老いればさまざまな面で、肉体的および機能的な劣化が進みます。目が見えにくくなり、耳が遠くなり、もの忘れがひどくなり、人の名前が出てこなくなり、
指示代名詞ばかり口にするようになり、動きがノロくなって、鈍くさくなり、力がなくなり、ヨタヨタするようになります。
世の中にはそれを肯定する言説や情報があふれていますが、果たしてそのような絵空事で安心していてよいのでしょうか。
医師として多くの高齢者に接してきた著者が、上手に楽に老いている人、下手に苦しく老いている人を見てきた経験から、初体験の「老い」を失敗しない方法について語ります。
*本記事は、久坂部羊『人はどう老いるのか』(講談社現代新書)を抜粋、編集したものです。
なりたくない病気No.1
病気はどれもイヤですが、特にこれだけはなりたくないと多くの人が思うのは、がんと認知症ではないでしょうか。
がんは死ぬ危険性が高いし、認知症は自分がなくなるような恐怖がありますから忌避されるのです。
ほかにも認知症はまわりに迷惑をかけるとか、何もわからなくなるとか、記憶も全部消えてしまうとかの不安もあるでしょう。
だから、「認知症にだけはなりたくない」という人は少なくありません。
ですが、私は医療や介護の現場で多くの認知症の患者さんを診てきましたが、認知症になってそのことを悔やんでいる人は一人もいませんでした。
認知症になりかけの人で、将来を恐れる人は何人かいましたが、認知症になりきってしまえば、不安も忌避感もまったく消えてしまいます。
すなわち、認知症に対する恐怖や不安は、認知症になっていない人の感覚ということになります。
「でも、やっぱり家族に迷惑をかけるのはイヤでしょう」と言う人もいましたが、それも認知症でない人の感覚で、認知症になってしまえば迷惑をかけていることにも気づきませんから、イヤだとか申し訳ないという気持ちも起こりません。
認知症を極度に恐れる人は、健常な目で認知症になった自分を思い浮かべるから、嫌悪の気持ちが強まるのでしょう。
認知症にかぎらず、悲惨な病気の状態を見たら、だれでも同じようになりたくないと思うのは当然です。
しかし、認知症にはほかの難病などとは決定的にちがう側面があります。
それは病気になったあと、病気であることを認識できないということです。わからなければ、恐れる必要も悔やむ心配もありません。
そこで思い出すのは、ダニエル・キイスの名作『アルジャーノンに花束を』です。
この小説は、先天的に知的障害のある主人公のチャーリイが、特殊な治療を受けて高度な知能を獲得する話ですが、皮肉なことに、知能が回復したことで、
それまでわからなかったいじめや意地悪、軽蔑や悪意に気づき、せっかくできた恋人との関係も歪んで、孤独に陥るという悲劇を描いています。
そして小説のオチとしては、治療の効果が徐々に薄れ、もとの知的障害にもどることで、チャーリイは世間の非難や自らの不如意がわからなくなり、ある種、無理解の平安に帰還するという結末です。
すなわち、知的障害も必ずしも悪くない、むしろ不自然に改善させることが悲劇を生むというブラックな内容なのですが、なんだかいい話のように世間に受け入れられているのが、私にはずっと不思議でした。
認知症も知的障害にもどったチャーリイと同じで、認知症でない人が感じる不安や恐怖、軋轢や葛藤から解放されるのですから、決して悪い状況ではありません。
認知症予防で有効なものは
認知症になりたくないと思っている人が、のどから手が出るほど知りたいと思っているのは認知症の予防法でしょう。
あらゆる健康情報と同じく、巷に流布する認知症の予防法は玉石混淆(こん
こう)で、厚労省や専門家のお墨付きがあるものもありますが、あやしげなサプリメントや民間療法、お呪(まじな)いのようなものまであります。
ネットで検索すれば、医者が推奨するものにも、驚くような予防法があります。「生き生きした生活を心がける」とか「家族や地域の人間関係をよくしておく」「生き甲斐を持つ」などです。
