第103の解体ー禅 その2 | 世界解体

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知らないことは ボクらの道を狭くする
情報の海と訣別し 本当に必要な知識を今 ものにするんだ
世界解体は その力強い 道連れだ!

もう少し深く探ってみよう。



2回目の解体だ。

外観は前回で押さえたよね。真理は、


アタマで理解するのではなく体得する!

これが基本だ。じゃあ何を体得するの? ということになるよね、当然。

アタマで理解するものとは何か?
教えの内容、論理、教えの体系、特殊用語、その意味、などなどという
ことになるよね。理解する気があれば、基本的に誰にでも理解出来る。
それなら禅を組まなくても良い。机にかじりついて必死にベンキョウす
れば良いんだから。

じゃあ、体得するものとは何か?
ここでおさらい、


禅の基本概念 教外別伝(経典なんかじゃ伝わらんよ)
       不立文字(だからさ文字には頼んない)
       直指人心(人の心を直に把握)
       見性成仏(自分を徹底的に見つめることで悟る)


から考えると、考えるだけでは到達出来ないナニモノか、ということに
なるんだろうな。考えるだけでは到達出来ない?

ここに来てはなしは神秘的になる。


「体得すること」イコール「悟り」

文字で表すことが出来ないものはいくらでもある。
「愛」なんて言葉が、すべての何かを愛おしむ感情をひとつにまとめあ
げることが出来ないことを見通せば、文字には限界があるということを
納得することが出来るはず。その限界の先にある世界を座禅をすること
によって見いだし、悟り、自らを変革する。


ということは、禅を組むことにそういうこと(言語を超越した世界を見
いだし、真理を悟り、自らを変革する)を可能にする何かがないと成り
立たないはなしだよね。じゃあ、禅にあるはずのその何かってどういう
ものなのだろうか? そして、禅の言う悟りとは?

徐々に近付いて来た。
もうちょっと解体しとこう。
あとにつながる重大なことが見えて来るからね。