『自分と家族の健康は、自前で築く』整体カウンセラーのブログ -28ページ目
(つづき)
 
 
エヴァンゲリオンと、ディマティーニ・メソッド(DM)は、
共通している所があります。
 
エヴァンゲリオン = ペルソナ(仮面) からの解放・卒業。
これが両者に共通しているテーマです。
エヴァンゲリオンに惚れるような人は、DMと相性が良いかもしれませんよ。
 
エヴァンゲリオンで、主人公の父は、 「相補性のある宇宙」を嫌いました。
相補性のある宇宙とは、対極的なものが存在する宇宙のことです。
生ー死、富ー貧困、出会いー別れ、快楽ー苦痛、男ー女、絆ー孤独、個人ー集団、
自由ー役割 など 対極のものが存在する宇宙です。
 
これが私達が現実に住む宇宙の姿です。
 
 
現実の宇宙は、この対極のものが流れるように変わっていきます。
そして、 1つの場所に固定することがない。
 
父ゲンドウは、 この仕組みを嫌がり、
つまり神の仕組みを嫌がり、神にケンカを売ったのでした。
この仕組みの中で、自分の最愛の妻ユイがいなくなってしまったと感じたので、
この仕組み自体を憎み始めます。
 
この仕組みを守るために、ユイは自らの命を捧げたことを知ったのならば、
どのようにゲンドウは感じたか知りたいとことではありますが。
 
そして、父ゲンドウが目指したのは、対極がなく統合されて、統合に固定された世界です。
(多分原理的に不可能です)
何を思ったか、そこでなら妻ユイに再会できると思ったのです。
どうせ再会したって、古事記のイザナギ ー イザナミの 顛末になるのが、オチなのですが。
科学万能の考えの彼は、考えが及ばなかったようです。
 
 
この相補性、ある意味、太極図は、
本当は父ゲンドウが立ち直るためには、絶対的に必要な要素だったのです。
この相補性を活用することで、個人が自分の心と向き合えて、
真の自己を取り戻すプロセスを促進されます。
ディマティーニ・メソッド(DM)は、この相補性を活用する、メソッドです。
そして、その人を本来の状態、つまり「その人らしさ」に戻すための手法です。
 
 
 
主人公が立ち直るきっかけになったのは、第3村で過ごした時間です。
ここでは、相補的に発生している、他人の人生や価値判断や感情と、触れ合うことになりました。
主人公はマイナスに偏っていました。
実際しばらくの間、浜辺でいじけてる姿が長くありました。
 
しかし、同じ位厳しい環境にいても、相補的に、逆の方向に歩き出したのが、村人たちだったのです。
こうした人々を参考にしながら、
多角的に自分の人生を、主人公は見ることになった様子です。
そして、自分なりの人生の方向性や、自分なりの価値観に、気づいて行くことに成功します。
 
ここで初めて、どのように生きたら、自分に後悔がないかまで、深く掘ったようです。
これが、顔に、確信となって現れています。
 
他人を押しのける、自分の使命だけをしか見ない方針ではなく、
自分の価値観に沿った使命を進む方針になったのです。
絶望的な状況からでも、父と息子では、対極的な方向に歩み始めたのです。
 
愛する父のみならず、同じパイロット達や、恩人である渚への思いも決して忘れないで、
最終決戦に臨んでいたのです。
 
主人公のこの行動は、ある程度バランスが取れた人格ならではの、ものです。
実際のDMでも、バランスを手段としていますので、
バランスが取れるようになると、こうした行動が自然にできます。
頭で考えずに自然にできると言う点が、とても大事です。
 
 
 
父ゲンドウは、結果的に失敗することになるのですが、
父は「そこに行きさえすれば、道具を持って行きさえすれば、成功する」
と思い込んでいました。
リアルの私達の世界で言うならば
「金さえあれば何とかなる!!」
と思っている人と同じですね。
 
