2020年6月5日に拉致被害者の救出運動を続けられてきた、横田滋さんが逝去された。

 

私は数年前にご本人を京浜急行線でお見かけしたことがある。

その人はあまり混んでいない車内に座り、床の一点に視線を落としていた。

優しいお顔立ちでいつも微笑んでいるような印象は変わらないが、どこか表情がこわばっていて体全体から滲み出る悲しみの佇まいがあった。かける言葉をすべて失う人だった。

 

拉致。

 

国をまたいで行われる人さらいだ。

横田夫妻は何十年と娘のめぐみさんを取り戻そうと、当時日本では誰も辿ったことのない人生を歩んできたご夫婦だったと思う。

ただただ自分の娘に会うために、課せられた国家間で繰り広げられる軋轢の重さに耐え、戦ってきた父であり母であった。

ご夫婦を見ていると、親の限りない愛情のありか(在り方ではなく在処)を知らされているような気がしていた。

どんな言葉を紡いでも表せないもの、横田夫妻を見ていて心で感じている今の気持ちが「愛」なのだろうと思う。

 

北朝鮮の説明によれば、横田めぐみさんは1986年に結婚、1987年にキム・ウンギョンさんを出産。1994年4月、病院で自殺(原因不明)、1997年に火葬となっている。北朝鮮はめ2004年にめぐみさんが既に死去していることを伝え遺骨を提出したが、DNA鑑定での結果は男性のものだった。その後は病死・事故死・自殺、処刑、あるいは隔離されているが生存しているなどの憶測が飛び交うのみで、横田夫妻はお孫さんには会えたものの、めぐみさんには会えていない。

 

もし、

 

もしもめぐみさんが既に亡くなっていて、しかし遺骨が無い状態であったとしても、その事実を事実として伝えることができたのなら、どれだけ横田夫妻の気持ちの荷は下りただろう。

生きている望みがあるからこそ、助け出してあげたい、もう一度抱きしめてあげたいという気持ちは、どれほど強かったことだろうと思う。

 

横田滋さんの死去のニュースを聞いたときに、あの電車でお見かけした時の、うつむいた滋さんの表情が鮮明に浮かんで、その後には胸がぎゅっと締めつけられた。

 

 

心よりご冥福をお祈り申し上げます。

 

 

 

 

川瀬巴水 木版画集

 

私は旅をすることが好きです。

20代は海外を周り、30代からは日本を巡ることが心を満たしてくれました。

大切な人との別れ、死別などあったときに、一人で旅に出ることはある意味エネルギーがいる。

なんのために行くのかという目的があるわけでもなく、ただ日常から離れた場所に行けば何かが見えるかもしれないと信じるから行く。

さらなる虚無感や絶望に襲われて帰って来ることになっているかもしれないと心の奥で不安を感じながらも、とりあえず玄関のドアを背に閉めて歩く。

 

でも旅は私をいつも裏切らなかった。何かが私に感動を与えてくれた。

ただそこにある風、静けさ、賑わいさ、家の灯火、鳥の声、ゆうげの香り、家の中に佇む老夫婦の影、夕日の美しさ、ゆるく白く照る月、雨の音...  心地よく包み込んでいる疎外感が私を癒す。

 

この画集の作者も旅を愛していた人だったとのこと。旅で出合った風景を木版画に残している。

見ていると日本の「詫び寂び」を感じ、人々が自然と共に質素に、でもどこかに希望を抱えて暮らしている情景がありありと広がり、あたかも自分が旅をしているような満たされた気持ちになる。

 

旅が思うようにできない今こそ、きっとこの画集は私たちの心を満たしてくれると思います。

 

 

 

 

ウィルスは生きている[講談社現代新書 / 中屋敷 均]

 

久しぶりの科学本のご紹介です。

こちらは2016年3月に初版が発行され、第32回講談社科学出版賞を受賞した本で、現在コロナウィルスに占拠された世界に暮らす多くの人に是非ともご一読いただきたい。そして特にコロナウィルスが憎いとか、得体の知れない突然現れた "モンスター" が不安でしかたがないという方にお薦めしたい。実際私も2週間前に書いた「コロナ  人の類」では、コロナウィルスがもたらした恩恵にふれつつも、コロナウィルスをヒトとの勝敗の対象としていた。でもあらゆるウィルスは少なくとも、私たちヒトを攻撃する目的で現れたものではないこと、そしてこの地球生命体の中で共に「生の存続」のために漂う "同志" であることを知っていただけると思う。

 

