『自分と家族の健康は、自前で築く』整体カウンセラーのブログ -27ページ目
(つづき)
 
教材としての、映画シンエヴァンゲリオン を紹介しています。
前回は、ラストシーンに対する、私の妄想をお伝えしました。
 
この妄想ついでに、
登場人物たちも、現実的評価をしてみましょう。
現実を知ってこそ、夢も希望も湧いてきますからね。
 
現実的で一般的な方法としては、 
エヴァンゲリオンのメインキャラの精神を
どう分析するのか?
どんな治療が可能なのか?
そして、誰が1番治療可能性が難しいのか?
を見てみましょう。
 
精神医学的、臨床心理士的には、どう現実的には評価するのか?
私の偏見や好みを入れないためにも、AIを利用してみました。
そして、様々な角度からAIに聞いてみました。
専門家にこんなこと、聞けないですからね(笑)
 
これがまた面白い。
お笑い要素としてみてください。
 
 
 
もし私が分析家であり、もし私が対面セッションするなら、
こうした分析は一切しません。
相手にも伝えません。
整体的にも、DM的にも、こうした傾向分析はしないですね。
 
なぜなら、 そもそもする必要がないし、
仮に分析したら、このときの分析名称自体が = エヴァンゲリオン になるからです。
 
「私は、〇〇症だから〜」
と言って、改善しないための言い訳にしたり、逃げる手段にしたり、するからです。
 
〇〇症であろうとなかろうと、
「あなたが、したい事は何なのか?」
「 あなたが本気で感じた事は何なのか、あなたの本音はどんななのか?」
これだけが大事です。
ここだけを見ていくべきなんですよね。
 
多かれ少なかれ、〇〇症と言う様子は、どんな人でも持っているからです。
勝手に無用なエヴァンゲリオンに乗らないことです。
それこそ、綾波のように、14年間以上拘束されてしまうこともあります。
 
なので、笑い話として見てもらいたいです。
アニメのキャラクターだったら、客観的に遠目に見ることができますからね。
 
 
ちなみに現実問題として、
1番重篤な状態は、自分を客観視できないことです。
他人の目などを通して、俯瞰できない状態のことです。
「自分を改善したい!」気持ちがない状態のことです。
相手をすぐ強く拒否 拒絶したり、 他人を道具扱いしたり、
他人の責任にして、すべての物事を考える人です。
 
一旦は他人様の指摘を受け止めて、自らを検証検討し、
参考になる所は参考にし、反省する所は多いに反省し、次回に活かす。
一つ一つ改善を積み重ねて人生を進めていく態度の人。
他人の行動をよく見ていて、感謝の言葉と行動をできる人。
こうした習慣がある人は、一番治りやすい状態です。
 
 
 
(以下、AIの判断から編集して引用開始)
 

1. 
キャラクターの心理構造と、治療難易度の概観
治療の難易度は、自己防衛の硬さ、解離傾向、治療へのモチベーションの有無によって大きく異なる。

【治療難易度の基準】
    偏差値70以上:治療的関与が極めて困難(人格構造の硬直、他者拒絶、治療モチベーション皆無)
    偏差値60台後半:高度な専門技術と長期介入が必須(激しい転移・自己防衛)
    偏差値50台〜60台前半:治療可能だが、自己理解と支援環境が必要
    偏差値50未満:治療動機が明確で、防衛機制も可塑性が高い
 
1、碇シンジ:偏差値56以下
2、綾波レイ:偏差値64
3、渚カヲル:偏差値68
4、アスカ:偏差値70
5、 ゲンドウ:偏差値80 → つまり無理
 
 

1、碇シンジ:偏差値56以下
 
碇シンジは、心理構造において標準的とされる。
なぜならば、自分自身が「危ない」と思い、「変えたい」と願っているからだ。

現実的には、映画中の様に、考えられたり動けたり、表情が豊かだったり、
体の動きがなめらかならば、治療は比較的簡単である。
治療動機が明確であり、防衛機制も柔軟性があるため、
介入の難易度は低い(偏差値40台)。
スタート時点では重症ではあるが、 治りやすいタイプである。
 
 
 
2、綾波レイ:偏差値64
 
綾波タイプは、「親密な存在が10年単位で見守る」なら、治療可能性は高い。
ただし、最初の数年は沈黙と模倣の連続であり、
関係性が歪まないよう専門的な調整が必須です。
      
沈黙・抵抗・模倣が長期化しても、安全基地として存在し続けることで、徐々に言葉が出始める。     
「私は何をしても見捨てられない」
「存在していていい」
という信頼の土壌が築かれれば、発語・主体性は発芽する。     
モデルケースとしては、愛着障害〜回復過程の基本構造に類似。  
 
