親戚のお父様が死去したと電話で連絡があった際にも、先方が広島にあるご家庭であったのにも関わらず、経を読む声が遠くの部屋から聞こえたり、線香の香りがしたりした。通夜前日にお宅を訪問した際には、廊下の電気が点灯を繰り返した。その時には亡くなられたお父様のお嬢様にお父様がのり移り、数日お父様の口調で話していた。お父様を亡くしたショックから一時的に精神が壊れてしまったのかもしれない。音も香りも気のせいと言われれば、そうかなと認めるしかない。

 

でも、私たちが日々特に意識することもなく暮らしている地球・銀河・宇宙にはまだまだ解明されていないことのほうが多い。

このブログに昔から足を止めてくださっている方であれば、私がそっち系に関心を持っている人だとうすうす気づいてくださっていると思う。なので必然的にこの本を手にしました。

 

パラレルワールドという魅力的な言葉。別の次元で世界があるのなら、また父と一瞬でも再会できるのだろうか。

 

著者のミチオ・カク氏は日系アメリカ人の理論物理学者である。原書は英語だが、翻訳者斉藤 隆央氏の訳の解りやすさも秀逸で、かなり難しい内容が噛み砕かれて書かれている。宇宙の成り立ち、現在の状態、科学者たちのこれまでの努力と成果、そしてパラレルワールドの可能性について。私たちが暮らす宇宙とは別の宇宙があり、そこに繋がるトンネルを通せば繋がる可能性もあるということ。この本ではアインシュタインをはじめとする錚々たる科学者の提示した発表や他者からの評価などもかかれていて個人的に面白いと思った。科学者同士のブラックユーモアは面白い。例えば、あいつは球状のバカと言えば、どこから見てもバカという意味である。ブラックユーモアの影に、お互い未知の対象の解明に取り組む際に生み出てくる焦りや苦難が感じられて好きだ。どんな突拍子もない仮定が飛び込んでこようとも、それはありえないと立証することも困難である。

 

以下は読書メモ。少しでも興味を持たれたらご一読ください。ですが本の読み出しの敷居は低くないかもしれません。読み始めていくと宇宙のストーリーが広がっていく本ですのであしからず。

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(宇宙の誕生)

 

- WMAP (Wilkinson Microwave Anisotropy Probe) --> NASAが打ち上げた宇宙探査機により、ビックバーンにより宇宙が誕生して間もない宇宙の撮影に成功。

 

https://www.google.com/search?q=WMAP&rlz=1C5CHFA_enJP698JP698&oq=WMAP&aqs=chrome..69i57.310j0j7&sourceid=chrome&ie=UTF-8

 

- 宇宙は137億年~138憶年前に誕生したといわれている。

- 宇宙の27%は4つの力(重力、電磁力、弱い核力(電子とニュートリノの相互作用)、強い核力(宇宙に存在する100種類あまりの元素を生み出している)でできている。 

- 著者は「 宇宙が誕生する前は、この4つの力はひとつの「超力」に統合されていたに違いないとした。理由はわからないが、やがてこの4つの力を統合していた謎めいた対称性(バランス)が破れ、小さな泡ができた。泡は急速に膨張し2つの基本的な力がすばやく分離する。最初に重力が他の3つから引き離されて、宇宙全体に衝撃波を放つ。この時期に宇宙は、よくわからない理由により、10の50乗といわれる途方もない倍率でインフレーション(爆発)を起こし、空間は光速より圧倒的に早く膨張した。

- 温度は10の32乗度だった。この「泡」の大きさは、「プランク長さ」つまり10のマイナス33乗センチだった。自由なクォークはやがて凝縮して今日の陽子と中性子になった。3分ほど経つと、もう陽子や中性子はばらばらの状態ではいられず、原子核が形成される。さらに、水素の原子核は融合してヘリウム核になる(今日見られる水素75%、ヘリウム25%の比率が形成される)。微量のリチウム核も生成するが、質量数五の粒子からなる原子核が非常に不安定なため、それ以上の元素はできなかった。原初の火の玉(太陽系の大きさ)はここで終わる。

- 宇宙は今もなお、加速・膨張しており、ビックバーン発生期から冷えつづけている。 現在 -270 °C(2.7K)  

- 強い核力と弱い核力の両方があるおかげで、恒星はアインシュタインの方程式E=mc2にしたがって光を放射している。核力がなくなると、宇宙全体が真っ暗になり、地球の温度は一気に低下して海は凍りついてしまうだろう。

 

- 宇宙は、未知の形態のエネルギー体(ダークマター)で73%が占められている。


- 一つの原子 (塵よりも小さい見えない原子) のバランスが不均衡となりビックバーンが発生。アインシュタインは時間と空間は計算上置き換えても差し支えがない。つまり同質と言った。宇宙が創生される前は時間も空間もない無。無から空間が広がり、時間の概念が生まれた。でもその原子は「どこ」に存在していたのか。宇宙は「どこ」に広がっているのか。

