無敵の開運行動
無敵の開運行動皆さんご機嫌いかがでしょうか。もうすっかり全国的に春の陽気に包まれていますね。3月12日ちょうど18年前になりますが私が妊娠8か月で夫から逃げて実家に辿り着いた日です。2005年3月10日夫を「行ってらっしゃい」と仕事へ送り出したまま嫌々ながら両親に連れられ当時の夫と住んでいた家を出ました。何がどうやって導かれたのかは複雑で説明できませんが出て行った次の日の3月11日死んだと聞かされていた夫の母親に会うことができ色んな話を聞きました。「あなたはあの子とは 幸せになれないよ。 このまま ご両親と帰った方が良い。」放心状態になり着の身着のままでしたが寝台列車に乗って実家まで帰りました。心にも抵抗はありませんでした。当時の実家は父が脳梗塞で倒れて廃業してしまい帰っても経済的な余裕はありません。着るものが買えず私はおばあちゃんのお古のパジャマを着て過ごしました。家族は何かと意見が食い違いお互いを責め合うようなことばかり。精神的に弱り妊婦だった私は居心地が悪く食事も砂を噛むような感覚で喉を通りません。私は自分を不幸のどん底だと感じていました。健康状態が悪くどこの産婦人科も受け入れてもらえなかった私はNICUのある病院で出産することに。そんな周囲の誰もが難産ではないかと心配する中なんと事態はどんどん好転していきます。いざ生まれるという日分娩台から破水までが1時間。破水してから生まれるまでが30分の安産。娘も五体満足。何より、娘が生まれると家という暗い穴蔵の中に光が差し込んだようでした。娘が家にやってきてから毎日皆が隙を狙って娘の様子を見に来るようになりました。あやしたり抱っこしたりすると娘から返ってくる「笑顔」に大喜びします。喧嘩していた私の両親は娘のお風呂タイムになると阿吽の呼吸で協力するようになります。泣くことすら愛おしくて娘の「笑顔」と「泣き顔」のおかげで困窮した生活の中でも家族みんなが「笑い」を絶やすことなく生きました。「神様は人の姿になって現れる」と言いますが今思い起こすと18年前神様は夫の母親になって私の前に現れてくれたのでしょう。そう感じられるのは不幸のどん底で産んだ娘の「笑顔」が生みだしたこの奇跡を見てきたからです。私の幸せを願ってくれた夫の母親と生まれてきてくれた娘一緒に育ててくれた家族娘に命を与えてくれた当時の夫に心から感謝しています。誰がどのようにして「笑顔」を「えがお」という名前にしたのか分かりませんがこれは無敵の開運行動です。生まれたばかりの赤ちゃんは目が見えるようになると人を認識するようになって泣いたり、笑ったりするようになります。赤ちゃんが屈託のない笑顔を見せたり声を出して笑ったりすると嬉しく思わない人はいません。でも実は赤ちゃんは特に面白くて笑っているのではなく赤ちゃんが「笑う」ことは人間の生存本能に近いところにあるそうです。つまり、無力で無防備無抵抗で弱い自分を「愛」してもらい人に守ってもらうために「笑顔」になっている。人に愛される術を生まれながらに持っているということですね。今日は「笑顔」のご縁日です。さあ、皆さんも鏡を見て笑ってください。その笑顔で出かけてみましょう。今日の開運行動は「笑顔」。きっと良い一日になりますよ。そして今日のマントラは皆さんの笑い声そのものです。お読みいただき感謝致します。それではまた。