レイに対する最も必要な言葉 
「君は誰かのためにじゃなくて、君自身として生きていい」
 
 
(このケースの、実際の治療成功例を、
 リアルタイムで吉田はいくつか見たことがあります)
 
 
 
 
3、渚カヲル:偏差値68
 
現実世界では、即身成仏達成寸前の宗教家に多い考え方。
この時点で、話が通じにくい。
 
しかし、社会性がは高く、コミュニケーション能力も高いので、希望がある。

・愛された記憶
・名前で呼ばれた経験
・対等な絆の成立
 
から入るのがオーソドックスですが、
宗教的な用語や絶対善的価値観で、
対話が何度となく封鎖されることは、予想に難しくありません。
 
 
 
4、アスカ:偏差値70

自己愛的防衛と境界性パーソナリティの混合型であり、攻撃と依存が交互に現れる。
彼女の心理構造は、
「愛してほしい❤️」
「でも信じられない😭」
「なら先に拒絶してやる👊」
という境界性の典型である。 
 
セラピストに対して理想化と脱価値化を繰り返し、転移・逆転移が非常に激しい。
愛着障害が強く、他者の承認を欲する一方で、
それを否定・攻撃してしまう。
(依存 ⇔ こき下ろし  の連続)
 
自我が傷つきやすく、破綻を起こしやすい。
治療は非常に難しく、セラピストにも高度な訓練が必要である。

暴力的な傾向も含まれるため、彼女を上回る格闘家や戦闘的カウンセラーが、
恋人や支援者になることは難しい。
理屈理由をつけ、そういった人からは逃げ出す傾向がある。
 
逆に、暴力に耐えてくれる人、受け入れてくれる人を信用する傾向がある。
ケンスケ君に、青あざ赤あざが多数できる事は、確定)
 
 
 
5、 ゲンドウ:偏差値80 → つまり無理

ゲンドウは回避性、自己愛性、重度の感情回避、失感情症を併せ持つ。
「変わりたくない人」の典型であり、他者を徹底的に排除し、
目的(ユイ)以外に意味を見出さない。
初期拒絶が強く、セラピーが成立しない場合が多い。
 
そもそも、地位と金と名声と、強烈な目的意識遂行の状態にあるので、人の話を聞く余地は無い。
問題も感じていない。
治療家が近づくこと自体不可能である。
 
 
ちなみに、
ゲンドウのような人物が現実世界で、どのような役割を担えるかを考えると、
世界的大組織でのリーダーシップは、到底無理である。
 

・対人調整力からの、関係調整、交渉術、共感性。

・組織運営力からの、チーム統率、適切な命令伝達。

・情報共有力・連携力からの、 信頼と委任、情報統合。

・自己反省能力からの、 メタ認知、失敗からの学習。

 

これらが世界的大組織のトップには必要項目であるが、

もしこれらがあれば、最愛の子供や、人類にあんなことはしない。

 
彼の作中の姿は、以下の通りである:
    極度の拒絶・遮断
    独断専行・秘匿主義
    情報は独占し操作
    感情回避と合理化

こうした特性では、現実の大組織ではせいぜい部長クラス、あるいは研究部門の技術トップが限界。
「天才的研究者」「孤高の設計思想家」止まりが自然。
漫画家のような個人作業の分野なら成功するかもしれない。
一部の国家情報機関長や、小規模のブラック企業創業者であれば、
こうした特性が活かされる可能性はあるが、健全な組織運営には不向きである。
 
 
 
各キャラクターを1行で表すと、 以下のようになる。
 
・シンジ:依存性 + 回避性   
・綾波:自己無化 + 解離性 + 存在論的共依存   
・カヲル:理想化された全能者 + 救済ファンタジー   
・アスカ:境界性 + 回避性    
・ゲンドウ:回避性 + 自己愛性  
 
 
(以上、AIの判断から編集して引用開始)
 
 
 
どうでしょうか?
現実的視点から見てみました。
そうすると、あの作品が、
「やはり舞台セット、スタジオセットの中で、できたものだ」
と言うことも、わかると思います。
 
「現実的に通用する部分もあるけど、通用しない部分も、あるよね」
と思っていただければ充分です。
 
 
ちなみに補足すると、
ゲンドウさんの ようなタイプは、中小企業の社長や、 部長クラスに多いです。
AIが分析してるように、映画の設定はあくまでも漫画です。
現実には存在し得ない。
どこかの国の総理のように、裏で操る人がいるならば、あり得ますけれども。
 