いざ、その現場に行ってみると、「心がないものは受け付けない」となっていたので、失敗します。
「金さえあれば、妻の心は、買えたのではないか? 子供の信頼も買えたのではないか?」
と嘆いて、失敗する父親に似ています。
 
そして、心が至っていた主人公が、 4番目のインパクトをもコントロールする側に回ることになります。
世界を変えることができるようになったのです。
心を整えたものは、世界を変え、大事な人を救えるようになる。
大変象徴的なシーンでした。
 
 
DMの特徴は、4歳か5歳でも充分できるワークなのですが、
ゲンドウのように、徹底的に見たくない人は、見たくないままです。
そうした人は、よくある他の心理療法の方が、合うと思います。
時間はかかりますが、 ある程度実力がある資格者だったなら、
10年ぐらい見ていただければ何とかなると思います。
詳しくは、次の次で述べます。
 
 
 
 
エヴァンゲリオンの心理と、
DMの適用例を、見てみましょう。
 
 
映画では、ペルソナ=エヴァンゲリオンを徹底的に脱ぎ捨てられ、そして決定的に心が変わるのが、
量子論が存在を示す虚構宇宙に行った時でした。
DMの場合、虚構宇宙に近い状態になる ことが、短時間できるので有益です。
セッションが終わった後にも、深掘りがご自身でできるので、私はお勧めできます。
 
もちろん、どんな心理療法でも、
大前提は「主観的苦痛」と「変わりたい動機」。
これがないと、無理です。
ないと、話が進まないので、登場人物たちには、
こうした動機があると言う前提で、今回話を進めます。
 
 
 
以下では、主要な登場人物(アスカ、綾波レイ、碇ゲンドウ、碇シンジ)に
DMを適用した場合の分析と、予想される結果を紹介します。
 
 
 
アスカ:攻撃性の裏にある孤独
 
アスカは攻撃的で自己主張が強いキャラクターですが、
これは主人公(シンジ)や、作者の心の一部を象徴しています。
 
彼女の言葉「バカシンジ!」「逃げるな!」「しっかりしろ!」などは、
うつ病患者が自分を責める、典型的な内なる声です。
 
しかしアスカのこの攻撃性は、
「認めてほしい」「愛してほしい」という深い孤独の表れです。
虚構宇宙の中で、アスカは自らの生い立ちを振り返り、
誰も必要としない、 強い心と体を持つ。
  だから、 私を認めて、私を褒めて、私に居場所を与えて!!
 本当は寂しい。本当はただ、頭を撫でて欲しかっただけ」
と語ります。
 
第3村で恋をしたクラスメートが「いいんだ。アスカはアスカだ。それで充分さ」
という言葉は、
彼女を無条件に受け入れる存在として現れ、彼女の心を解放します。
 
 
 
DMを適用する場合、 多分ですが、 この暴力中毒を解消する方針から入ります。
 
暴力を振るうデメリットを明らかにし、暴力以外の方法で自分の気持ちを訴える代替方法を探し出します。
この代替手段を取るメリットを、見つけ出します。
 
そして、親がいた時のデメリット、親が愛情を受けるデメリットを書き出します。
次に、親がくれたであろうメリットを、今は誰が代わりにしてくれているのか書き出して、
親ではなく代用人がいることのメリットを書き出します。
 
ここまでくると、アスカは自分の攻撃性が自己防衛のペルソナであると気づき、
それを手放すことで本当の自分を受け入れるでしょう。
 
 
 
綾波レイ:受け身から主体性へ
 
綾波レイは、命令に従う受け身の存在として登場します。
彼女は主人公の母親の遺伝子を持つクローンであり、
自我を持たない「道具」として生み出されました。
 
しかし、第3村での人々との交流や、子供達、赤ちゃんとの触れ合いを通じて、
綾波は自我を芽生えさせます。
「私、名前が欲しい。あなたに名前をつけてもらいたい」
と言うシーンは、彼女が主体性を持ち始めた瞬間でした。
 
