巣鴨の地蔵通りにはパーマ屋の娘が小さいときからの大好きな店屋がたくさんある。
商店街の入り口近くで餅菓子を売る店の主人や女将さんはいつも愛そうが良く
「おねえさんいつもすいませんね」と必ず声をかけ、
季節の果物や草花をおまけに付けてくれたり、
おつかいのもにたくさん買うと別に1つか2つよけいに大福やお団子をいれてうれる。
女性って幾つになっても「おばさん」なんて呼ばれたらむっとする。
そんななか かならづ
「おねんさん」は気持ちがいい。
食堂もついていてどんなに忙しくても
おばあさんやおじいさんの要領を得ない注文に
お店で働く人たちがいやな顔をしたのを見たことがない。
店主の人柄が店員さんにも伝わるのだろう。
 その店のすぐ側に人形焼きの店がある。
昔からの顔馴染みの職人さんが忙しく人形焼きを焼いている。
ずいぶん前だが商店街の青年会が中心になって毎月ボーリング大会を
開いていたことがある。
パーマ屋の娘も誰かに誘って貰って毎回参加していた。
その中にこの人形焼き屋の職人さんがたくさん参加していてずいぶん仲良くして貰った。
 香ばしいにおいのする午前中にこの前を素通り出来ない。
あんこの入っていない鳩の形をした一番安い袋を時々買うが
いつも可愛い格好でおいしい。
2度にわたる消費税などの値上げにも商品の便乗値上げなどしない根性がすごい。

 その少し先にお茶屋さんが何件か並んでいる。
この付近に集中しているので呼び込み合戦がすさまじい。
ちいさな茶碗に濃いお目のお茶を入れ、
3つ4つお盆に乗せ通りすがりの人に勧める。
巣鴨には結構古くからお茶屋さんをしている店が何件かある。
そのお茶屋さんだけで商売をしていたときには今のような呼び込み合戦はなかった。
気に入ったお茶屋さんで
「いつものください」と言えば200グラムで500円の粉茶を売ってくれた。
ある時、
個人商店らしくない会社が経営しているなと思わせるお茶屋さんが1件できて
ネクタイを締めた若い男の店員さんが客引きをするようになった。
古くからのお茶屋さん2件の目と鼻の先。新しいお茶屋さんができてからしばらくして呼び込み合戦の火蓋が切って落とされた。
 新しくできたお茶屋さんは若い男の店員さんが元気良く呼び込みをする。
もう一方では海苔の切れ端を客に勧める。
もう一軒では流行のお茶。
たとえば、グリーンティーという甘い味のついたお茶や羅漢果という実のお茶を勧める。
どこも元気でおもしろい。
でも、こちらが元気の無いときには少しうるさい。
そんなときパーマ屋の娘はぐるっと 避けて通ることにしている。

お地蔵さんの境内では夏には盆踊りが開かれる。
商店街の役員がハッピを着込み交通整理をしたり普段から
練習して備えた太鼓のばちさばきを披露したり結構な人出になる。
最近は無いようだがパーマ屋の娘が小学生の頃にはコンテストがあった。
何日か通って一通り踊りを覚えた頃コンテストが始まる。
商店街の近所の踊りのお師匠さんや商店会の役員が審査委員で
踊っている子の背中に番号の書いてある内輪を刺す。
内輪をさしてもらった子は舞台の上に上がり20人ほどがそろったところで
会場に来た人の投票で順位が決められる。
6位くらいから順に発表されて商店街のあちこちの店の品物が商品で渡される。
大人も子供も一緒の舞台だったから1位とか2位はたいてい大人だった。
うまいのは踊りを習っている子。
その当時も日本舞踊を習っている子は少なかったので特に目立った。
パーマ屋の娘の同級生の野口という女の子はお姉さんと一緒に踊りを習っている上に
姉妹で美人だったから最高に目立った。
おまけに、姉さんが踊りのお師匠さんをしているのでコンテストの条件は良かった。
「お姉さんが先生だもの当たり前よね」とやっかみ半分の陰口も有ったが
可愛くて踊りがうまいのは事実だった。
パーマ屋の娘も彼女が羨ましかった。
パーマ屋の娘はできるだけ上の商品がほしかったのである作戦を考え出した。
コンテストは1週間くらいある。
上位に入賞した人は決勝大会に出る資格と共にリボンの印を付けるので
内輪を刺すコンテストにはもうでない。
そこで、うまい人たちがいい加減選別されて人数の減った頃の日を見はからって
審査員の前を行ったり来たり。
パーマ屋の娘もちょっとは自信が有ったものだから上位の商品をねらった。
案の定5日目ともなると子供が多くなり作戦通り2等賞の商品をせしめた。
決勝にも残った。
 上手に踊る大人の人たちは浴衣に白い足袋に草履を履いていて、
なんだか特別な人と思えた。
その中には普段、商店街では見かけない人も多く隣の町から参加しているらしかった。
結局、決勝戦の上位入賞者は足袋を履いた人たちが独占。
同級生の野口という子も足袋を履いていた。
むろんパーマ屋の娘やほかの同級生たちは選外であった。
 今でも毎年夏になると盆踊りが開かれる。
パーマ屋の娘は中学生くらいになると盆踊りには行くものの踊りを踊らなくなった。
なんだか人前で踊るのが気恥ずかしくてせっかく作って貰った絞りの浴衣も
手を通さず終い。
そのかわり。
盆踊り大会は友達と堂々と夜、待ち合わせの出来る場であった。
中の良い友達とつるんでいるだけで楽しくて幸せだった。
巣鴨の隣町とか あちこちで開かれる盆踊り大会を順番に回って
屋台の焼きそばやアイスキャンディーを友達と分けあって食べるのが夏の行事になった。
そして、すっかり大人になった今でもゴム風船に安いジュースをいれて固めたアイスキャンディーや真っ赤なショウガの乗ったお好み焼きがパーマ屋の娘の夏の楽しみの一つだ。
パーマ屋の娘 と 地蔵な商店街の住人 通行人

