キメラガールアンセム/120日間将棋3日目 | 歌舞伎ライター 関亜弓「そば屋のカレー日記」

歌舞伎ライター 関亜弓「そば屋のカレー日記」

俳優、ダンサー、歌舞伎ライター関亜弓による大衆向日記です。

ジエン社の芝居の特徴を
たった二回めの出演で言及することが出来ないのは自明である。
が、ひとついえるのは「型」があるということだ。

それは、かっちりとやるべきことが決まっているという意味ではなく、「ジエン社的な」という共通認識のようなものがあるのではないかと。


今回は、役的にはそれを壊すミッションはあるものの、根底では遵守している(つもり)。

その「ジエン社的な型」の代表格が


「会話と空気を同時多発的に進行させる」

ということ。


これがまた厄介。
言葉がまったく聞こえなくなってしまっては意味がないし、あざとく隙間をぬって会話をしたら嘘になる。

しかもその中でも聞かせる言葉と、消えてもいい言葉があり、その優先度は必ずしも「物語の進行上、重要だから」という理由ではない。

しかも主宰の本介さんは滅多なことがない限り「この言葉をたてて」という演出はしない。

そして、エモーショナルな言葉を、務めてそれっぽく言わせない。


そこは役者がキャラクターに寄り添えるだろう、と信頼されている証拠だともいえる。
言葉に頼らずとも、空気でそれを伝えてと。


もちろん、役者の発話次第というわけではなく、お客さんが無意識に拾えたり、なぜか耳に残っていた言葉があれば、それはその人にとってのキーになる言葉だし、消えていたらそれは存在しなかった言葉になる。



同時にうまれ、消えていく言葉と人物。





かけるふるいの精度は観る人によってさまざま。


ひとつでも

脳裏にこびりついて離れない


ことば、からだ、かお




あったのなら
産んだ甲斐があったと思えます。


明日からの4ステージ
痛みを伴いながら、

消費
もしくは
再生



してゆきます。