そんな綾波は、2度「消える」運命をたどります。
1度目は、人間らしい心の動きを得て、敵の使徒から助け出された時です。
2度目は、 第3村での交流で人間らしい心を得て、この世界にいる理由を失った時です。
映画的には、「人間の心を一瞬でも獲得したので、卒業です🎉」という形です。
 
マイナス宇宙でシンジと再会した綾波は、
「ここじゃない生き方もある」と新しい世界に誘われ、
握手を交わして古い世界を去ることを決意します。
「命令に従う役割」 ペルソナを捨てて、
彼女が自分の意図を持つことで、真の自由を得るプロセスでした。
 
 
 
これは意外と難しくない事例で、受け身でいるデメリットを書き出してもらいます。
受け身でいると、どれだけ自分の最高価値にマイナスか見てもらうのです。
 
受け身的な人であれ、受け身的でない人であれ、
どんな人でも、自分の価値観に従って生きているのが人間です。
綾波の場合は、命令に従うことによって、自分の存在価値が高まると思っています。
これがそうでもないことを、自覚してもらえば良いわけです。
ある意味、受け身中毒なので、 先程のアスカと同じ方向に行きます。
 
そして、実在する人間であれば、
受け身でいることの方がメリットが大きい」と判断した、過去のイベントが必ずあります。
そのイベントで、 自分の主体性を捨てようと思うキッカケになった人物に対して、DMをします。
多くの場合、この人物は、父親、母親、学校の教師、などの権威です。
 
「この権威に従った方が、安全だ。自分には価値がない」
と思い込んでいるからです。
見上げている権威に対してのDMをします。
 
必要に応じて、
「自分に価値は無い」と言う自分を 見下すきっかけになった、
自分自身の嫌な特徴に対してDMをします。
自分自身に対してのDMです。
 
 

 

 

 

 

 
長くなりましたので、
碇親子に関しては、次でお伝えします。
 
 
 
(つづく)
(感謝)
吉田直樹 拝

映画エヴァンゲリオンの分析を、続けています。

 

人の心は、 言動に出てくるものですが、

姿形には出てこないので、苦手とする人が多いです。

今日もそんな相談をいただきました。

 

実生活や仕事からで十分学べる人もしますが、

これは相当心理学的な分野に才能がある人だけで、普通の人はわからないものです。

わからないけれども、大変大事なものなので、面白い材料があれば、

私はブログであえて提供することにしています。

人間の心の健康を考えるには、心が大事だからです。

 

肉体的なことだけを考えていたら、

普通は20歳前後で終わり、 早いと思春期位で終わり、と考えてください。

そこから転落して行くには、あまりに人生は長い。
 
こうした心の勉強は、実例であげるより物語にした方が、
わかりやすい場合もあります。比較的無害ですし。
ということで、エヴァンゲリオンの感想の続きを、行ってみましょう!
 
 
 
(つづき)

 

 

この作品は、最新の量子論を採用しています。

ガンダム時代にはなかった設定です。

この船に乗った最終決戦に行く時、

マイナス宇宙という虚構宇宙の存在が出てきます。

 

スタートレックだと、反物質宇宙や反物質次元ですね。

実数に対する、虚数 i みたいなものです。

天国とか、あの世とは違う概念です。

これを想定しないと、宇宙は説明がつかないと言う所まで、

宇宙論は進歩してきています。

単なる広い空間ではないと言う解釈が、最新の科学の解釈なのです。

 

このマイナス宇宙では、

普段私達がいる世界では出てこない心に、直接アクセスができる と言う設定です。 

心がメインになり、心の状況によって、

プラス宇宙つまり、この現実世界も大きく変えることができる と言う設定なのです。

 

