磯子のあゆみ80年~その1

昭和2年「磯子区役所」が35名でスタート。

磯子区は昭和2(1972)年10月に横浜で最も古い区として誕生。


今年、区制80周年の節目を迎えました。


区制施行について、昭和2年9月30日付の[横浜貿易新報(現・神奈川新聞)]は次のように報じています。


[新紀元を劃する市の区役所開始、大横濱を五つに分けて明十月一日から]と見出しを掲げ、内容は地域拡大に伴い横浜市を5つの行政区[磯子、中、神奈川、保土ヶ谷、鶴見]に分別して、各区に区役所を設けて、市民に直接関係のある戸籍、民事、納税などを取り扱う、と記されています。


ちなみに区名は地域の中心である[磯子]が採用されました 当時の横浜市の人口は約51万人、磯子区は29,824人。それまで森にあった市役所出張所は廃止、磯子区弾馬1番地に庁舎を新築、12月から35名の職員で業務を開始しました。



場所は八幡橋近くの浜歩道橋下の小公園のある所で、昭和42年、総合庁舎に移るまで、区行政の中心となっていました。ところで行政の変遷に伴い、区境の線引きの作業が区役所で始まりましたが、ちょっと厄介な問題が起こりました。それは「久良岐群根岸村」から[横浜市根岸町]となった地区が、区制施行により磯子区と中区に分割されたからです。


もともと根岸は半農半漁の村として栄えてきた土地だったのが、魚を獲る海側は磯子区に、耕作地のある台地は中区になってしまい、日々の暮らしの上で様々な影響があったといわれています。 現在、磯子区は人口163,167人を擁する区に発展しました。 区制80周年のキャッチフレーズは「海がある。自然がある。未来がある。」――――都市の姿は時代とともに変貌していきます。


私、関勝則が、昭和初期に誕生した磯子区のあゆみを、順次振り返ってまいります。ご一緒に磯子の歴史をひも解いてみませんか