 

(マルチバース -Multiverse-)

 

- いつでも同じ工程で宇宙がいくつも創生しうる。(多宇宙:マルチバース理論)

- アインシュタインの理論からは、複数の宇宙が存在する可能性が示され、量子論からは、それらの宇宙のあいだをトンネル効果で移動できる可能性が示された。
- 私たちが存在する宇宙は、重力(引力)と斥力の絶妙なバランスでなりたっている。(トランプリンの例:隣に重い人がいたら、自分は沈む。同じようにそれぞれの恒星の重さが恒星の位置を決めている。太陽系でも恒星の重さにより各惑星の位置が決まっている)少しでもバランスがずれれば、私たちは宇宙のかなたに微塵となり飛んで行ってしまう。

 

- パラレルワールドがあったとしても、繋がることはこの宇宙とは物理法則が異なってくるので困難。でも宇宙と宇宙をつなぐトンネルがあり、奇跡的に両者の宇宙が通じていれば、違うエネルギー体として触れ合うことは可能なのかもしれない。 万が一に生物が存在したとしても、われわれより複雑で、DNAのような物質もより多くの元素でできているにちがいない。

タイムマシーンの可能性にも触れていたが、戻れたとしてもタイムマシーンをセットしてから以降には戻れても既に過ぎてしまった過去には戻れない。戻るには気の遠くなるような年月をかける必要がある。この辺りの理論は私の脳では理解不能。

 

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実はまだ第4章までしか読んでいないので、続きの読書ノートは日を改めます。

第5章からは本格的に宇宙間のパラレルワールドの可能性について述べています。

 

私が読み始めた理由。父と再会したい。

今の時点ではパラレルワールドに期待をするのは角度が違ったという理解。

 

でも改めて、アインシュタインの E=mc2 の数式は限りない可能性があって美しい発見だと思った。

 

 

2020年12月27日

 

この年もあと4日で終了し、まもなく2021年がスタートする。

 

2020年

 

 

わくわくするような語呂のいい年だったのに、世界的にも個人的にも辛口で、人の生活や思考までも一変してしまう年だった。

 

私も年始1月から、会社の一部の社員が抽選で選ばれる本社アムステルダムでのワークショップ兼パーティーの参加枠に選ばれたのに、前日に急性胃腸炎になりやむなく渡航を諦めるところからスタートした。

 

その後、コロナウィルスが世界に蔓延し、- ウィルスのパンデミック- という、小説でしか知り得なかった体験をかれこれ10ヶ月続けている。

 

その間に、海外の友人と楽しむ予定だったオリンピックも中止になった。

 

仕事はワークホームとなり、ヨガに通うこともやめ、家に四六時中いる生活が始まると、左肩が動かなくなった。整骨院に通い、時々襲う激痛に肩をさすりながら、「こんな一年もあるんだなあ」と心の中で呟く日々。

 

家族には忍び逢いのようにしか会えず、父の三回忌に集合することもできなかった。

 

故郷に帰れない盆と暮れ、光の消えたクリスマス。

 

当たり前の生活が、当たり前にできなくなった日々。5日後に2021年を迎えても、この日々は続くことがわかっている。

 

コロナによる世界の死亡者数は176万人。おおよそ実感として把握できない数値。仮に日本人の人口に176万人を当てはめると約72人に一人の割合で死亡者がでていることになる。そしてその死亡者のほとんどは、自分が2020年に死亡するとは予想だにしなかったのに、ほんの数ヶ月で人生を終えることになった人たちだ。

 

2020年の地球上は、どれだけ多くの涙と無念さに包まれたのだろうと思う。

 

 

それでも

 

 

それだからこそ

 

 

無くせざるをえないものがある中で、生き残る者が無くしてはいけないものを心の奥底で感じ取れた年でもあったと思う。同時に、変わることを望まなくても、変化する社会に柔軟に応変していかざるを得ない事実を目の当たりにした年だったと思う。

そして来年はそれがもっと明らかになっていくのだろうと思う。

 

天災やウィルスの猛威には、人間は驚くほど脆弱だ。

知識で地球を統制する猛者として自らを意識下におく人間も、自然の摂理の中では、地球上の一つの生命体にすぎないことを思い知らされる。

 

 

私たちは主張しすぎる快楽主義、人種主義、優劣比較で一世代を築いてはこなかったか。コロナ禍の中では、黒も白も黄色も土色も関係なく被害を被っているというのに。富めるものも貧しいものも、強きものも、弱きものも、有名でも無名でも、善良でも悪党でも、コロナにはそんなの関係ない。人間の作った基準枠など無視して、コロナの渦は私たちを巻き込んでいる。

