小学校の教員について、各地の教育委員会が採用の難しさに頭を悩ませているらしい。
以下、ニュース記事から、関連する内容を一部引用する(<小学校教員 採用難 「長時間労働」敬遠 倍率最低2.2倍>読売新聞、2025年4月23日)。
<小学校教員のなり手不足で、各地の教育委員会が採用に苦慮している。ベテラン教員の大量退職期に入り採用が増える一方、厳しい労働環境などが敬遠され、志望者が減少しているためだ>
記事によると、小中高の教員の中で、小学校は採用の規模がもっとも大きいらしい。その一方で、養成する大学が少ない。つまり、構造的に採用難が起こりやすい状況にあると言えるのかもしれない。
しかし、小学校に限らず、学校の教員の採用数を増やすのであれば、長時間労働などの問題を変えていく必要があるだろう。上記の記事にも、備品の準備や会議資料の作成などにより、午後10時頃まで残業することが多く、同僚たちも疲弊しているという、現職教員のコメントが紹介されている。
ただ、記事を読んでいて、筆者は別の部分も気になった。
教員を増やすための取り組みとして、例えば教育委員会が大学に出向いて説明会を行う、教員志望の学生に奨学金を提供するなどの取り組みが紹介されている。
しかし、これらの対象となるのは若者たちであり、それ以外の年齢層は考慮されていない。少なくとも、記事で紹介されている例に限定すれば、そのように感じられた。
これは、日本社会にはびこる、年齢差別の一つなのではないかと思う。
現代の日本は、少子化に悩まされている。しかし、当たり前の話だが、労働人口は若者だけで構成されているわけではない。若者よりも上の年齢層の人口は、今でも多い。
それにもかかわらず、学校の教員に限らず、企業が求める人材も含めて、若者(特に、いわゆる新卒)を対象としていることが多いように感じる。そして、例えば学校を卒業しただけで「既卒」などという言葉を用いて、差別を始める。採用難が叫ばれている今の時代であっても、多少の変化はあるかもしれないが、こうした傾向は残っていると思われる。
これは、日本社会における、一種の「病」であると思う。また、経済成長の鈍化等にも影響を及ぼしていると思う。
海外に目を向けると、国や地域にもよるとは思うが、こうした年齢差別は日本よりも少ないと感じることがある。年齢は関係なく、自分が興味を持っている仕事にチャレンジしている人は多い。
例えば、筆者の知人であるオーストラリア人は、50歳まで幼稚園の教諭として働いた後、大学に入学して心理分野を学び、60代でclinical psychologistとして働いていると言っていた。年齢は関係なく、興味がある分野を学び、働くことができている。
また、以前の記事に書いたが、イギリス在住の作家であるブレイディみかこ氏の著書には、50歳の誕生日の直前に銀行員を辞めてガーデナー(庭師)の見習いになった人や、60代でデンマーク語を学び、69歳の時にデンマークで資格を取り、ノルウェーでカウンセリングの仕事をしている人のことも紹介されている。
https://ameblo.jp/sekainokesiki/entry-12864646738.html
このように、年齢など関係なく、自分のやりたいことを重視する人は実際にいる。
日本社会は、年齢差別という、くだらないことを止めるべきだと思う。
そのためには、日本社会における、様々な人々の意見を変えていく必要があると思う。そして、意識改革が特に必要なのは、採用側だろう。年齢という要素を取り除くことで、採用の対象は大きく広がり、人手不足も解消する。
そして、このことは年齢だけに限らない。他の偏見や差別も、出来る限り、なくしていくべきである。そうすることで、閉塞感が漂う日本社会を変えていくための、大きなきっかけになると思う。
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