それで中小企業の社長や、部長クラスだと、様々な問題点を目の当たりにします。
つまり、改善すべきところ、まだまだ甘いところが嫌がでも、見られる環境にいるのです。
 
ですので、劇中の世界最大規模の、大組織の最高責任者みたいな状態だと、
取り付く島がありません。
まさに偏差値70以上いや、80を超えてると思います。
マイナス宇宙に飛んでもらって、話をする以外は方法がないです(笑)
 
しかし、現実は中小企業の社長や部長クラスなので、
偏差値的には65が、maxだと予想します。
自分の信念体系に確信を持ちすぎていない状態であるので、
客観視 する事は習慣化しているし、
他人の意見を 積極的に聞くべき立場にいるので、
治療可能性は高いのです。
 
もちろんある程度の責任者として、自分なりの考え方でやってきたので、
それなりに時間はかかりますが、さほど難しくありません。
他人の話を、聞く可能性があるからです。
 
挫折や自己矛盾を直面しやすい立場なので、
10年ぐらいかけると大きく改善します。
どんなに行っても20年でしょうね。
 
20年経てば、過去のことも全て冷静に見て反省もでき、
まさに「済まなかったな、シンジ」と改札口を引き返し、言えるようになるのだから、
悪くないと思います。
 
もちろん、これは心がむき出しになる虚構宇宙に行ったからできた心の対応であり、
心の柔軟性でしょうね。
普通の世界では、できません。
生存本能や、反射的な防衛本能が勝ってしまいます。
普通の世界では、「なんだガードを下げても大丈夫なんじゃん。。。」
と、ごくごく当たり前のことをを認識してもらうために、
5〜15年をかけるのが、一般の心理療法です。
幼少期の対応と言うのは、それほど大きいのです。
 
 
 
 
それで、1番難しそうなのが、やはりアスカです。
 
 
世間一般だと「ツンデレ」と言われますが、
ツンデレは小さいとしても、このアスカと同じ背景がある可能性があるので、要注意人物です。
ましてや、アスカの場合、精神的暴力や肉体的暴力が平気ですし、かなり腕前が強い設定です。
 
アスカによる暴力シーンは、多数出てきます。
そして、主人公を「馬鹿シンジ」と呼び、
命と背中を預けているマリを「こねメガネ」と、侮蔑的な名前で呼びます。
 
これは、他人も自分も見下していると言うことです。
そして、
「他人にナメられちゃいけない。 他人はすぐ、私をダメにしてくる」
「態度においても能力においてもマウントをとって、私を 見上げてもらおう。
特別扱いしてもらおう、大事にしてもらおう。
私の重要性を認識してもらおう。
私を愛してもらおう!」
としているのです。
 
このための乱暴な言葉遣いですし、このための肉体的暴力です。
「私が上なんだ。私は正しいんだ」
「きついこと言って、痛い思いをさせて、こっちに振り向かさせよう。
私の重要性を、認識させよう」
としているのです。
 
不良中学生に多い考え方ですね。
あえて学校で困ることをやって、先生や親たちの耳目を集めようとする。
これは、自分が不安で、仕方なく、自分のそのままを愛せない人です。
自分はそのままでは無視される存在、大事にされない存在だと思っているのです。
身体的には呼吸器がおかしく、仙骨が狂ってる人の特徴です。
 
 
 
作品中には 明確には出て来ませんでしたが、
こうした アスカのような人は、定期的にかなり不安定になります。
このアンバランスを取るために、脱法的、違法的なものにも手を出したくなりますし、
よくあるのが、親しい人への暴力です。
 
会社や学校ではまず暴力を振るわないのですが、
親しくなればなるほどに、暴力を振るう傾向が出てくるのです。
「これだけひどいことしてるけど、 私を本気で愛してるなら、耐えられるよね?
あなたの愛が本当だったら、耐えられるよね?
耐えられないんだったら、それ偽物の愛だから、そんなのいらない!」
という試しをやってくるのです。
 
精神的暴力、肉体的暴力、法律違反、大事な約束をドタキャンする、恋人なら何度でも浮気をする。
こんなことをする人が多いです。
 
「試し」と呼ばれる行動です。
 
「本当に愛されているか」
と言う思いが解消されないので、 徹底的に試し続けるのです。
80歳を超えた老齢になっても、 定期的に試し続ける人はいます。
これで人間関係が壊れたら「やっぱりね」と思うのです。
 
壊れなくても、「何か違う」と適当な理由をつけて、
自分から人間関係を壊すこともあります。
「この世に、愛情で結ばれた仲があってはいけない。
絆なんてない。
そんなものは、私の周りにはないんだ!」
と言うことを証明したいかのような行動を取るのです。
証明できないのにね。
 