こんなことでほんとうに認知症の予防ができると思っているのでしょうか。中には「寝たきりにならないよう心がける」というのまでありました。心がけで寝たきりにならないのなら、だれも寝たきりにはなりません。
少し論理的な根拠がありそうなものに、魚に含まれるDHA(神経系に多く含まれる必須脂肪酸)や、EPA(動脈硬化を予防する必須脂肪酸)、赤ワインに含まれるポリフェノール(抗酸化物質)の摂取を勧めるものもあります。
これらが不足するとよくないでしょうが、多く摂ったら認知症が予防できるという保証もありません。いずれも通常の食事で十分補えるのに、これを摂取していれば認知症にならないと信じるのは、ほとんど信仰の域に達しています。
驚くのは厚労省の「認知症予防・支援マニュアル(改訂版)」(平成21年)にも、「認知症予防・支援の対象とアプローチ」として、「生きがい型のポピュレーション・アプローチ」というのが挙げられていることです。
内容は「例えば、囲碁、将棋、麻雀、園芸、料理、パソコン、旅行、ウォーキング、水泳、体操、器具を使わない筋力トレーニングなど、一般の地域高齢者が自立的にそうした生活習慣を増やしていくことによって、認知症の危険因子を低減しようとするものである」とあります。
これらは毎日を楽しくすごすことには役立つでしょうが、とても認知症の発症を防げるとは思えません。
国立長寿医療研究センターが出している「認知症予防マニュアル」(平成23年)には、「多面的運動プログラム」として、「ホームプログラム運動」「有酸素運動」「脳賦活運動」などが挙げられています。
特に興味を惹きそうな「脳賦活運動」には、縦足横歩きや、床に梯子を置いて複雑な歩き方をする「ラダーステップ」などが挙げられています。
これも筋力の低下予防や、脳の老化を遅らせる効果はあるかもしれませんが、認知症とは直接関係のないものです。
暗算や漢字の書き取り、右手と左手で別の動きをするとか、両手で常に右手が勝つジャンケンをするなどの、いわゆる脳トレも、脳の老化を遅くする効果はあるかもしれませんが、認知症とは無関係の行為です。
以前、国立長寿医療研究センターが提唱したコグニサイズ(脳を使いながら軽い運動をするもの。ステップ台昇降をしながらのしりとりや、
ウォーキングをしながらの引き算など)も注目されましたが、最近ではあまり耳にしません。やはり認知症予防の決定打というわけにはいかなかったのでしょう。
先に紹介した両マニュアルは、どちらも十年以上も前のもので、最新のものは見当たりません。その理由は厚労省のマニュアルにこう書かれています。
「認知症予防については、予防の根拠が明確になっていないこと、対象がはっきりしないこと、その方法が明確でないこと、
また、認知症予防の知識や技術を持った人材が不十分なこと、そして、効果評価の方法が確立されていないことなどの理由を挙げることができる」
さすがは厚労省。正直な記述ですね。
認知症という病気の本態は、未だ明確にはわかっていないのです。脳内の異常タンパクは見つかっていますし、認知症のタイプ分けはできていますが、本態は未だ不明です。
すなわち現在の認知症の治療は、たとえて言えば、結核菌が見つかっていない時代の結核療法のようなものといえます。
日光浴や転地療養、牛乳や卵の摂取、大気療法(海風にあたる等)、さらには人工気胸や肺虚脱療法(肋骨を切除して結核病巣を押しつぶす)などで、一定の効果もあったでしょうが、とても根本的な治療とは言えません。
結核という病気は、結核菌が発見されてはじめて、正しい予防と治療が可能になったのです。
認知症は未だその結核菌に当たるものがわかっていないので、あらゆる予防と治療は、結核の通俗療法と大差ないと言わざるを得ません。
つまり、認知症の予防として確実に有効なものは、ないというのがほんとうのところです
さらに連載記事<「上手に楽に老いている人」と「下手に苦しく老いている人」の意外な違い>では、症状が軽いのに老いに苦しむ人と、そうでない人の実例を紹介しています。