皆様、こんにちは。
思い切り年末ですが、日本の皆様は昨日お仕事納めだった方が多いのでせふか?
久々の本ネタです。
母が「最高に良い本!」と大絶賛したアメリカの前世療法士、ミラケリーさんの「前世を超えて」、ようやく昨日読み終えました。
前世を超えて ― 並行現実、同時存在による癒し、変容
2,862円
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母は読む本読む本を「最高!」って言うので、どれが本当に最高なのか分からないんですが、前世療法の本の問題は、クライアントのいろんなケースが出てきて、それが途中で飽きるのです、私は。「あきるの」で変換したら、最初に「あきる野」が出てきました。あきる野市、頑張っているかい?
で、ミラさんが最も伝えたいのは、「前世は過去に起こった事ではなく、過去、現在、未来は同時に起きている。本当は時間はない。そして同じ過去生にもいろんな別バージョンがある」
と言う事だと思います。
私の個人的な経験から言わせて頂けば、過去生の人格は今でも生きている。人は死なない。でもエミリーを例に出せば(ってエミリーしか例に出せないんだけど)、今でも勝手に人の職場でケーキ食べたりしてるし、生前の時代にいるようには感じはないです。ただ価値観などは当時のまま(図書館は行った事がない。女の行く場所ではない)。だから現代風の表現が理解出来なかったり、ジーンズ姿などは見た事がないし(女がズボンなんて!)、生前食べた事がないようなモダンなケーキ(パッションフルーツムースとか)等、味が単語から想像が出来ないものには自らは手は出さない感じ。ただこれもあくまで私が感知した範囲内なので、過去生人格はその時代に今でもいる時があるのかも知れません。まさに多次元な存在ですね。
確かに過去生は多次元の存在なんだなーとは思うのですが、ミラさんの経験では、同じ過去生人格にも複数の人生バージョンがあるようです。つまり、エミリーにもお金持ちでイケメンの男に求愛されて再婚し、毎日フランス人形みたいなドレス着て美味しいもの食べてって言う別の人生があったようにはとてもとてもとっても思えないけれど(エミリー、ごめんな)、私の意識が貧乏エミリーの意識にフォーカスしてきただけだのかも知れません。
そこら辺の事、実感的には分からないのですが、正直過去生人格のいろんな別バージョンの人生より、現在の自分の人生が楽しければそれで良いと言うエゴ丸出しで、過去現在未来という直線の時間軸の中にどっぷりと住んだままの年越しでござんす。
そして実家から送られて来る本は大抵母の校正が入っているのですが、今回もその例に漏れず。
下記のリブログ記事にも、過去の母の校正と感想文のオンパレードが記されておりまつ。よろしかったら、ご覧下さいませ。