愛されること自体が怖くなっているのです。
「どうせまた捨てられる」とも思っているのです。
でも、本人も愛情が欲しいのです。
このための試しなのです。
 
このため、治りそうになると、逃げ出したりします。
カウンセラーとの間に、築けそうになると、
テキトーな理由をつけて、カウンセラーと会わないようにします。
 
アスカには、こうした傾向がはっきりと見て取れます。
なので、偏差値が70台なのです。
 
 
 
しかし、
映画のラスト22分のセリフのような、
「だから、私を褒めて! 私を認めて! 私に居場所を与えて!」
「本当は、寂しい。。。 本当はただ、頭を撫でて欲しかっただけなの。。。」
とはっきり言えるようならば、
問題がありません。
 
自分の問題に、要求に素直になれているし、 しっかりと感じられているからです。
これは改善の余地が、大いにあります。
 
これがマイナス宇宙の中ではなく、普段から認識できる言えるならば、
偏差値は60代前半以下に下がります。
もちろん、ここまで下げてくることができたカウンセラーの、
腕前に感嘆するところです。
こうなると後は、時間の問題で、 
時間経過とともに 彼女の人生が楽しく明るくなっていくことが、明白ですね。
 
 
アスカのように、 問題解決が近づいてくると回避してしまう人、
そして「大丈夫 --- マズイ」の境界を行ったり来たりしてしまう人。
これはどうなるものなのか、どう対処できるのか。
 
 
まずは、無料で活用できるものから、行きましょう。
あなたのお住まいの行政で、市なら市役所、区なら区役所、
もしくはその保健所で、無料の心理相談をしています。
期間としては大体6ヶ月〜1年だそうです。
就職も斡旋してくれます。
 
本人が家族が申請してくれれば、即座に動いてくれるとの事。
こうしたものを十分に活用してください。
そのために税金をみんなが払っています。
 
「過剰な警戒も、攻撃も、過剰な防御も必要ないんだ。。。
普通に心の内を話すことができるんだ」
こう思える環境と相手と、何度となく経験することで、 それまで培ったものが剥がれるようになります。
家族や恋人ではなく、第三者が相手でないと難しいですね。
 
「なんだ、昔考えていた事は、私だけの妄想だったのね」
となれます。
こうなると、大きな回復が始まります。
無料で行政を利用して、その後有料の民間心理士やカウンセラーに依頼するのが王道です。
 
男女ともに働くことも重要で、
主人公たちが第3村で大きく変わったように、
第3村のような働く場所に出会えると、さらに加速します。
 
 
 
(つづく)
(感謝)
吉田直樹 拝
(つづき)
 
前回までにあらすじの表と裏、そしてDM的視点をお伝えしました。
 
なぜエヴァンゲリオンを私が取り上げているかと言うと、
心理的な教材としては大変優秀だからです。
今だったらChatGPTなどを使えば、学べる箇所は非常に多いし、非常に深いです。
現代、心の事は、どんな人でも学んだ方が良いからです。
 
そして、もう一つ。
こうした芸術作品などに触れても、人生が変わらない理由や、
打ちのめされる理由を、お伝えしたいからです。
そして、打ちのめしを回避し、変える方法をお伝えしたいからです。
 
 
だから、この映画作品が現実視点で見るとどうなのか、
今のあなたの現実の生活に、どう役立つのか?と見ると有効です。
つまり、現実視点を軸に解析していくことが、大切なのです。
(もちろん、芸術的、アニメ史的に見ても、面白い作品ではあります)
 
今回は、現実路線の目を失わずに作品を評価してみましょう。
この映画芸術作品は素晴らしいものですが、
あくまでも架空のものは架空であり、それはヒントにしか過ぎません。
現実にこそ、夢も、力も、はっきりとありますからね。
 
 
 
(つづき)
 
 
まず現実的評価で見れば、
エヴァンゲリオンという作品は、実に特殊です。
なぜなら、主人公も、敵も、主人公の味方で有力な者たちは皆、
すべて何かの人格障害だからです。
人格障害の祭典、とも言える作品なのです(笑)
 
設定としては、軍事物でしたよね。
現実世界の軍人は、かなり強い心、精神を持っていないと務まりません。
登場人物のような心の痛みを持つ人たちだと、
軍人としては、ちょっと難しいでしょうね。
任務が円滑に遂行できない。
生死が掛かる作戦の場合は、誰でも、極度の緊張状態を強いられます。
普段から精神的負荷がある人は、この過負荷に耐えられません。
 
そもそも本部に入ったときの雰囲気にやられて、
すぐ逃げ出してしまう可能性さえあります。
仮に、いざ戦闘まで入ったとしても、
生きて帰ってくるのは難しいタイプでしょうね。
 
冷静な判断力、 密度の濃い報連相、極度な自制心。
そして、平均より強靭な鍛錬された肉体。
こうしたものがないと、生き残れないパターンが戦場には、ありますからね。
 
 
 
 
さて、そのラストシーンです。
これも現実的に評価してみましょう。
 
最後のシーンで、シンジはマリと手を取り合い、街へと駆け出します。
これは、ペルソナを脱ぎ捨て、人々の間で自分らしく生きる決意の表れです。
大変美しいシーンです。
 
しかし、一方で、
この新しい世界に、第3村の住民や、戦艦の乗員が登場しないのです。
この点を、不思議に思い、違和感を持った人は多いのではないでしょうか?
 
