書籍紹介『悪童日記』Le Grand Cahier | ちらこれさらり

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  海外書籍『悪童日記』Le Grand Cahier

『悪童日記』 アゴタ・クリストフ著(1935ー2011) 1991年初版 早川書房

                   訳・堀茂樹 装填・高木桜子   *1986年初版フランス スイユ出版社

 

『戦時下。ぼくらはお母さんに連れられて<大きな町>から<小さな町>へ。

   お母さんはぼくらを魔女と呼ばれるおばあちゃんに預けて去った。

   おばあちゃんは働き者だが、不潔で口汚い。暴力も振るう。その下で生活するために

 ぼくらは鍛錬した。働き、暴力に耐える訓練をした。罵詈雑言に耐える練習をした。

 辞典と聖書だけで、独学で勉強をした。これからを生きるために。

 乞食の練習をした。盲と聾の練習をした。断食の練習をした。知恵をつけるために。

 ある日、刑事がぼくらを訪ねてきたーーー』

『ふたりの証拠』『第三の嘘』と続く3部作の1作目。

訳者はあとがきで本書を「異形の小説」と。

時代背景の記述はないが、作者のプロフィールを基に読み進むと、第2次大戦末の東欧が舞台で

あるだろうことに気づく。「ぼくら」は疎開したのだろう。進駐軍はドイツ、解放軍はソ連であ

ろう、と。

「ぼくら」の日々は日記調(作文調)で主観表現している。それが章の節になっている。

戦時下で食料と燃料が不足する自治体の乱れがちな秩序は生々しく伝わってくる。直接表現は少

なく、出来事を淡々と記しているだけなのだが、そう覚えるのは筆者と訳者の力だろうな。

加えて、不衛生な生活環境の悪臭が文章から漂ってくる。文章から匂いを覚えた海外小説では、

『香水 ある人殺しの物語』パトリック・ジェーンキスト著 1985年刊行ドイツ

            池内紀・訳 文藝春秋1988年初版 文春文庫2003年

もある(ダスティン・ホフマンが出た映画「パフューム」の原作)。
 
 
 
鍛錬を経た「ぼくら」の、戦時下で自立を覚えた彼らの行為は合理に徹している。感情は薄く、
 
大人たちへ慇懃無礼に交渉(恐喝)する。さらに、大人の女性の小児性愛を利用し、軍人の性癖
 
を受け入れ、それを生活の糧にする模様は怖さを覚える。サイコパス気質、マフィアのボス気質
 
思わせる。
 
そんな「ぼくら」に、情が残っているのであろう、を垣間みられる箇所がある。
 
おばあちゃんへの思い、教会で働く女性への仕打ちなど。それらにはっきりとした記述はない。
 
行間を読む、以上の読解力を読者は求められる。
 
精神鍛錬の章の一文。
 
「ぼくらは罵り合う。街で罵倒を誘う。お母さんの優しい言葉を思いだし涙しないために」
 
「ぼくら」の情を直接表現した唯一の箇所と思う。
 
終盤、進駐軍(ドイツ)が小さな街から撤退して解放軍(ソ連)がやってくると、治安は酷い
 
状況になり、ぼくらは<小さな街>から出ようと決意する。その手段は・・・・・・。
 
 
ハンガリー出身の作者は、第2次世界大戦を子ども時代に体験、ハンガリー動乱を機に西側へ
 
逃れてきた。以下は私の勝手な想像であるけれど、
 
作者は、子どもの時から青年期に目にしたこと辛い思いを、本書に生々しく投影したのでは?
 
あの時「ぼくら」のような生き方があったのかも? と。私の勝手な思いだ。
 
 
次作『ふたりの証拠』は、「え!・・・前作で覚えた私の衝撃を返して欲しいんですけど・・・」
 
 
本書は、姐御と慕う友人から、ずっと昔の若いときに手渡された。読んどけ、と。

今思えば、「あんたに足りないところのひとつは、こんな小説を読んでいない、理解できるか」

だったのだろう。他にも同様な書籍を多数渡された。
 
姐御は凄い人で、才色兼備で江戸っ子気質のプロピアニスト。芸術・文学に精通して、外国の本
 
を原書で読む。超努力家で事業主でもある。そんな姐御から若いときに薦められた一冊。