続、母・マサヨ | 記憶に残る人生を過ごせ

記憶に残る人生を過ごせ

仕事してます、子供います。

趣味はバターコーヒー、お灸。読書とバレットジャーナル。消しゴムはんことミシン。瞑想しながら寝ちゃうこと。私は何がしたいんだろう。

とにもかくにも、記憶に残る人生を過ごせ。

心不全の治療過程での、脳梗塞の発病。
少し前まで笑顔を見せていた母の顔に
もういつもの表情はない。
 
 
 
 
医師の説明によると
朝、家族が帰ったあとも普通に会話など出来ていたことを確認。
夜の声かけの際異変に気づきCT検査したところ、脳梗塞がかなりの広範囲に及んでいた。
 
 
 
 
 
心不全と脳梗塞の治療は相反するらしい。
 
 
 
 
 
呼び掛けにも反応せず、顔の筋肉はダランと落ちて別人のようになってしまった母。
 
 
 
 
「今日明日が山です」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
もっと話しておけばよかった。
元気なうちに。
なのにもう話せないなんて。
 
 
 
 
弟のことばかり可愛がって悔しかった。
いつもひどいことばかり言うから嫌になっちゃったけど、本当は大好きだった。
 
 
 
 
 
 
 
母の状態はなにも変わらないまま2日経った。
ワンワン泣きながら茨城に帰り
荷物をまとめてまた東京に戻る。
 
 
 
 
 
3日目
ICUへ面会にいくと「今夜が山です」という。
ドラマでしか聞いたことのなかったその言葉。
いよいよか、と思う。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
山は3日続き、
 
 
 
 
 
 
 
 
ICUからHCUへ移り、
 
 
 
 
 
「今後奇跡的に意識が回復したとしても、半身不随や言語障害などの障害は免れない」
と言われつつ意識が回復し
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「少しの回復傾向にはありますが、普通に話したり歩いたりは難しいと思います」
と言われつつも普通に話せるようになり
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「今後、自宅に戻っての生活は無理だということを覚悟してください」
と言われながら1ヶ月で退院。
 
 
 
 
 
 
 
またもや奇跡の復活。
 
 
 
 
脳梗塞と糖尿病による半盲などの障害はあったけど
在宅介護で毎日散歩したりデイサービスにも通い、
すこし不自由だけど元気な母に戻った。
 
 
***
 
 
 
その後、2年前の初夏。
 
 
 
マサヨは不死身だね、なんて話してたのに
3度目の奇跡は起こらず
脳梗塞から3年後、突然亡くなってしまったけれど。
 
 
 
 
 
 
酒もギャンブルもせずに家にいる母。
孫を可愛がってくれる優しい母だったあの3年間。
あれは、神様からのギフトだったのか。
 
 
 
 
 
後悔は先に立たない。
もっと話せばよかった。
私はいつも後悔ばかり。
 
 
 
***
 
 
 
先月実家に帰ったとき
「お父さん、メモ帳ある?」と出してもらったメモ用紙。
めくってみたらマサヨのレシピメモが出てきた。
 
 
 
 
謎のレシピ。
食事制限あったから、食べたかったのかな。
 

 
 
脳梗塞で大して動けなかったくせに
身の回りのものはすべて処分されていた。
亡くなってから出てきたのは少しのメモとノート。
 
 
 
それが形見になった。
 
 
 
私も子供たちになにかを残していこう。
手帳を、小説のように楽しめたらいいな。
記憶に残るような人生を過ごしたい。