これは作者がまだ、精神的な偏りから抜け出せていない可能性を示唆します。
作者の偏りは、アニメ版はひどかったです。
映画は作っていますが、最初の2本も、ひどかった。
父役のゲンドウを、 消すか殺すかの形にしていますからね。
つまり、作者自身が、自分自身がまだ認められなかったのでしょう。
最初の日本の映画は画質も暗いし、暴力がひしめいています。
作者自身の、 過剰な理想論をベースにした怒りがあちこちにありました。
見ている人は苦しかったでしょうね。
 
それが今回の4部、特に新エヴァンゲリオンになると、明らかに変わりました。
父役の 心をしっかり描き、語らせ、しかも受け止め、
生きた形で、自ら引退させたからです。
作者自身の中で、受容が始まったことを意味します。
 
また、それまでは登場しなかった、 
健常人なみにバランスが取れたマリが、登場したことも大きいですね。
 
 
 
「 エヴァンゲリオンシリーズはこれで最後です。終わりです」
と作者は言っていますが、本気だと思いました。
 
 
 
 
この観点から行くと、ラストシーンはちょっとおかしかったのです。
 
例えばDMの観点では、 本当に卒業ならば、本当に感謝ができているならば、
すべての関係性を統合した「バランスの取れた視座」になります。
バランスが取れているから、鬱にも、躁にも偏らずに済むのです。
 
バランスが取れているなら、
列車の乗客、もしくは通行人として、
第3村の住民や、戦艦の乗員たちを、登場させても良かったのです。
ホームの向こう側にいる渚や、綾波レイ、アスカの姿をした人たちとに、
手を振っても良かったと思います。
 
なぜなら、恩人たちを無視すること自体が、おかしいからです。
人を切り捨てる、道具扱いしてる面がある限り、
そうしたフェーズから卒業できてない限り、また精神病は再発します。
自分も道具になっているし、切り捨てていると言うことだからです。
 
 
 
しかし作者は十分立ち直ったと考えたらば、もう一つの解釈が成り立ちます。
この作品が成立には、
この物語全体が、シンジの夢だった可能性の解釈です。
 
新川宇部駅のホームのベンチで、主人公が目を覚ます所から、
ラストシーンは始まります。
爆発するはずの首輪も、もはや起動もしないし、爆発もしませんでした。
これが消えていない所を見ると、
別物の首輪を、ただはめていたと解釈もできます。
 
すると、浮かんでくる設定です。
「昨晩、 長い時間をかけて、分からず屋の父親と語り明かした。
そして、何とか和解を果たした20代後半の男性。
その達成感と疲れから、恋人マリを待つ駅で、眠りに落ちた。
 
たまたま 眠る直前に、 視界に入っていた若者たち(アスナ、レイ、カヲル)を、
題材にした壮大な物語を妄想し、夢を見ていた。
 
目が覚める頃に、恋人のマリがやってきて、
「だーれだ?」と、主人公の目を覆い隠した」
とすれば、すべての要素が繋がります(笑)
 
 
 
だって、 物語中の 再開発中の駅前ではなく、
今日の新川宇部駅前の町並みを、映す位です。
最後に、現実の2022年の新川宇部駅に、戻っているという展開。
 
この設定は、江川達也氏の『東京大学物語』に似ていて、
「すべては、小学生の水野遥の、超巨大な妄想でした!
村上直樹を ひと目見てときめいて、 一瞬で描いた物語。
一瞬の妄想が、壮大な物語を生んだ!」
このパターンだったのかもしれません。
 
しかし、それは、とても素敵な妄想、夢でした。
 
現実的に解釈すると、こんな感じになります。
どうぞ私の妄想だと思ってください💦
 
 
 
そもそもね。
マリもシンジも、サラリーマン姿でしたよね。
あれだけの大混乱の中、 自らの生死のみならず、人類の行く先を賭けた、大決戦。
そして、人生をひっくり返すような心の旅。
あれらを、ごく短期間で超えた者が、普通のサラリーマンになれるのか?? と言う話です。
まさに、全存在をかけた大決戦でしたからね。
 
