母・マサヨ | 記憶に残る人生を過ごせ

記憶に残る人生を過ごせ

仕事してます、子供います。

趣味はバターコーヒー、お灸。読書とバレットジャーナル。消しゴムはんことミシン。瞑想しながら寝ちゃうこと。私は何がしたいんだろう。

とにもかくにも、記憶に残る人生を過ごせ。

もう10月。
来年のカレンダーと手帳をゲットする時期。
ロイヒトトゥムルは
大好きなエメラルドグリーンにしました。
 
 
 ←私の手作り手帳の話
(最初の頃こんなこと書いてたのね)
 
 
バレットジャーナル(手作りの箇条書き手帳)
毎日書かずにはいられない。
読書感想文から日々の出来事まで。
 
 
 
ブログも楽しいけど
手書きの手帳や日記をどうしても残したい。
子どもたちに残したい。
 
 
***
 
 

「母・マサヨ」

そのタイトルでブログ書いてたことがある程
破天荒で強烈な母。
少しずつでも書かずにはいられない。
 
 
 
 
とにかく強くて変わり者、
私も妹も母がイヤで家を出た。
10才下の妹は
「このまま一緒にいたら殺してしまう」
とまで言った。
 
 
 
 
 
子供の頃から
他の家のお母さんたちとはなにかが違う、
とは思ってた。
働き者で、
常に酒と借金とギャンブルを抱えていて、
明るく、重い母。
 
 
 
 
 
 
家族のみならず
他人にも喧嘩を売りまくる。
楽しくて憎たらしいマサヨ。


大きな声、怒ったり笑ったり。
パトカーに乗せられて帰ることもしばしば。
 
 
 
 
 
そんな母が糖尿病を放置し倒れた15年前。
昏睡状態のときには
「もう退院は出来ないと思ってください」
と言われ覚悟した。
 
 
 
 
 
 
のも、つかの間。
 
 
 
 
 
 

 
奇跡の復活を遂げ、
医者や看護師に悪態をつき
次に暴れたら追い出すと誓約書サインして
結局追い出されるように退院。
 
 
 
 
 
 
気持ちを入れ換えるどころか
ますます自由奔放で
酒と借金とギャンブルに溺れつつ、
インスリンを打ちながら仕事をがんばる母。
 
 
 
 
 
 
仕事はがんばるのだけれど
職場でもどこでも悪態をつくので
結局クビになってしまう。
 
 
 
 
 
武勇伝しかない。
 
 
 
 
その後
突然の心不全で救急搬送される。
5年前のこと。
 
 
 心不全、
死の恐怖に襲われるらしい。
すごく恐ろしいのだとか。
 



ICUで面会したとき母は
 
 
 
「これからはちゃんとする、
もうこんな怖くて痛い思いはしたくない、
ちゃんとするから」
と誓い、驚きを隠せなかった。
 
 

 

すごく嬉しかった。
しおらしくて普通のお母さんのようだった。
 
 
 
 
「これからがんばろうね、
ICUもすぐ出られるって言ってたよ」
実際、容態は安定し
検査結果も良く担当医の声も明るかった。
 
 
 
 
 
 
 
 
母を残して家に戻り、
家族で良かったねと言い合った。
「あんな普通に話せるお母さん初めてだよね」「今度こそちゃんとしてくれるね、きっと」
 
 
 
 
その12時間後の
「今すぐ来てください」との知らせ。
「いま来ないと話せなくなるかもしれません」
 
 
 
 
 
ハンドルを握る手が震える。
 
 
 
 
 
 
 
 
心不全治療過程での、脳梗塞の発病。
少し前まで笑顔を見せていた母の顔に
もういつもの表情はなかった。
 
 
 
 
 
 
***