心のATフィールド(強力なバリア)がもはや崩壊した世界ですので、

強烈なATフィールドを全身にまとっていて、 世界一優秀だが、誰も家族も心に入れない父。

そんな父とも、主人公は話し合うことができたのです。

ハートオープンじゃないといられない世界なのです。

そんな場面が、クライマックスに出てきますし、 人類存亡の危機を決する大事な局面でした。

 

 

 

現実のこの世界でも、

心に傷を負った人、変な言動をする人は、親子関係がおかしい人が多いです。

親子関係がおかしいと、子供を育てることができなかったり、

会社で普通の仕事ができなかったり、

自分の人生を設計したり、将来計画を立てることができなかったりします。

将来のことを考えられなかったりする。

刹那的に動いたり、場当たり的な愛情をくれる人のみを追いかけたりする。

人間的な 葛藤を全力で避けようと逃げようとする傾向になったりする。

他人への愛情がわからなかったり、 他人に心を開くことができなかったり、

変な趣味を持ったりします。

 

この映画作品の中でも主人公は、大人を信じていませんし、

誰かの為にも動けないし、自分だけが被害者と思っていたし、

大人は自分をいじめるものと思っていました。

友達は、できないものだと思っていた。

それが本気で向き合ってくれる大人たちや、

本気で向き合ってくれる同年代の人たちと、掛け値なしで触れ合うことによって、

傷つきながらも、立ち直ることを繰り返すことによって、段々と変わってきた作品でした。

 

そして極めつけは第3村で、

自分と同じ環境の中で、自分以上に苦しんでいた人達が、

それでも前向きに地道に生活していく姿、生きていこうとする姿に心打たれ、

自分のできること、自分の進むべき道を本気で模索し、大きく成長した。 

そんな主人公でした。

依存性障害、回避性障害からの脱却でした。

 

 
 
その主人公の父は、4作目の最後の30分位の時に話を始めますが、
自分がどんな生い立ちをたどっていたか、話し始めます。
ATフィールドが落ちた、虚構宇宙だからできる話ですね。
 
父ゲンドウは、最愛の妻ユイ= 父の世界を明るくしてくれた妻 
を亡くしたことにより、人生が変わったと考える人でした。
妻を奪った神を恨み、神殺しを目論む人でもありました。

被害者意識が強く、自分に価値を感じない人でした。

 

自分に価値を感じない、自己価値観がひどく低いので、

「最愛だからこそ、自分の子供には、自分のような者が関わらないこと。

これこそが、子供への愛情だ。子供を突き離すべきなんだ!!」

と結論づけた人でした。

 

それで息子である主人公は、叔父叔母に預けられるのですが、

そこで十分な愛情を与えられていないと感じ、学校でも浮くようになり、

「どうせ友達なんか作ったって」

「自分は愛される存在じゃないんだ」

といった思い込みを選ぶようになりました。

回避性人格障害の典型例ですね。

この点、父と同じといえます。

 

この父ゲンドウは、大変能力の高い人なのですが、

周りに理解する者がいないと感じていたので、勉強とピアノに熱中したと告白します。

「勉強とピアノは、自分の成長も感じられ、そしていちいち気を使わなくて済む。

とても楽であった。 いつも1人でいたかった。

親類との交わりが嫌だった」

と告白します。

この延長で、最愛の息子にも、同じ目に遭わせてしまうパターンの父親になっているんです。

 

 

 

こうした暗い成長期を過ごした中で、京都大学院に進み、妻と偶然に出会います。

その妻が、 硬く心を閉ざしたゲンドウの心を開き、

他人と一緒にいる喜び、愛する喜び、愛される喜び、新しい命と向き合う喜びを教えてくれたのです。

多分生きる喜びも教えてくれたと思われます。

 

まさに、 地獄のような闇の中に差した一条の光。

こう、妻のことを感じていたのでしょう。

完全な過剰評価であり、 強い依存症状態になっていることを示しています。

(こうした男性を「かわいい」と思える女性も、心に大きな闇を抱えてる可能性が高いです)