おまけに、マリに関して言えば、
30年以上、 学歴も経歴も超優秀で、かつ、
最前線のエリート兵士として戦ってたわけですからね。
 
それが、
・毎日、満員電車に乗り、月給25万の生活     
・誰にも理解されない体験と能力を持ち、同僚達とは表層的な会話 
・上司に小言を言われ、規模が小さく、それまでとは異なる作業 
こんな毎日、適応できるわけがありません。
 すべてが、補完後の意識と乖離しすぎていて、むしろ日常が「罰」に感じられます(笑)
「父さんは、もしかして間違っていなかったかも。。。」
と、思うかもしれません(笑)
 
普通の心に戻ることができると思いますが、 サラリーマンにはなれません。

挑戦したとしても、1ヵ月が限界です。

1ヵ月もたないと、私は賭けてもいいです。

また、周りの人も、放って置かないでしょう。
あれだけの才能や人格は、もっと別なステージで動いた方が、
本人の為にもみんなの為にもなるからです。
 
 
近い実例とすれば、 
約30年間フィリピンの山奥で立てこもっていた、元日本軍兵士小野田寛郎少尉とか、 
「ゴールデンカムイ」のモデルになったとも言われる、舩坂弘氏でしょうか。
彼らなどは、沢山の遺体を踏み越えて、そして生死の境を潜り抜け、
奇跡的に帰還できた人たちでした。
日本がGHQによって、ダメになっていく姿も目の当たりにした人でした。
 
彼らは兵士としても、人格者としても超優秀です。
帰ってきた後の働きぶりも、まさに人類に貢献する働きでした。
とてもじゃないけど、1サラリーマンではないです。
一緒に戦った同僚や、日本のため、世界のため、これからの人々のために、
90歳を超えても尽力した人たちでした。
私も一度お会いしておけば、良かったと思います。
 
サラリーマンがいけないと言うことではなく、
その人にとってちょうど良い器があるのです。
もし、主人公たちのような人間 が実際にいたならば、サラリーマンの器では無いのです。
設定では、地球が結構壊れているので、各地に出向いて、復興支援の組織の長に就くだとか、
もしくは、火星や木星移住計画の開拓者になってるならば、現実的な理解にも符合します。
少なくとも普通ではない、生き方をしないと無理です。
 
無理と言うのは、PTSDにやられる可能性もあるからです。
あれだけの激しい思いをすると、どうしてもPTSDは警戒した方がいいです。
小野田さん、船坂さんは、両名とも、PTSDに悩まされたと言う話がありません。
なぜならば、他人のために動き尽くしたからです。
 
どこの国でもそうですが「戦友会」というものが戦後に出来上がります。
これは単なる同窓会ではないのです。
お互い過酷な 環境を生き抜いた、仲間だからこそ、できる話があります。
同じ環境にいなかった、同じ時代にいなかった人では、
通じ合えないわかりあえない、ものが多数あるのです。
 
そして、そうした者同士が「今元気にやれている」と 確認し合えることは、
何よりの 励みにもなるのです。
「同じ仲間が、違う生き方ができるならば、私にもできるよね」
 と言う自信にもつながります。
だから、どこの国でも、「戦友会」はあった方がいいのです。
ないと、PTSDに悩まされる人が多くなってしまうので、良くないのです。
 
そして、できるならば、心理の専門家をつけておいた方が良いでしょうね。
 
 
 
映画に共感された方の中には、
「自分も同じような生育環境の中で生き残ったんだ」
と言う方もいらっしゃると思います。
 
こうした方にはあの映画は大変な励みになりますが、 
あの映画だけで全てが変わる、全てが救われると言う事は無いのです。
それは、現実的ではありません。
やはり現実的に、心理カウンセラーと定期的に話す という事は大変大事です。
ぜひ、会うカウンセラーを見つけてください。
 
人間が本当に変わるのは、環境が整ってからです。
人間が本当に狂うのも、 この映画で示されてるように、環境があるからこそです。
なので、人間が本当に治るのも自信を持って足を進められるのも、環境があってこそなのです。
どうぞ自分で環境を作って進んでください。
どんな人でも言えることです。
 
別に心理的なものから立ち直るだけでなく、 
オリンピックでメダルを取るためには、そういった環境にいる必要があります。
会社で優秀な成績を取り続けるためには、やはりそういった環境にいる必要があります。
 
環境とは、家族環境であり、自分のスキルを磨く環境であり、自分の生活を成り立たせる 環境であったり、
タイムスケジュール的な環境でもそうです。
様々な環境があります。
一朝一夕に こうした好都合な環境は、できるものではありません。
一朝一夕に作る必要もないですが、
環境こそは地道に少しずつ築き上げ、改善していくべきものなのです。
どんな人にも必要な話です。
 
