老後の後悔「40代にしておけばよかった」たった1つの習慣 | ~たけし、タモリも…「1日1食」で熟睡&疲れナシ~

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老後の後悔「40代にしておけばよかった」たった1つの習慣とは?

 

42歳でパーキンソン病に侵された精神科医のエッセイが、韓国で売れに売れている。『もし私が人生をやり直せたら』という本だ。

 

「自分をもっと褒めてあげようと思った」「人生に疲れ、温かいアドバイスが欲しいときに読みたい」「限られた時間を、もっと大切にしたい」と共感・絶賛の声が相次ぎ、35万部以上売れているという。

そんなベストセラーエッセイの邦訳が、ついに刊行される。

 

男女問わず、多くの人から共感・絶賛を集める本書の内容とは、いったいどのようなものなのか? 本書の日本語版から抜粋する形で、「人生の限りある時間」の過ごし方について書かれた項目を紹介していく。

 

「40代にしておけばよかった」”たった1つの習慣”とは?

 

 私が40歳だった頃より、近頃の40歳の人たちのほうが悩みが多そうです。さもありなん、私たちの頃は40歳といえば人生の折り返し点まで来たようなものでしたが、今や人生100年時代です。40年生きてもまだ60年も残っているのですから。

 

 中年期には、子どもたちの進学や独立、親の世話や介護といったライフイベントが待ち構えています。

 

子どもたちに頼られていたのが昨日のことのようなのに、成長した彼らを送り出した家はがらんとしてさびしいし、頼れる存在だった両親は年老いて弱々しい姿になります。そして今度は中年の私たちが、親の親代わりとなり、経済的にも精神的にも支える側となっていくのです。

 

 この時、老親が自分たちの生活の中に割り込んできたように感じてしまう人は、それまで押さえこんでいた親に対するいら立ちや恨み、悲しみといった感情が無意識のうちに噴出して苦しむこともあります。

 

『ミドル・パッセージー生きる意味の再発見』の著者で、心理療法士のジェイムズ・ホリスは、人は40歳までは本人の個性とは離れて生きていると述べています。

 

 ホリスはその著書で、「12歳から40歳までの間、人は、誰かの息子や娘、誰かの父や母、ある会社の係長や課長といったそれぞれの役割に当てはまることで社会化されていく。

 

このステージでの人生は、その人の個性に従うというより、社会で生きるためにルールに従えと育てられてきた結果としてのものに近い。しかし、それが40歳を境に、自分は本当にこのままでいいのか、これでよかったのかと、それまでの人生を振り返るようになる」と主張しています。

 

 では、具体的にどうすればいいのでしょうか?

役割や肩書を取り払い、個人の生き方を追求する

 考えてみれば、こうした「中年の危機」は、次のステージへ進む前に、ほんの少し立ち止まり、自分の生き方を再点検する絶好の機会ではないでしょうか。

 

「今まで担ってきた役割や肩書をすべて取り払ったら、私は一体何者なのか?」と自ら問いかけながら、個人の生き方を追求し、本当の自分に出会えるチャンスを得るのです。

 

 そうしたせっかくのチャンスであるにもかかわらず、たいていの人は加齢で失うものばかりに目を向けがちです。老いや死という現実を肌で感じるからか、時間という現実をも否定し、押し寄せる歳月になんとしてでも抗おうとするのです。

 

 加齢によって失うものがある。これを受け入れていくのは切ないものです。

 

 しかし、失うものを食い止めようとしがみついていたって、時は流れていくのです。だったら、限りある時間を有意義に使いましょう。42歳でパーキンソン病と診断され、65歳を過ぎた今、改めてそう思います。どうか、次のステージに向かうチャンスのほうに目を向けてみてください。

 

(本原稿は『もし私が人生をやり直せたら』から一部抜粋、追加編集したものです)