パーマ屋の娘が遭遇した 商店街の住人 通行人の悲喜交々。 それは 全て パーマ屋の娘がかかわる単なる日常。 の はずですが・・・・。
2008-09-27(Sat)
その7歩

 パーマ屋の娘が幼稚園に通っていたころにはお地蔵さんの本堂は木造で、
今あるりっぱな山門はなかった。
線香を焚く鉄の大きな香炉も今のように灰が下に落ちる様なものではなく、
夕方になると寺男が香炉の下の口から真っ赤な線香の灰をかき出して
水をかけて消していた。
そのときに上がる水蒸気の匂いが線香の匂いと鉄の匂いが混じった様な匂いで
忘れられない。
パーマ屋の娘は良くお地蔵さんの境内で遊んだ。
大きな銀杏の木の下で葉っぱを集めて首飾りにしたり、
洗い観音の柄杓で境内に水をまいたりした。
その頃のお地蔵さんは今のように夕方まで人がわさわさといるわけではなく、
1時ころからお参りする人もまばらで、
お坊さんも暇だったのかパーマ屋の娘やその友達と良く遊んでくれた。
何人もお坊さんがいるときはバレーボール位のボールでキックベースなる
足でける野球の相手をしてくれたり、どっちボールの相手もしてくれた。
一人のときは
「遊園地の飛行機だー」と手を持ってぐるぐる回し一回10円と言って手をだした。
「ハイ、10円」といって手を差し出した。
差し出された手に葉っぱや小石を乗せるともう一度回してくれた。
お坊さんかパーマ屋の娘のどちらかが目が回って気持ち悪くなるとその遊びはおわった。
今頃はどこかのお寺の住職にでもなっている偉いお坊さんだったのかもしれない。
今時のお坊さん達は子供と遊んだりするのだろうか?

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 パーマ屋の娘が幼稚園に通っていたころにはお地蔵さんの本堂は木造で、
今あるりっぱな山門はなかった。
線香を焚く鉄の大きな香炉も今のように灰が下に落ちる様なものではなく、
夕方になると寺男が香炉の下の口から真っ赤な線香の灰をかき出して
水をかけて消していた。
そのときに上がる水蒸気の匂いが線香の匂いと鉄の匂いが混じった様な匂いで
忘れられない。
パーマ屋の娘は良くお地蔵さんの境内で遊んだ。
大きな銀杏の木の下で葉っぱを集めて首飾りにしたり、
洗い観音の柄杓で境内に水をまいたりした。
その頃のお地蔵さんは今のように夕方まで人がわさわさといるわけではなく、
1時ころからお参りする人もまばらで、
お坊さんも暇だったのかパーマ屋の娘やその友達と良く遊んでくれた。
何人もお坊さんがいるときはバレーボール位のボールでキックベースなる
足でける野球の相手をしてくれたり、どっちボールの相手もしてくれた。
一人のときは
「遊園地の飛行機だー」と手を持ってぐるぐる回し一回10円と言って手をだした。
「ハイ、10円」といって手を差し出した。
差し出された手に葉っぱや小石を乗せるともう一度回してくれた。
お坊さんかパーマ屋の娘のどちらかが目が回って気持ち悪くなるとその遊びはおわった。
今頃はどこかのお寺の住職にでもなっている偉いお坊さんだったのかもしれない。
今時のお坊さん達は子供と遊んだりするのだろうか?