ウィルスは生きている[講談社現代新書 / 中屋敷 均]
久しぶりの科学本のご紹介です。
こちらは2016年3月に初版が発行され、第32回講談社科学出版賞を受賞した本で、現在コロナウィルスに占拠された世界に暮らす多くの人に是非ともご一読いただきたい。そして特にコロナウィルスが憎いとか、得体の知れない突然現れた "モンスター" が不安でしかたがないという方にお薦めしたい。実際私も2週間前に書いた「コロナ 人の類」では、コロナウィルスがもたらした恩恵にふれつつも、コロナウィルスをヒトとの勝敗の対象としていた。でもあらゆるウィルスは少なくとも、私たちヒトを攻撃する目的で現れたものではないこと、そしてこの地球生命体の中で共に「生の存続」のために漂う "同志" であることを知っていただけると思う。
この本はまずウィルスとは何なのかというところから示してくれている。
私たち人類はあたかもウィルスは、感染するヒト(宿主)の健康を害し、時に命を奪うことで自分の居場所を増やそうと策略して現れたモンスターのように感じてしまう。しかし実際は、ウィルスは「タンパク質 + リボ核酸 (DNA型 or RNA型)である。
当然細胞を持っているわけではなく、自らだけでは細菌のように増殖 / 成長 / 進化ができない。また生物ではない(ここは反論の余地がたくさんあるが)から、「子孫を残すために天敵を倒していくぞ!」といった進化のベクトルを持ち合わせているわけでもない。
ウィルスからするとただ他の生命体や植物などに転移(ヒトからすると感染)して一部のDNA配列またはRNA配列と組み代わることで自分の居場所を見つけているにすぎない。その転移さえも自ら動いているわけではなく、人同士の接触や空気などによって居場所が広がっている。
著者は次のように述べている。「実際ウィルスは生きた宿主の細胞の中でしか増殖できないのだから、宿主がいなくなればウィルス自体も存在できなくなる。理屈上ではウィルスにとって、宿主を殺してしまうメリットは極めて乏しく、積極的に宿主を殺すようなモンスターは、いずれ自分の首を絞めることになる。ウィルスはまさに迷えるモンスターなのだ」と。
しかし人からしたら勝手にDNAまたはRNAの一部が組み替えられることで、対応できる基礎体力を持ち合わせていない人や妊婦、特にコロナウィウルスでは呼吸器に疾患がある人などでは肺炎というかたちで病に罹ったり命を落としたりするのだから、「災厄を招くもの」であり恐怖の対象にしかなりえない結果となっている。
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この本ではウィルスの本質について、さらには生命の本質についても豊富な例と共に詳細に記述している。
ウィルスは、宿主 ( 細菌、植物、昆虫、人間) に転移することで悪影響ばかりを及ぼしてきたわけではなく、時に宿主と一体化するか、さらには宿主を天敵から守る生体に遺伝子が変異することで宿主の進化を助けてきたということなど。
例えば人間の胎盤形成には、ウィルスに由来するといわれるシンシチンというタンパク質が深く関与している。シンシチンは、母親の免疫系による攻撃から胎児を保護する「合胞体性栄養膜」の形成に重要な働きをするという。
著者は人間をはじめとするすべての生命の本質について、根本的に多種多様な分子や分子より微小なウィルス、無機質(ミネラル)等が "運任せの出会い" によって融合し、深海や陸上に様々な個体を形成していった産物なのだと伝えてくれます。気の遠くなるような年月を得て、ヒトは複雑な思考回路を持つ生物と進化して現在に至り、自分たちを構成しているパーツの一つであるウィルスとどう向き合っていくのかを、考える機能「脳」を使って、他者と「協力」して模索している。ヒトというのがあらためて奇跡的で奇特な生体だと感じる。
この本は科学者たちが強毒ウィルスに情熱を持って挑んできた歴史も記載されていて興味深い。
まだDNAの二重らせんモデルも発表されておらず、遺伝子がどんな物質なのか、その実態も判然としていなかった時代に、一定の長さの配列がゲノムDNA上を「転移する」転移因子を提唱したアメリカの植物遺伝学者がいたこと。彼女がそれを「動く遺伝子」と仮説したが、当時だれからもまともに相手にされなかったこと。(のちに生存中にノーベル生理学・医学賞受賞)
DNA配列が解読されてのち、その80年前にスペイン風邪(インフルエンザウィルス)で大量の死者が出たアラスカ辺境の村を訪れ、墓をおこして調査する研究者の話などは、その執念に読んでいて感動すら覚えた。
是非とも多くの方に読んでいただけたら嬉しいです。