第58の解体ー哲学中期 | 世界解体

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知らないことは ボクらの道を狭くする
情報の海と訣別し 本当に必要な知識を今 ものにするんだ
世界解体は その力強い 道連れだ!

さてと、前回で確認したはじまりの続きといこうか。

哲学中期

一気に解体しよう。

中世において、哲学は、神学のハシタメとしての役割を黙々とこなし、
という抽象的概念、超越的なもの(SF みたいなものと理解しといて)
にひざまずいていたというとこまで行ったけど、そこから抜け出す
契機は、

アリストテレス的な自然観(神によりかかる)の否定、もう一度人間
に立ち返ろうとするルネサンス、コペルニクスの地動説、ガリレイな
どの科学的自然観(自然界を貫くルールを探求する姿勢)を背景にし
て、「知は力なり」とする F.ベーコンの登場によって訪れた。
そして、近代哲学の父、

デカルトの登場となる。

彼は、物事を徹底的に疑うことによって、遂に、疑うことの出来ない
「私」
へと到達する。ここに来て哲学は神の影から抜け出し始める。
後に問題となる「主観と客観」、「心と体が別々」などいろんな事を
はらみながら、そのバトンは、もう一度キリスト教的な神から世界を
見ようとしたパスカルや、いたるところに神はいるという東洋的な
発想にも似た汎神論を説くスピノザ、近代社会形成の下支えとなる
社会思想を唱えるホッブス、ロック、ルソー、ベンサムなど一気に
近代へとひた走る。

まだまだ神と人間の間を行ったり来たりではあるけれども、着実に
神の影(迷信にふりまわされる状態)を振り払っていく。

そんな中、ヒュームによって提示された自然科学の基盤の否定は、
カントの登場によって覆される。「純粋理性、実践理性、判断力」
の三大批判によって彼は、因果性の肯定、知識・認識の限界、進む
べき道
について示した。しかし、その中で自我は解体しバラバラに
なってしまう。その危機を救ったのが、フィヒテ、シェリング、そ
して、近代哲学の完成者ヘーゲルだ。彼は人間の一生を、

絶対精神へと進む弁証法的過程

とした。わけ分からんよね?
簡単に言えば、「ハッピーエンドへと進むまでのすったもんだ」
そんな感じだ。安物のドラマみたいなもんだけど、この徹底した
合理性は、それに反対する人間的な哲学を生んでいくことになる
んだな。

ざっと見ても分かるように、
ひとつの意見は新しいものの見方と、新しい問題を生み、それを
踏み台にして、問題の解決を試みる次の意見が出される。そして
また、その意見にもモンダイが..... てな風に続いていくのよね。
これだけ見ると、ヘーゲルの弁証法的に世界は理解されるように
思われるけど、そうは問屋が卸さないんだな。

このあとのドラマは3回目の解体で。