068『何故なのか?を常に考えるのが自分の練習』

(或る好日)
本日は、天気が良いし、時間も取れたし、久しぶりの練習日和です。


強健術は、練習重ねてナンボのものだと思ってますので、少し思考しては、すぐに身体を動かしてみます。

動かしながら動きや型を検証してみては、一休み。

一休みして、余分な思考の波が落ち着いたら、じっくり、もう一度、練習の全体を眺め回してみる。

眺め回してみて、何かを感じたら心に留めておく。

心に留めたら、また、新しい気持ちで身体を動かしてみる。

こんな、のんびりした練習の日和は、滅多に取れるものではありませんね😊

これまでの、練習の日々を通して思えば、「出来た」と思えることは、実に少ない。

出来たと思えるのは「拇趾球~踵~土踏まず」の、活用の方法だけ。
それも未だ未だ練功を重ねて行くべき余地が大いに残ったまま。

「型の検証」も進めて来ましたが、これは、「拇趾球~踵~土踏まずの活用」練習の、進み具合に合わせながら、未だ未だ更に、詰めて行かねばならない。

研究会の富田会長さんもおっしゃっているように、「練習は自分でやる」もの。
結局は、自分を見つめ直す作業が多いですね。

思うに、(練習に)馬齢を重ねて来ましたが、語れることは本当に少ないですね。

ブログは、「練習の備忘録」のようなもので、自分の考えを客観的に眺め、評価する為に書いているものです。

こんな時、ふと、世の中に、目を転じてみると、人間が、ほとんど変わっていないことにビックリします。(人のこと、言えないか😏)

道具は複雑で高度になったが、「良いものを求める心、更なる高みを欲する心」は、同じように洗練されているのかしら?

道具が高度になり、人々の福祉に貢献する現代は、悪い時代ではないはず。
ならば人間も、道具に負けずに、自分を磨いて行けば良いのでは?

荘子に曰く、
「故に天下は皆な其の知らざる所を求むることを知るも、其の已に知る所を求むることを知る者なし。皆な其の善しとせざる所を非とすることを知るも、其の已に善しとせし所を非とすることを知る者なし。是を以て大いに乱る。」

省みることは、練習の基だと思ってます。
大いに乱れさせては行けませんものね😊
(068-了)
〔参考文献:岩波文庫「荘子」〕