 

 

2021年

 

 

そんな一人の人間としてのちっぽけな私は、少なくとも同じ種の-人-をリスペクトして、協力できることはしていきたいなと思う。-人-が幸せになる言葉を使い、今あるもの全てに感謝しようと思う。簡単にできることでもないので、努力しなくては。

少なくともご飯が食べられて、汚れを流し渇きを潤す水があり、寒さを凌ぎ疲れを癒す家があることに感謝。そしてなにより、会話ができる家族、友人や知人、通りすがりの人がいることに感謝。

 

 

このブログを読んでくださった方、読んでいない全ての方にとって2021年が素晴らしい一年となりますように。幸は常に我が心の中に。

 

 

今年もありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Go To トラベルを使って北海道に行ってきた。

千歳空港からレンタカーで直接札幌までいくのは勿体ないので、夕張・富良野まで足を延ばして。

 

私は山田洋次監督の映画がとても好きですが、幸福の黄色いハンカチという映画を昔見たときには子どもながらに、不器用な優しさを醸し出す高倉健演じる男性の魅力を感じ、「なんて切なくて温かなストーリーなんだろう」と感動したことを覚えている。

 

夕張市は、幸福の黄色いハンカチのロケ地だったため「幸福の黄色いハンカチ想い出ひろば」という場所がある。石炭発掘地として栄えていた時代には活気に溢れていたであろう夕張の街は、今は人も店も少なく、ただ広大に広がる土地の一角にポツンとある一軒家がチケット販売所だった。撮影当時からあった床屋さんを唯一残しているのだそう。そこにはご年配の男性が一人チケットを販売し、店内に飾られている役者さんたちの写真などについて、ポツポツと訪れる観光客に話してくれた。

 

 

少し歩くと風にたくさんの黄色いハンカチがたなびいていた。

うまく表現できないけど、" フワー" と心が波打つように感動した。

青い空、紅や黄金色に輝く木々、木造とトタンの家。そして黄色いハンカチ。

風の音以外何もないけどとても幸せだった。

 

 

 

山田洋次監督は、この映画を洋楽の曲調と歌詞から想像を広げて造ったという。

Dawnが歌う「Tie A Yellow Ribbon Round The Ole Oak Tree」。

歌詞が映画のストーリーにあまりにも一致していて、でも山田洋次監督の脚色はあまりにも日本テイストで二度感動。

 

 

 

I'm comin' home,
I've done my time
Now I've got to know
what is and isn't mine


If you received my letter
telling you I'd soon be free
Then you'll know just what to do
If you still want me
If you still want me

 

tie a yellow ribbon
'round the old oak tree
It's been three long years
Do ya still want me?
 

If I don't see a ribbon
'round the old oak tree
I'll stay on the bus
Forget about us
Put the blame on me
If I don't see a yellow ribbon
'round the old oak tree

 

Bus driver, please look for me
'Cause I couldn't bear
to see what I might see


I'm really still in prison
And my love, she holds the key
A simple yellow ribbon's
what I need to set me free
I wrote and told her please

 

tie a yellow ribbon
'round the old oak tree
It's been three long years
Do ya still want me?

If I don't see a ribbon
'round the old oak tree
I'll stay on the bus
Forget about us
Put the blame on me
If I don't see a yellow ribbon
'round the old oak tree

 

Now the whole damned bus is cheerin'
And I can't believe I see …


A hundred yellow ribbons 'round the ole oak tree

 

I'm comin' home, mmm, mmm...

 

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山田洋次監督が直筆で書いた言葉が展示されていた。

 

ぼくたちは

幸福な思い出をもっているのか.

あるいは今、幸福か.

それとも、幸福な未来に向かっているのか?

 

山田洋次

 

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横浜駅東口を出て少し歩くと高架下を通り越したあたりに小さな花屋さんがある。

この場所は数十年と通り過ぎる道だけど、これまでキムチ屋さん、アクセサリーショップ、野菜店などがテナント仮りするが、短期間で撤退していった。この花屋さんを見つけた時、「いつまでもつかな」というのが正直な気持ちだった。花屋さんでは最初の頃は高齢の男性が一人店番をしていた。高架下周辺の無機質な風景の中に並ぶ綺麗な花は、日々に少しだけ彩りを足してくれている。

このお店の花は実がしっかりしていて枯れにくい。去年はお盆の時期に亡き父にリンドウを買って帰省したが、今年は田舎の母から、「田舎でもコロナに敏感になっているから…」と連絡があり帰省しないことにした。

 

代わりに明日から6連勤。自宅勤務とはいえ頑張れるのか、自分。

 