 

そのユイが奪われたと感じたので、彼は怒り(碇)、 運命を神を呪います。

(設定的にはユイは、自分で死を選びました。未来と人類のために。 

 しかし、夫はそれを知らされていない設定です)

そして妻を蘇らせる方法、妻との結婚生活を継続させる方法を探り、

人間ではない存在が残した、4つのインパクトに行き当たり、 

これを実現することに、全てを注ぎます。

そして息子さえも利用しようとした。

まさに、 サイコパス状態。

 

勝手に自分で部屋を暗くして、 長くその中にいれば、

1条の光でも神々しく見えるものです。

そして、その光を過剰評価し、光が無く(亡く)なったら、

「何としても、あの光を復活させたい!!」

「 暗い中で、1人は苦しすぎる!!」

と思うのが人情です。

 

しかし、単純に部屋を明るくする、カーテン(心)を開ければ良いだけなのです。 

通例通り、いくら頭が良くても、カーテンを開けるという発想にはならなかったのが、

すべての問題の始まりとなる訳です。

頭の良さや 地位があるかどうか、心を開けるかどうかは別問題なのです。

 

映画の設定ではありますが、大変よくできていると思いました。

大変よくある心理的問題を抱えるケースの、教科書的な事例にも思えました。

心理の勉強という意味でも、大変優れた教材的な映画です。

 

 

 

 

結局、父ゲンドウは、発動条件にかなわず、奥さんユイに再会することに失敗します。

 

この時に嘆き、

「私は自分の弱さゆえに、ユイに会うことができないのか? シンジ。。。」と言います。

息子のエヴァンゲリオン初号機を奪うために誘い込んだ列車の中でしたが、

自らの至らなさを自覚するための列車に、なってしまったのです。

 

強さを演じ続け、強くあるために、ひたすら孤独であり、

心底愛する息子からも、距離を置いてきた人生を、ゲンドウは振り返ります。

 

今までずっと拒絶し、戦うことまで選んだ息子に対し、

ついに語りかけるようになります。
良心が、彼本来の心が、戻ってきた瞬間でもありました。

(腹心の冬月の成仏・LCL化があったので)

 

 

 

その時主人公が、言います。

「自分の弱さを認めないからだよ。 

本当はずっと昔から、分かっていたんじゃないの? 父さん。。。」 

と言うようなことを言います。

 

 

この時に、 外の世界にいたミサトが命を投げ出し、キーツールである「槍」を届け、

主人公はこれを受け取ります。

育ての親のような、ミサトの死を悼みながら。

すべての形成が逆転した時です。

 

父は言います。

「 他人の死と、想いを受け取れるとは。 大人になったな、シンジ。。。」

と作品中初めて、優しい眼差しの父がいました。

 

自分の妻の死と想いを受け取ることが、ずっとできずにいた父には、

最も感慨深く、最も説得力のある瞬間でした。

 

息子が自分を人格的に追い抜いたことを認め、 羨みつつも、そして安心できた目でした。

そして、 息子をかつて捨てたことを悔いて、

息子を初めて抱きしめ、1番重要なことに気が付きます。

「そうか、そこにいたのか、ユイ!」

 

この言葉を残し、父は、列車から降りること(今までの生き方を止めること)を選びます。

まさに成仏した瞬間です。

 

 

 

家族を大事にすれば、良かった。

実は最も愛していた息子を、愛する行動をすれば良かった。

 

「子供は、私に与えられた罰だと思い込んでいた。
子供に関わらないことが、私の贖罪だと思い込んでいた。
その方が子供のためになる」

などと思わずに、決めつけずに。

 

ゲンドウは 家族に傷つき、人生を曲げたタイプですから、

本来の価値観では、家族こそ大事なのです。

だからゲンドウの場合は、家族を大事にしてこそ、

素晴らしさに触れることもできたし、自分らしく生きていくことができたのに。

こんな壮大な全地球、全人類を巻き込んだことなど、しなかったのに。

最愛の妻ユイを感じながら生きていくことも、できたのに。

最愛の妻ユイが残してくれた、2人の最愛の息子と共に生きることを通して。

このことに、 心底気づいた瞬間でありました。

 

