昨日BSで男はつらいよを放送していた。
懐かしいなあと思いながら、あの昭和な雰囲気にあっという間に引き込まれていった。
「私の寅さん」マドンナは岸恵子。綺麗な人は何十年後に見ても美しい。
およそ30年前にこれだけ素敵にトレンチコートを着こなす女性がいたんだなあとしみじみ思う。そしてその女性はその人自身からどこか海外の風を漂わせていた。
特に鼻が高いわけでも形が全て整っているわけでも無いのに、寅さんに登場するマドンナは男女問わずに惹きつける魅力を持っている。これは監督やカメラワークを含む演出の力も大きいのだと思うけど、マドンナたちは女性特有(と男性が思いたい?)か弱さ、儚さ、健気さ、強さ、神秘さ、色気が満ち溢れている。
今回のマドンナは絵描きを生業として一人自宅でキャンパスに絵を描き続けている女性。その痩せた身体から兄からも寅さんからも「キリギリス」と揶揄される。代わりにマドンナも寅さんを「熊さん」と間違え続ける。大喧嘩からの出会いだったけど、マドンナが謝るために「とらや」に訪ねてくると寅さんはいつものように恋のループに迷い込む。
寅さんを久しぶりに見て気づいたことは、マドンナは寅さんを振ってはいないということ。今回はマドンナが -想っていた男性が別のお金持ちの女性と結婚するということを知り傷つき落ち込んでいた- ということを知った寅さんが「失恋」し、また旅に出る決心をする。少し意外だった。ということは、寅は相思相愛だと思っていたのか。例え惚れてしまった女性に好きな人がいたとしても自分が身を引くほどのことなのか。相手が失恋したのなら、むしろ傍にいてあげられるのではないか。
でもよく考えてみると、失恋の痛みを知り尽くす寅さんだからこそ、相手の気持ちを大切にして動くのかと思う。自分にできることは何も無いと。失恋をした人に自分を滑り込ませるなんてことは思いもしないのかもしれない。その代わりに寅さんは妹のさくらに「あの人がパンをコーヒーに浸して食べているところなんかを見たら、お前、栄養のあるものを作って届けてやってくれよ」と言い残す。
寅さんはいつも優しい。そして「粋」だ。それが寅さんの色気だとも思う。
寅さんは必ず真冬の木枯らしが吹く中とか、小雨の降る夕方とか、寂しい時間帯に「とらや」を出て旅に出る。
「ぬくぬくと、こたつに入ってなんかいられねえのが渡世人の辛いところよ」とかなんとかいいながら。
それが さくらやおばちゃんの涙を誘い、観客に「この真っ暗な木枯らしの中一人電車に乗り、行き着いた町の古びた旅館に泊まるんだろうなあ」という連想をさせ侘しさを残す。
しかし「男はつらいよ」のラストはいつも観た人に笑顔を残してくれる。新年を迎えた賑やかな「とらや」にマドンナから届いたスペインからの絵葉書をさくらが手に取って読むシーンの後に、満面の笑みの寅さんが「よってらっしゃい、みてらっしゃい…。」と、マドンナが残した言葉をちりばめながら、露店で商売をするカットで終となる。
蛇足なまとめだが、渥美清にしても志村けんにしても、人に笑いを届け続けてくれた人が死去していなくなってしまうというのは、人をとてもとても寂しくさせる。恋しいものだ。