環境こそが全てを変えます。
主人公を悪くしたのも、良くしたのも、全て環境でした。
どうぞご自分の環境を、注意深く見てください。
そして、自分が将来ありたい自分になれるような環境を、少しずつ整えてください
 
これが現実的に取るべき第一歩です。
 
 
 
(つづく)
(感謝)
吉田直樹 拝
 
(つづき)
 
 
エヴァンゲリオンの登場人物に、DMをどう適用するかの話でした。
 
教科書的に判断すれば、今ご紹介のようになります。
しかし、実際の人間の心は、個人個人に違いまして、
現場では全く違った判断になる事は、よくあります。
私もDM依頼を受けたり、DMワークを一緒に取り組んでいるときに、
ある程度予想は立てますが、その予想が裏切られる事はザラです。
 
目の前のクライアントのためになることに重点を置き、
柔軟に対応していくことこそが、
ファシリテーターには最も必要なことです。
教科書に当てはめることが目的では無いからです。
 
ちなみに、 このDMのワークシートの無料ダウンロード先は、
 
 
 
さて、続きです。
 
父ゲンドウ:失われたものの再発見
 
ゲンドウは妻を失った悲しみ(グリーフ)から逃れようと、
他の女性達に、妻のTAI(特性)を求めましたが、
見つからないように感じました。
 
彼が求めていたのは「自分の弱さを認めつつも、愛してくれる人」というTAI(特性)。
4作目の終盤、マイナス宇宙でゲンドウは息子と向き合い、
「失われたと思ったものは、何も失われていなかった。息子シンジにもあったのだ!」
と気づき、「成仏」を果たします。
 
 
 
ゲンドウさんの話は、 過去にしましたね。
彼が希望して、彼にディマティーニメソッド(DM)をするなら、まずはC面です。
「相補性のある宇宙」で対極的な感情(悲しみと喜び、憎しみと愛)を
統合するプロセスをします。
 
「一度生まれたものは消える事は無い、ただ変容するのみである。
形を変えて存在し続ける。」
とDMでは説きます。
質量保存則、エネルギー保存則ですね。 
この宇宙の法則を使って、心の問題を解決するのが、DMです。
 
この場合、どういうことかと言うと、
「妻ユイらしさも、決して消えない」ということです。
妻ユイ が、肉体的に消失しても、彼女のTAI(特性)は、
決して消失する事はなく、誰かに引き継がれるのです。
TAI(特性)保存則が、 この世では成り立つのです。
 
より正確に言えば、自分の前から消えた様に見えても、
例えば、失恋だとか、蒸発だとかでも、同じことです。
一度存在したTAIは、自分の前から消える事は無いのです。
本人が認識するかどうかの違いはあるだけです。
「 そこにいたのか、ユイ!」
に繋がるわけです。
心の目を開いていれば、いつでも見えたTAI(特性)なのです。
 
 
 
 
父ゲンドウが直面した問題は、現在の心理学だと「グリーフ(喪失の悲しみ)」と呼ばれます
死に別れ、生き別れの悲しみですね。
なぜ別れに悲しみや嘆きを感じ、人は変な方向に行ってしまうのか。
それは偏った判断があるからです。
 
どう偏っているかと言うと、
「この出来事 = 別れには、マイナスしかない、デメリットしかない」
と言う一方的な決めつけです。
まさに父の動きですね。
 
すべての出来事は、デメリットでなく、必ずメリットもあるものなのです。
メリットだけでなく、必ずデメリットもあるものなのです。
両方必ずあるのです。
両方を見ることが、 DMです。
 
両方がある = 相補性 を認めることから始まるのです。
私たちの宇宙は、相補性のある宇宙であり、
この宇宙に存在する、私たちの心も当然、相補性があるのです。
これを活用するだけなのです。
 
相補性を無視して、つまり両方あると言うことを無視して、
片方だけに重きを置くと、偏ります。
これは体だけでなく、心でも偏ります。
 
右足だけに重きを置いて歩き始めると、歩く軌道は大きく曲がっていきます。
時間が経てば経つほどに。
全く同じで、心が偏ったままなど、人生の軌道も曲がり始めます。
 
父には、
別れにおいての偏った「デメリットしかない」と言う考えを、
「メリットもあったよね」と気がついてもらうことなのです。
 
「 そこにいたのか、ユイ!」
と言う彼の最後のセリフは、まさにこのことに気がついたから、成立したセリフです。
地球が人類をめちゃくちゃにする前に、自分が死ぬ前に、
もっと早く気が付いてよ と言う話です。
 