主人公である息子の中に、妻と同じもの、ゲンドウが最も欲しかったもの

「掛け値なしで認めてくれて、愛してくれる、受け入れてくれる力」

を、感じることができたからです。

 

誰の中にもないと思っていたのが、実は、 最も身近な家族にはあったことを知ったからです。

自分がハートを開きさえすれば、過去にも、自分の家族の中に見出せるものだったからです。

 

小さい頃から家族を否定し続け、結婚してからも家族を否定し続けてきた作戦を続けた男が、

「 最初からそんな必要は、なかったんだ」

と悟った瞬間でもありました。

 

父の思い、執着は、ここで完全に成仏します。

列車を降りることを選択します。

 

 

 

この父の心の動きを、DM的に見るなら、

妻ユイの中に見た、「ユイらしさ =自分の弱いところも受け止めて、それでも愛してくれる」TAIを、

息子の主人公シンジの中にも、同じTAIを見いだすことに成功した状態です。

「ユイという肉体はなくなったけれども、ユイらしさは心を開けば、

ここにもそこにも、そして息子の中にもあるじゃないか」

と確信できた瞬間でした。

 

 

さて、次は、他の登場人物に関しても、DM的にも見てみましょう。

 
 
 
(つづく)
(感謝)
吉田直樹 拝

(つづき)

 

 

前回、映画エヴァンゲリオン4部作の 表のあらすじを書きました。

今回は裏のあらすじです。

裏とは、心の動きのあらすじです。

 

この記事を書くのに、アニメ版や漫画版、旧劇版も 見てみましたが、

古いファン達の期待を裏切らない形で、4部作に入れています。

最後のスタッフロールの後にもおまけがあったり、映画の告知CMにも大事な要素があったりと、

かなり功妙に仕組んでいる作品です。
これらを含め、そしてキリスト教やユダヤ教の話を知らないと、

理解できない部分があります。

普通は、ついていけないですよね。。。

私も苦労しました。

 

ラストシーンで、主人公と手を繋ぐマリという登場人物がいますが、

誰がマグダラのマリアや、聖母マリアの「マリ」を想像するでしょうか(笑)

彼女はこのシーンで、主人公の首輪を外しますが、これまた大変象徴的です。

 

序、破、Q、シンの4部作の3作目の中では、14年間の空白の設定がありますが、

この部分だけでも映画が1本ができる位の内容が、推察される始末です。

4作目では「第三の村」で主人公たちが、2、3ヶ月逗留しますが、

ここでの主人公の心理的成長とやり取りには、やはり映画1本分は必要です。

 

これらを飛ばして、4分作に短縮して なおかつ、何気ない1行のセリフや、

3秒にも満たない背景のようなワンシーンに含ませている。

大変重厚な密度です。

よくここまで作り込んだと、大変感心しました。

 

しかし普通は意味がわからないので、スルーします。

実に複層的な作品です。

稀有な作品であることは間違いないですね。

 

私は映画評論家でもないし、映画の理解はあの作品においても、半分以下だと思いますが、

この上で、分かる範囲で参ります。

 

 

 

 

前回お話ししたように、この映画は、ロボット大戦物のようでいて、

ロボット大戦映画ではないです。

心理の変遷、心の成長がメインです。

心理の変遷を、裏のあらすじとして、話をしていきましょう。

 

以前のアニメ版などの内容だったら、私はここでは取り上げないでしょうね。

また、個人的にも、見向きもしないと思います。

心の成長があるから、皆様のためにもなります。

(少し難しすぎますが)

 

 

 

 

