第119の解体ー禅 その3 | 世界解体

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知らないことは ボクらの道を狭くする
情報の海と訣別し 本当に必要な知識を今 ものにするんだ
世界解体は その力強い 道連れだ!

不立文字(ふりゅうもんじ)!
言葉なんかにゃあ頼らない。ということは .....




今回でその真のスガタを剥き出しに解体しよう。

言葉=アタマ
を超えた世界を座禅をすることによって体得する。
科学では解明出来ない神秘的な物言いだね。でも、実際には
ある限界を超えれば科学は役に立たないということはこれまで
たくさん見てきた通りだ。

科学は基本的にHOW(どのように)を問うもの。
だからWHY(どうして)にはそんなに上手く答えられない。
その役割は宗教、哲学、神秘主義の世界に委ねられて来た。
それらを科学的じゃないとバカにするヒトは、科学というもの
を分かってないオメデタイヒトなんだよね。


科学はニンゲンを理解出来ない

脳を科学して、こうなれば悲しい気持ちになる、ここを突っつ
けば幼少期を思い出す ..... こんな風にすべての感情、すべて
の精神機能を理解したとしても、ヒトはなぜ悲しむのか、その
悲しみが次にどんな行動を引き起こすのかを明らかにすること
はない。その不能地帯の解消を禅、哲学などが担おうとするだ
けのこと、そうなんだ。

すこし横道にそれたけど、
じゃあその禅は何をボクらに示すのか?
教義の理解(頭脳的なアプローチ)では不十分。理解不能なこ
とも含めて、一番の不思議領域である自分自身を「ただ座る」
ことによってしっかりと見つめようとする姿勢は、ただ時間だ
けが流れゆく現代においては稀有なアプローチであることは間
違いない。

しかし、いずれにしても禅においての悟りも、他のものと同じ
く、あくまで主観的なもの(科学的な厳密性とは相反する)で
あり、絶対的なものとは言えないのは言うまでもない。


それのみで生きていくには足りない

そういうことだ。分かるよね?