越後屋のブログ

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日記のようなエッセイのような独り言のようなそんな感じ。心療内科通いの無職をなんとか脱出して人生のリカバリー中。
たいしたことは書いていませんが、記事の保存・転載はご遠慮下さい。

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ブラック企業で5人必要な業務があったとして、欠員が出て3人で必死に回したとする。

それを見た上司が

 

「なんだ、今まで余分な人員でやってたのか」

 

といって以後3人で業務をさせようとしたのなら、

 

「車のスピードメーターは180キロありますが、一般道で常に180キロだしますか?」

 

と、言ってやればいい。

そんな無茶な運転は違法だという以前に危険すぎて一週間も経たないうちに重大事故を起こして運転手はあの世行きだろう。

ちゃんと法定速度を守って安全に運転すれば人も車も何十年と働けるのに、目先の数分、数十秒を惜しむばかりに無理を常態化し、部下の寿命を縮める人間には人の上に立つ資格がない。

違法な事しないと回らないというのはもうその企業は死に体だと言い切って良い。

いまだに無くならない過労死や、過労による労災のニュースを見てつくづくそう思う。

 

部屋を片付けたい、物を捨てたい、ってずっと思っていたのを今日実行できた。
部屋の状態が自分の精神状態を表すというが、たしかに精神的に疲弊、あるいは病んでるときは本一冊棚に戻すのも億劫だった。
それが一気に物を捨て片付けられるようになったのは体調が回復してきた証なのかも知れない。
しかし断捨離を思い切ってするとスッキリするというが、自分は物への執着が結構強いタイプなので、なんとなく罪悪感や喪失感があり、ストレスを感じる。
漫画一つとっても、

「ああ、小学校上がる前、このドラえもん読むために今は亡き祖母に文字の読み方教えてもらいながら読んだなぁ」

とか、

「この学研の歴史漫画、なんども読み返したなぁ、自分の歴史好きの原点かも?」

とか思い出が一つ一つ蘇ってきて捨てるのが辛かった。
でもこの思い出も執着心で、自分自身を束縛している原因なんだろう。それは理解できる
でも、自分の生きてきた証を喪失したような感覚はどうしても拭えない。
それも時間がたてば風化する感情なんだろうけど。

 

心療内科の薬を少し減らし、体調も安定してきたところでちょっとづつ就業意識がでてきた。
といっても求人票の閲覧をするだけなんだけど。
良さそうな所を見つけても、ダメ元で受けてみよう…って、行動に移す踏ん切りがつかない。

僕が今まで働いてきた職場は、パワハラモラハラ職場イジメが普通にあるところばかりだったけど、世の中それが当たり前なんだろうか?だとしたらどうせ次の職場も…なんて考えがよぎって応募に二の足を踏んでしまう。

「世の中理不尽が当たり前、みんな苦労、我慢してるんだ」

こういう意見もある。うん、分かるよ。世の中思う通りにいかないのが当たり前だし。
ただね、理不尽や不条理になんら抵抗せず足掻かず受け入れていたらどんどん生き辛く希望のない世の中になってくよ。肉体的、精神的な暴力を是として受け入れてる結果が今の日本の労働市場に蔓延する閉塞感の正体だと思う。
働くのは辛いよ苦しいよ、それが当たり前なんだよってみんな口を揃えて言う異常性に当人達が気付いてない。無理を通せば道理がひっこむ、あるいは悪貨、良貨を駆逐するの怖さが分かっていない。
それは遅効性の毒のように少しずつ人や社会を蝕む。理不尽や不条理に押し潰された落伍者は二度と社会に復帰できなくなる。ニートや引きこもりになるならまだいい。いわゆる無敵の人になって社会に牙をむき、不幸の連鎖を引き起こす可能性だってある。
精神的、肉体的暴力に抗う、NOを突きつける、あるいは逃げる勇気を持つ、それが普通になれば、世を悲観して引きこもる人達も少なからず救われるんだろうけど。