この4部作は、 一言で言えば、

主人公が、他者への精神的依存から立ち直り、成長し、

一人前に自分の足で、歩み出すまでを描いた作品です。

(多分ですが、作者の実体験を反映しています)

 

このためか、依存する考え方や姿勢から抜け出るまでは、

この映画では、徹底して 救われない、報われない設定なのです。

安っぽいアニメでは無く、

「世の中って、こんな厳しいの??」

と言う位に、主人公は、打ちのめされます。

(現実なら立ち直れない人が、続出な程です)

 

2作目「破」のように、命を賭けて愛する人を救おうとする。

だけれども、結果が伴わないのです、救えないのです。

「依存している内は、共依存になっている内は、ダメよ」

と言わんでばかりなのです。

実際の世の中も、こうですけれども。。。

 

この上で、

人間がどうやって立ち直るかを端的に示した作品でした。

 


1作目は、自己否定がメインでした。
「誰も僕を、わかってくれない」
「みんなが、僕を傷つける」
 他者不信であり、 自分に自信のない少年だったので、本部(職場)からも逃げ出すこともありました。
もはや境界性人格障害状態です。
 
同じパイロットの綾波レイに恋をし始めますが、自己投影の恋です。
 「レイは僕のことを、どう思っている?」
「アスカがいれば、よかった」
 他者に愛を求め依存ですね。
(当然報われません。現実世界でもそうですが、報われない方が良いのです)
 
 
2作目では、感情に任せて救出劇へ動きます。
その元には逃避がありますので、失敗します。
ドラゴンボール型の「怒るとパワーアップして、問題が解決する」の否定ですね。
「自分が、いなければよかった」
「こんな世界など、消えてしまえ!」 
自我消失願望が底にある結果です。
キレる と言うのは、すでに人格障害なのです。
 
この幼稚な病的な傾向が、やがて、精神的な成熟を前提とした、受容になっていきます。
 
 
4作目で、第3村に滞在している時に、
超宗教的なイニシエーションか、かなり高度な深い瞑想を連続体験することと、
マリによる高度な教育により、格段に目が覚めたと思われます。
 「みんなに傷つけられるのは、僕がそう思ってるからか。。。」
 
他責思考からの脱却です。 
自分の果たせる役割に目が覚めて、 自分も一人の人間であることに覚悟ができ、
自分の足で立つことを、選び始めた段階です。
認知の転換が起きての、再生です。 
 
「僕はここにいても、いいんだ」
「 自分で選び、自分の意思で進んで行きたい。。。」  
となり、第3村から出て、あえて危険なミサトの戦艦に乗り、
みんなと世界を守ることを選び、父との因縁に決着を着けに行こうとします。
 

 

 

主人公シンジの成長軌道は、

 依存  →  主体喪失  → 挫折と崩壊  →  主体性の回復  

なのです。

 

 

作品ごとに細かく見ると、次のようにまとめられます。

 

【序】 未成熟な承認依存、父性欠如による迷走。 

 

・ 生き別れていた親の愛を求め続けた、受動的な立場。 

・口癖の「逃げちゃダメだ!」と連呼する自責の元には、他者(=父)への愛情欲求がある。

 ・綾波レイに自己投影し、自己の存在価値を、彼女に求める.  

・承認欲求による行動動機が支配しており、“他者の目”が自己決定の前提。 

 

 

【破】 承認獲得による万能感と、これに続く崩壊 

 

・アスカ、マリ、レイとの関係を通じて、「誰かのために戦う」自己意識が確立し始める。 

・「綾波を助ける!」 = 恋愛依存的な自己犠牲は、初めての「自己選択」。 

・ しかしこの結果がサードインパクトで、この代償が世界規模の厄災になる。 

 

 

【Q】 罪責感と無力感による自我崩壊と絶望。自己と現実の全否定。 

 

