「やめればいいのに」 | 越後屋のブログ

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日記のようなエッセイのような独り言のようなそんな感じ。心療内科通いの無職をなんとか脱出して人生のリカバリー中。
たいしたことは書いていませんが、記事の保存・転載はご遠慮下さい。

学校でいじめられていても、登校拒否する選択肢が自分にはなかった。それは幼心に社会のレールから外れる事を理解していたし、そうなった場合はどうしたら生きていけるのか智恵も経験もなかったから。

そんな子供のまま大人になって就職。
どんなに会社がつらくても、辞めるという選択肢は怖くてできなかった。
僕は人一倍臆病だ。

「ここが続かなければどこいっても通用しないよ」

「二十代半ばを過ぎたらまともな転職先なんてない」

「辞めた○○さん、いまあんまりいい話聞かないよ」

「頑張れ、頑張れ」

そんな周りのセリフがさらに僕の足をすくませた。

実際辞めて、転職した先はパワハラモラハラ当たり前の3K職場で、さらに自分の不注意で労災を起こしてしまい、身体の一部を欠損。障害者認定を受けるような後遺症がなかったのが幸いだけど。

そして、今の職場。
労働基準法を守る気が多分ない。それか労働基準法知らない。僕の前任者は強烈なモラハラだったけど、恐らく過酷な環境で病んでしまっていたと思う。
この職場だけの問題ではなくて、この業界全体が抱える問題。個々の努力ではどうにもならない。

最初に勤めていた会社の人達の言葉

「ここ辞めてもいいとこないよ」

実際その通りになった。でも辞めないほうがよかったとも思わない。
ただ、僕のスペックではまともな転職はできないと早く、もっと早く気付くべきだったと思う。組織に所属しないで生きる覚悟を決めるべきだったと思う。
うまく行く保証なんかないけど、ブラック企業に身体を損なわれ社会的にあるいは肉体的に殺さるよりは社会のレールから外れても(反社会的な行為じゃないよ)自分自身の決断であがいて運命を受け入れる方がいい。


ブラック企業に殺される人、自殺する人のニュースを見るたびに、言いようのない怒りが込み上げてくる。

「辛いなら辞めればいいのに」

僕の今の同僚がそう言う。正論だ。…だが、健康で正常な判断が出来る事が前提。追い込まれ追い詰められ疲労困憊で苦しんでいる人にそういう判断は不可能だ。

自らを死に追い込むほど責任感があって真面目でやさしい人が犠牲者になる。
あるいは僕みたいに臆病で恐怖感にがんじがらめされている人間が社会からの退場を余儀なくされる。

同僚は言う

「辛いなら辞めればいいのに」


そんな当たり前の決断をできなかった人間の背景を慮る事ができない。

同僚は言う

「辛いなら辞めればいいのに」

辞めてさらに辛いめに遭った人が目の前にいるのに。

同僚は言う

「辛いなら辞めればいいのに」

それ(社会のレールから外れる)は人によっては死ぬより辛い選択なのに。だから自ら死を選ぶ悲しい出来事があるのに。

それでも同僚は言う。

「辛いなら辞めればいいのに」