事実を見逃すと、偏った感情が生まれます。
小さな感情であれば問題ないのですが、
ゲンドウさん程の大きな感情の場合、人生さえも曲げてしまいます。
偏らなければ、まっすぐに進めます。
(歴史的には、ヒトラーやスターリン、毛沢東、ルーズベルトが同じだと思います)
 
ですので、DM的には、
ユイさんが亡くなったことによって、どんなメリットが出てきたのか?
心酔していたユイさんからのメリットと思えるTAIは、
ユイさんが 亡くなった後には、どんな別の形で出てきていたのか?
などと聞いていくと偏りが取れます。
 
 
もちろん、そもそも奥さんのユイさんにそこまで偏ったのは、
両親や肉親に対する、強烈な見下しがあるからです。
そして、自分自身に対する、強烈な見上げる態度です。
DM的には、他人に対するB面、自分に対するA面をしていただきます。
多分これがないと、ユイさんへのC面は、完了しないと思われます。
 
両親や肉親、そして自分自身に対しての、偏った見方。
これが取れると、初めて本当のユイさんを見ることができます。
ユイ中毒も、 初めてここで取れます。
 
自分自身におけるペルソナ = エヴァンゲリオン、
両親や肉親に隠せたペルソナ = エヴァンゲリオン、
ユイさんに かぶせたペルソナ = エヴァンゲリオン
に対して、 すべてのエヴァンゲリオンに対して「さよなら」をするのです
すると、フォースインパクトが必要なくなります(笑)
 
「やっぱ、研究楽しいよね、シンジ♪」位で終われます。
 
 
 
 

碇シンジ:自己喪失から、自分らしさの回復へ

 

主人公の場合はもう既に見ていますね。

 

 

主人公の場合は、グリーフが何回も出てきます。

母親へのグリーフ、

父親へのグリーフ、

渚へのグリーフ、

綾波レイへのグリーフ。

 

結構多いグリーフですが、現実社会でこの数のグリーフから立ち直る人は、

DMでは珍しいことではありません。

戦災や、自然災害で、なくす方は多いですからね。

会社、仕事、家、最愛の人たち、地域社会などを、同時になくす事はよくあります。

それでも、立ち直れるのが、人間です。

(映画中の第3村でも、主人公達は、こんな話を、直に目に耳ににしています)

 

そして、愛情をくれないと感じた、叔父叔母への恨み(見下し)
小学校の友人たちや、助けてくれない教師たちへのへの恨み(見下し)
自分の欠点と思っている部分への見下し
これらをDMします。
 
自分や他人への誤った認識 = エヴァンゲリオン を手放すのです。
 
嫌悪をする他人へのDM、剣をする自分へのDMですね。
DMフォーム通りで行けると思います。
 
多分、この主人公の場合は、DMの結果、バランスが取れると、
さっさと行動に移すと思います。
「僕を、エヴァンゲリオンにもう一度乗せてください」と。
そして、解決したでしょう。
 
主体性を失わずにペルソナを被るなら、別に問題は無いのです。
主体性を失い、ペルソナをペルソナと気づかずに進む人生には、
問題が起きやすくなるのです。
 
 
 
 
エヴァンゲリオンのテーマは、 
エヴァンゲリオン = ペルソナからの解放でしたね。
 
だから、新たに世界を創造する段になったときに、
「さよなら、すべてのエヴァンゲリオン」
と、主人公が言ったのです。
「ありがとう。僕たちは一人一人の人間として、主体的に生きるよ」
と言う宣言です。
 
エヴァンゲリオンの物語は、
登場人物が「ペルソナ」という鎧を脱ぎ捨て、自分らしい生き方を選ぶ過程を描いています。
エヴァンゲリオンそのものが、世の中で生き抜くための「鎧」や「役割」を象徴しています。
 
 
例えば、
初号機はシンジの母親が溶け込んだ存在であり、息子を守り抜く役割を果たします。
この設定は、親子関係や誤解から生まれるペルソナの正体を暗示しています。
 
最後のシーンで、撮影セットやエヴァの着ぐるみが登場します。
親子対決のシーンでも、綾波レイを諭すシーンでも出てきますね。
普通は理解ができないシーンです。
「これまで演じていた役割は全て、仮のものだよ」
というメッセージです。
 
作者は視聴者に
「被害者や加害者といった自分らしくない役割=ペルソナを捨てて、
 より面白いペルソナを選ぼう」
と訴えかけます。
ファンに、視聴者に、心の苦しみから抜け出るヒントを伝えていると思われます。
優しい人ですね。
 
「人生は、与えられた物語を生きるための舞台ではなく、
自分で演じるための舞台なのだ」
この視点は、DMワークの後に多くの人が、
よく辿り着く結論と一致します。
 
 
 
(つづく)
(感謝)
吉田直樹 拝