この本はまずウィルスとは何なのかというところから示してくれている。

私たち人類はあたかもウィルスは、感染するヒト(宿主)の健康を害し、時に命を奪うことで自分の居場所を増やそうと策略して現れたモンスターのように感じてしまう。しかし実際は、ウィルスは「タンパク質 + リボ核酸 (DNA型 or RNA型)である。

 

当然細胞を持っているわけではなく、自らだけでは細菌のように増殖 / 成長 / 進化ができない。また生物ではない(ここは反論の余地がたくさんあるが)から、「子孫を残すために天敵を倒していくぞ!」といった進化のベクトルを持ち合わせているわけでもない。

ウィルスからするとただ他の生命体や植物などに転移(ヒトからすると感染)して一部のDNA配列またはRNA配列と組み代わることで自分の居場所を見つけているにすぎない。その転移さえも自ら動いているわけではなく、人同士の接触や空気などによって居場所が広がっている。

著者は次のように述べている。「実際ウィルスは生きた宿主の細胞の中でしか増殖できないのだから、宿主がいなくなればウィルス自体も存在できなくなる。理屈上ではウィルスにとって、宿主を殺してしまうメリットは極めて乏しく、積極的に宿主を殺すようなモンスターは、いずれ自分の首を絞めることになる。ウィルスはまさに迷えるモンスターなのだ」と。

 

しかし人からしたら勝手にDNAまたはRNAの一部が組み替えられることで、対応できる基礎体力を持ち合わせていない人や妊婦、特にコロナウィウルスでは呼吸器に疾患がある人などでは肺炎というかたちで病に罹ったり命を落としたりするのだから、「災厄を招くもの」であり恐怖の対象にしかなりえない結果となっている。

 

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この本ではウィルスの本質について、さらには生命の本質についても豊富な例と共に詳細に記述している。

ウィルスは、宿主 ( 細菌、植物、昆虫、人間) に転移することで悪影響ばかりを及ぼしてきたわけではなく、時に宿主と一体化するか、さらには宿主を天敵から守る生体に遺伝子が変異することで宿主の進化を助けてきたということなど。

例えば人間の胎盤形成には、ウィルスに由来するといわれるシンシチンというタンパク質が深く関与している。シンシチンは、母親の免疫系による攻撃から胎児を保護する「合胞体性栄養膜」の形成に重要な働きをするという。

 

著者は人間をはじめとするすべての生命の本質について、根本的に多種多様な分子や分子より微小なウィルス、無機質(ミネラル)等が "運任せの出会い" によって融合し、深海や陸上に様々な個体を形成していった産物なのだと伝えてくれます。気の遠くなるような年月を得て、ヒトは複雑な思考回路を持つ生物と進化して現在に至り、自分たちを構成しているパーツの一つであるウィルスとどう向き合っていくのかを、考える機能「脳」を使って、他者と「協力」して模索している。ヒトというのがあらためて奇跡的で奇特な生体だと感じる。

 

この本は科学者たちが強毒ウィルスに情熱を持って挑んできた歴史も記載されていて興味深い。

まだDNAの二重らせんモデルも発表されておらず、遺伝子がどんな物質なのか、その実態も判然としていなかった時代に、一定の長さの配列がゲノムDNA上を「転移する」転移因子を提唱したアメリカの植物遺伝学者がいたこと。彼女がそれを「動く遺伝子」と仮説したが、当時だれからもまともに相手にされなかったこと。(のちに生存中にノーベル生理学・医学賞受賞)

 

DNA配列が解読されてのち、その80年前にスペイン風邪(インフルエンザウィルス)で大量の死者が出たアラスカ辺境の村を訪れ、墓をおこして調査する研究者の話などは、その執念に読んでいて感動すら覚えた。

 

是非とも多くの方に読んでいただけたら嬉しいです。

 

 

 

 

 

COVID-19が蔓延するようになってから、夜に散歩をすることが多くなった。

夜9時。GWだというのに大通りには信号の光が照っているだけで人影が全くない。車のない道路の直線状にはランドマークタワーが聳え立っているけど上部のホテル施設の電灯が灯っているのはたった3部屋。外の澄んだ空気。静かすぎる街並み。いつかみたトムクルーズが出てた映画の街みたいだと思った。

 

Amazon Primeで無料で観られる映画がある。今日はFounderという映画とWonderという映画2本を観た。

邦題は「ファウンダー ハンバーガー帝国のヒミツ」と「ワンダー 君は太陽」

どうしても話はずれてしまうが、邦題については突っ込まざるを得ない自分がいる。そろそろFounder とか Wonder といった英単語をカタカナにして、さらに邦題を考えた人たちの**主観的な**作品の主旨をサブタイトルとするのはやめてほしい...な。

