こんにちは。
今日は3月11日。
東日本大震災から、もう9年が経ったんですね・・・。
今、世界が新型コロナウイルスの脅威にさらされていて
パニック状態ではあるけれど
正直、あの日からの数か月間の恐怖に比べたら
個人的には、全く心穏やかに過ごせている今日です。
9年前、
日々、ニュースでは津波が人々の生活を飲みこんでゆく映像が流れ
毎日更新されるたびに増える、死者、行方不明者の数。
そして、最大に私を不安にさせた、目に見えぬ恐怖、
福島第一原発からの放射能漏れ・・。
当たり前に信じていた安全安心が崩壊し、
呼吸する空気すら、水道水すら、野菜、米、何もかもが危険な状態。
何が安全なのか、分からない・・何も信じられない。
本当にあの頃、怖くてたまらなかったです。
何がそんなに怖かったのか?
私は、我が子への影響が、何よりも恐ろしかった。
これは間違いないと思います。
もし、私があの当時、母親でなかったら
もちろん、甚大な被害に心を痛めるのは変わりないけれど、
あそこまでの恐怖は感じなかったと思います。
子どもを守れないんじゃないか、という怖さ。
どうしたら、子どもの今の健康を、
そして未来の幸せを守ってあげられるのか・・・
それが、叶わないかもしれない、分からない不安。
それが一番でした。
今、私がコロナウイルスにそんなに恐怖を感じていないのは
万が一子どもが感染したとしても
死ぬことはないだろう、
自己免疫力でなんとかなるだろう、
と、思えているからなのかもしれません。
(もちろん、世界的な混乱、経済的混乱は普通に怖いけれど)
要するに、
愛する子どもの幸せが、得体のしれぬモノに
奪われるかもしれない、という事態。
そして、それを自分では
守ってやることは出来ないんじゃないか、という恐怖は
人をとんでもなく不安にするもの、なんだと改めて思います。
逆に言えば、
愛する子どもが、自分でなんとかできる、
と思える根拠が
信頼として自分の中にしっかりと有りさえすれば、
相手がどんな得体の知れぬ脅威であっても
自分がその恐怖と不安に飲みこまれることはない
ということ。
子どもの不登校は
親にとっては、得体の知れぬ脅威、かもしれないけれど、
ただ、今、「学校へ行っていない」というだけ。
この先、子ども自身の力で幸せになることも出来るし
親として、幸せになるサポートをしてあげることもできる
そう思えたら、
信頼を確信できたなら、
お母さんは、恐怖と不安に怯える必要はないよね。
と、改めて思った3月11日でした。
東日本大震災で、犠牲となられた方々へ
追悼の意を表し、ご冥福と復興を心よりお祈り申し上げます。
読んでいただき、ありがとうございました