奈良時代から難病平癒伝説のある、
開山400余年の「薬王寺」
今回は、洋光台西公園近くにあり、色々な由緒があるといわれている「薬王寺」を訪ねてみました。
正式の名は「浄土宗・東方山・済生院・薬王寺」で、開山したのは杉田の東漸寺27世鶴慶大和尚となっています。
そのいわれは、寺の近くに霊験がある薬師堂があり、この堂が荒れ果てているのを知った和尚が、永正の頃(1504~)、堂のあったところに再建し、朝日薬師をご本尊とする薬王寺を開き、東漸寺の末寺としたとされています。朝日薬師の由来については、来光寺に「薬王寺奥之院・朝日薬師縁起」として残され、それによると「奈良時代、聖武天皇の御世(730年頃)、天下に難病
が流行り、村から村へと病人が続出、さらに人ばかりではなく牛馬にも伝染この時、天皇は僧行基に難病退散の祈願をするように頼みました。行基は毎朝東の空に向かって「薬師医王如来様、人々の苦しみ悲しみを救い、牛馬をお護りください」と、一心に礼拝していましたが、ある日のこと、輝く朝日の中に薬師様が現れました。行基は伏し拝み、その目に焼きついたお姿を霊木に彫刻(96cm)し、祭壇に祀って祈願。それから間もなく病気が治ったという人が現れ、村々も明るく活気がでてきたと伝えられ、それ以来「難病平癒の朝日薬師様」として信仰されるようになりました。
しかし何故かこの朝日薬師を奥之院に祀り上げ、薬王寺では新しい薬師像をご本尊としています。(比叡山からきたという説もあるそうです)薬王寺は、幾多の世の荒波にあい、明治維新を迎えますが、檀家も資産もない寺はつぶれるほかありません。しかし、土地の人々も宗派の人々も廃寺にしてしまうのは残念と、同じ浄土宗の大寺である正覚寺の「境外仏堂」として存続することとなりました。
大正12年の大震災で、薬王寺の古い建物は倒れ、震災後に小さな本堂を再建しましたが、留守番もいなくなって、価値のある20体余りの仏像も保管するのが難しくなり、昭和50年に全部の仏像を同じ敷地内に新築された来光寺に移し、その後薬王寺は、平成6年に鉄筋の本堂が再建され、約半数の仏像も移されています。
私がお寺を訪ねた際、写真の右手に本尊薬師如来、後ろの幕のかかった位置市指定有形文化財の「木造薬師如来立像」(平安時代後期の作品)が祀られていますと、石川仁恵住職に伺うことができました。