ただ、最近は求職者の売り手市場なんて話も聞くし、人を人と思わぬブラック企業なんて真っ先に苦境に陥ってると信じたい。
さらにいうなら、もうしばらく売り手市場が続いて、労働者を大切にする風潮が定着することを願わずにいられない。

あまりに長いデフレは

お金>人

を世の普遍的な価値観としてしまった。これを変えるにはまだ長い年月がかかるだろうけど。
というかまず自分が人を大切にする会社を作ったほうが早そうなんだよなぁ。
これも未だ踏ん切りがつかない。
特にお金の問題がね…。
3月に仕事をやめてから今日までずっと静養してたおかげで
体調も大分良くなったように思う。
過去に退職した経験では、もう本当に限界越えてから仕事辞めてたので、
「あー!もう2度と働きたくない!!」
なんて気持ちが強かったのだけれども今回はまだダメージが少なかったおかげか、そこまで再就職への嫌悪感はない。
金銭的にも少しだけ余裕があるのも大きい。
ぶっちゃけると5年前は履歴書の写真を使い回すくらい困窮していたのだけど、今は資産が900万近く。法定賃金以下のブラック労働だったけれど爪に火を灯す思いで貯めたお金を株式に変えておいたのが大きい。
僕の年齢ではこの資産は多いとは言えないけど、とりあえず病気が治るまで休んでいても今後の資産形成には大きく影響与えないのではないかな。
ちゃんとボーナスや年金を払ってくれるまともな会社に入っていれば今頃もっと…なんて思いもするが、悔やんでも仕方ない。5年前自分を卑下し過ぎたのか悪いんだから。とにかく何処でも働かせてくれるだけありがたいなんて考えはブラック経営者を肥え太らせるだけだということを見に染みて学んだ。
この5年で白髪も少し目立つようになってしまった。目のクマも濃くなったように思う。得たものに対して失ったものも多い。
でも人生ってそういうものか。あれもこれもと有することはできない。何かを得るということは何かを失う事なのだ。
家族揃って新しい年を迎えられるだけで本当にありがたい。…なんて若い頃はまったく考えなかった思いに自分の精神的な成長?老化?を感じるお正月、皆さまはいかがお過ごしでしょうか。

僕はネットで転職サイトを消極的に閲覧する日々を送っています。
なぜ消極的なのかというと、適応障害を治さないまま新たな職に就いても大丈夫なのだろうか?と、いう不安が大きく、おまけに心療内科の先生には

「今の職場を辞めて病気が良くなるかは微妙なところ」

なんて言われてしまったことによる困惑が次のステップへの足枷なってしまっているから。
無理して働くか、リスク承知で休むか。明確な答えのない問いなのだけれど、自分の正直な気持ちは

「休みたい」

これに尽きる。収入が途絶える不安も大きいのだけど、もう5年も自分を押し殺してブラック労働に従事してたからさ。疲れちゃったよ。休むと言っても病気が良くなる迄の間。半年くらいだろうか。
もちろん細々と求職活動はするつもり。

しかしブラック勤めで唯一よかった事は、どこの企業もホワイトに見える事。
今時、社会保証なし有給なし残業手当なしボーナスなし給料は法定賃金以下とか探す方が難しい。
人手不足倒産が増えているそうたけど、大半はそういった最低限の保証すらないブラック企業であることは想像にかたくない。ザマアw

ブラックは経営の能力がない人が経営をするからそうなるって至極当然の原因と結果があるんだよね。
少なくとも今勤めているところがそうだった。
僕の雇い主、ぶっちゃけるとある発達障害の疑いが濃厚で、とても経営者を名乗れる能力のある人ではなかった。今まではデフレによる人余りに助けられていただけで、これからインフレが進むと、さらに人手不足に悩ませられるだろう。
世の中の流れが変わってきている事に気付けないようでは、変化していける柔軟さを持ち合わせていないようでは、零細事業者の長も務まらない。
これからそれを嫌というほど思いしる事になるだろうな。つか、そうなれ。ブラック滅びろ。

…と、新年早々取り乱してすみません。
ブラック経営者以外の皆さまが今年も幸多き一年でありますように。