いつも七色の花が花屋さんの店先に並んでいたけど通り過ぎていた。「スプレーでこんな風に着色しちゃうのかな」「海外のお祭り用の花が日本にも売り出されているのかな」などと思っていたが、今日その店の前を通った時に、その華やかな色に6日間を応援してもらえるような気がして一本購入した。

 

今日は高齢の男性が静かに立っている傍にいたご家族の人らしき女性が対応してくれた。

「これはスプレーか何かで着色してるのですか?」と聞いてみると、「これは色のついた水分を吸ってこの色にしているんですよ」と教えてくれた。枝先を数本に割って切り、それぞれの枝を複数色にわけた食用着色料にそれぞれ差し込み育てるのだそう。海外で育てられた花だとのこと。

家に帰って検索すると、バラやドライフラワーなどにも同じ方法でレインボーカラーにしている写真が並んでいた。

 

植物の根っこで吸った水の色がそのまま花びらに浸透していくんだ…と思うと少し衝撃的だった。鮮やかなピンク、涼しげな紫、青、太陽のような橙と黄、優しいグリーン。色のついた水が、例えば人にとっての環境だとしたら、人もこんな風にその色に染まっているのかもしれない。たくさんの切り傷があるほどたくさんの色を持てるのかもしれない。そんなことを考えた。

 

それにしてもレインボーカラーは植物としてのリアル感がない。それでも色のパワーで6連勤は乗り越えられそうな気がする。

 

そしてあの花屋さんがずっとあそこに居てくれることを陰ながら願っている。

 

 

 

 

昨日BSで男はつらいよを放送していた。

懐かしいなあと思いながら、あの昭和な雰囲気にあっという間に引き込まれていった。

「私の寅さん」マドンナは岸恵子。綺麗な人は何十年後に見ても美しい。

およそ30年前にこれだけ素敵にトレンチコートを着こなす女性がいたんだなあとしみじみ思う。そしてその女性はその人自身からどこか海外の風を漂わせていた。

 

特に鼻が高いわけでも形が全て整っているわけでも無いのに、寅さんに登場するマドンナは男女問わずに惹きつける魅力を持っている。これは監督やカメラワークを含む演出の力も大きいのだと思うけど、マドンナたちは女性特有(と男性が思いたい?)か弱さ、儚さ、健気さ、強さ、神秘さ、色気が満ち溢れている。

 

今回のマドンナは絵描きを生業として一人自宅でキャンパスに絵を描き続けている女性。その痩せた身体から兄からも寅さんからも「キリギリス」と揶揄される。代わりにマドンナも寅さんを「熊さん」と間違え続ける。大喧嘩からの出会いだったけど、マドンナが謝るために「とらや」に訪ねてくると寅さんはいつものように恋のループに迷い込む。

 

寅さんを久しぶりに見て気づいたことは、マドンナは寅さんを振ってはいないということ。今回はマドンナが -想っていた男性が別のお金持ちの女性と結婚するということを知り傷つき落ち込んでいた- ということを知った寅さんが「失恋」し、また旅に出る決心をする。少し意外だった。ということは、寅は相思相愛だと思っていたのか。例え惚れてしまった女性に好きな人がいたとしても自分が身を引くほどのことなのか。相手が失恋したのなら、むしろ傍にいてあげられるのではないか。

 

でもよく考えてみると、失恋の痛みを知り尽くす寅さんだからこそ、相手の気持ちを大切にして動くのかと思う。自分にできることは何も無いと。失恋をした人に自分を滑り込ませるなんてことは思いもしないのかもしれない。その代わりに寅さんは妹のさくらに「あの人がパンをコーヒーに浸して食べているところなんかを見たら、お前、栄養のあるものを作って届けてやってくれよ」と言い残す。

寅さんはいつも優しい。そして「粋」だ。それが寅さんの色気だとも思う。

 

 

寅さんは必ず真冬の木枯らしが吹く中とか、小雨の降る夕方とか、寂しい時間帯に「とらや」を出て旅に出る。

「ぬくぬくと、こたつに入ってなんかいられねえのが渡世人の辛いところよ」とかなんとかいいながら。

それが さくらやおばちゃんの涙を誘い、観客に「この真っ暗な木枯らしの中一人電車に乗り、行き着いた町の古びた旅館に泊まるんだろうなあ」という連想をさせ侘しさを残す。

 

しかし「男はつらいよ」のラストはいつも観た人に笑顔を残してくれる。新年を迎えた賑やかな「とらや」にマドンナから届いたスペインからの絵葉書をさくらが手に取って読むシーンの後に、満面の笑みの寅さんが「よってらっしゃい、みてらっしゃい…。」と、マドンナが残した言葉をちりばめながら、露店で商売をするカットで終となる。

 

蛇足なまとめだが、渥美清にしても志村けんにしても、人に笑いを届け続けてくれた人が死去していなくなってしまうというのは、人をとてもとても寂しくさせる。恋しいものだ。