日本人もたいがいFounder とか Wonder の意味はわかる。それにヒミツと秘密をカタカナにするとちょっと本題とずれた角度の意味合いに取れる。柔らかすぎる。

 

それはさておき、Founderはマクドナルドがどうやって全米チェーンになっていったかという過程を、元はしがないグッズ営業を生業としている男を主役として表している映画だ。人を裏切り自らの信念と執着に従い成功を手に入れながらも、最後には一抹の虚無感を感じさせる主人公は、2010年に公開された映画The Social Networkの中のFacebook 創設者マーク・ザッカーバーグを彷彿とさせた。こういった映画の作り方は「人の良心」や「人の道理」を人生の基盤とする一般的な人々に向けて発信するには最良の方法だと思う。しかし結果的にFacebookもマクドナルドも世界的な経済効果を生み出し、人の生活に有効に取り入れられているということを考えると、人の道を外れた欲や執着が必要悪にもなり得ると考えさせられる映画だった。「必要」かどうかについての意見は別れると思うけど。

 

Wonderは顔が奇形で誕生した少年が小学5年生になる年に初めて学校デビューすることから始まるストーリー。

彼には高校一年生になる優しい姉もいて、この映画は10歳前後のこどもたちと16歳前後の思春期の学生らの友情や恋愛が上手く描かれていた。愛情深く仲の良い両親がこどもたちを温かく見守り支えている姿は、観ていて気持ちが浄化されていくようでお薦めです。いじめっこにもどうしてそうなったかという理由が必ずある。他者が変えられないことがあるということ、故にこどもを救いきれないことを知っている校長の優しい眼差しと、「彼の顔は彼にはどうすることもできない。だったら周りの人の彼を見る目を変えるしかないじゃないか」という校長の言葉が印象に残っている。真っ当なことを言ってくれる大人の存在は、たとえそれが家族でないとしてもこどもを救うことがある。

 

お時間があるこの時期に、ぜひご覧いただきたい作品だった。

 

 

 

自分が生きている間に、世界中のルーティンと常識が停止される経験をするとは考えていなかった。

その常識もこの100年のあいだに確立した資本経済社会でしかないのだけど。

ウィルス体であるコロナ vs ヒト科人間。コロナウィルスの居場所が増え、人間の命が奪われるという意味で、勝敗は今の所コロナが圧勝。

 

実際コロナは突然世界に拡散し、人が築きあげた社会のルーティンを停止した。

老人は出歩けなくなり、大人は仕事ができなくなり、学生は学校に行けなくなり、幼児は外で遊べなくなった。

正確に言うと「集団で」「他者と」それらをすることがコロナによって阻まれた。

 

「個」になってこれまで生きてきた世界、一時停止している世界をみてみると、これまで人が囚われがちであった価値観がまったく実感として感じられなくなってくる。ステイタス、ポジション、勝ち組・負け組、給与の差異、外見そういったこと。

 

このような状況の中でヒーローと呼ばれるのは命やライフラインを繋ぐ職業で自分の生命のリスクを承知しつつ働いている人々。

あるいは海外の一部ではそれは働かざるを得ない人々であり死亡率と比例している。

 

根源的に考えると生きていく上で不可欠なのは食料(農水畜産業)、医療、水道・電熱等のライフライン関連業、交通、物流、燃料生産業といったもので、それ以外は人の生活を精神的・知能的・肉体的に「豊か」にし、生活を機能的にするためのものだったとあらためて思う。そしてそれは人が人と楽しむために生み出したものだから、人との繋がりがなければ成り立たない。

 

コロナウィルスはたくさんの貴重な命を奪っていった。明日は自分か自分の大切な人の命を危ぶませるのかもしれない。

 

でも

 

早朝の窓から流れてくる風、久しぶりに家の外にでた時に吸う空気はとんでもなく清らかでおいしい。

見上げると空は澄んだ水色をしていて、木々は陽に照った緑が輝いている。

シャワーの水はすべての汚れとにおいを洗い流すだけでなく、萎みかけたメンタルをリセットしてくれる。

 

久しぶりに自分の気持ちをこのブログに残せてる。囚われていた不要な価値観が払拭されている。

人と関わり大笑いしたいと思っている。人から新しいことを学びたいと思っている。子どもたちが外で走り回る姿を見ていたいと思う。おいしいレストランに行きたいと思う。世界中のフリーマーケットを散策したいと思う。

 

人と関わり人の中で生きたいと願っている。

 

 

 

静かに猛威を振るうコロナから学ぶことは多いのかもしれない。

そういっていられるのもコロナに打ち勝つ勝算が人間にあるうちかもしれないけど。