・自分の「レイを助ける」選択が世界を壊した失敗と知り、自己肯定が不可能なドン底へ。 

・ カヲルとの交流に救いと依存を感じるも、この選択さえも失敗と出て、もっとドン底へ。 

・シンジは、外界と自我の一致が崩壊し、現実逃避と自己嫌悪の極地へ。 

・「自分が動いても、誰も幸せにできない」という絶望。 

 

 

【シン・エヴァンゲリオン】 喪失を受け入れた上での選択。自律的自己の成立へ。

 

・第3村での旧友達との生活を通すことで、自分の役割を主体的に選び、   

  「誰とどう生きたいか」を、初めて考える。

・最終決戦で「すべての因果を終わらせる」選択を、自らの意志で行う。 

・もはや他者の期待ではなく、“自らの選択”として父と向き合い認め、世界を書き換える。

・ 最後にはエヴァからも降り、「現実世界で生きる」ことを選ぶ。 

・ 幻想からの卒業 = エヴァンゲリオンという他者依存/他者からの支配を手放 し、

 自らの意志で現実世界を生きることを選ぶ。

 

 

キリスト教的に見ると、この第3村の話は、「荒野の40年」に当たります。

村に到着するときの主人公の顔と、

村から出て、船に乗船するときの主人公の顔は、まるで違うのです。

別人です。 

自立した良い顔になっている。

 

 

 

主人公シンジは

「他者によって存在を規定された少年」から、

「他者を受け入れ、自らの選択で世界を創る青年」へと移行成長しています。

現代人が抱える自己の輪郭の希薄化と、主体回復の願望が投影された構造があるので、

世界中で大ヒットしたのでしょうね。

 

作品全体としては、

「人は誰かのために戦う(働く)ことでしか、自分を見つけられないのか?」

という問いに対して、

「自分のために降りることも、また戦い(自己実現)である」

と答えて終わる作品でした。

(私個人は、どちらでもアリと思いますが)

 

 

作品の中で、特に4作品目では、

一人前になった主人公は、

「父がやってきたことに、始末をつける」と言い始めます。

過去の延長、親が引いたレールではなく、 自分の足で歩む宣言でもあるわけですね。

まさに大人です。

 

そして、父親との今回の心の旅の後に、深く自分の心に影響した人物たち。

まさに、自分の心の投影である人物たちを、 

その過去の呪縛から解き放つために行動し始めます。

(この時点では、ロボット大戦の話は時空の彼方へ、吹っ飛びます。)

まずは父親、そしてあすか、渚、レイと。

 

私はディマティーニメソッド(DM)のファシリテーターなんですが、

ここなどまさに、ディマティーニメソッドの展開そのものなのです。

大変感慨深く見ていました。

「DMをアニメ化すれば、確かにこんな感じになるよね」

とも思っていました。

 

2000年以上前の神話から、父と子の物語は、 語り継がれています。

それだけ親と子供の間柄と言うのは、繊細なものでもあり、

傷つく人が多かった、理解に苦しむ人が多かったということでもあるのです。

そして、変に傷つくと、その人の人生や、それ以降の代の人たちが、

大きく変わってしまうと言う 実例も多数あるからです。

 

2000年前の大ヒット作品がいまだに残っているのではなく、

2000年以上同じ繰り返しが出てきたし、

2000年間以上変わらない大事なことだ、と言うことなのです。

だから伝統は、今の人にも充分必要なのです。

古くはギリシャ神話であり、 私が生まれた頃はスター・ウォーズでしたが、

現代だとエヴァンゲリオンと言う映画なのです。

 

 

今回はその傷ついた少年が、どのように回復するか の一例を示したものが、

この映画なのです。

まさにこの1連の映画は、

少年の回復方法を1つの例として挙げた面白い作品になっています。

(ちなみに、少年という単語は、男女ともに含む用語です)

 

次回は、父と子の 回復のあらすじを、紹介してみたいと思います。

これもまた、分かりやすい1つの象徴的モデルケースです。

 

 

 

(感謝)
吉田直樹 拝