(つづき)
(つづき)
映画「国宝」を見ました。
何人かの方にお勧めいただき、見に行きました。
竹田宮の恒泰さんもオススメの映画です。
一言で言えば、見て良かった映画でした。
日本人らしい感性を見ることができる映画であり、大変勉強になりましたし、
技術の道を進んでいる人には必見の映画ともいえます。
難しくなく、極わかりやすく表現してるし構成しているので、
幅広い世代でファンができるかと思います。
竹田さんが言うように、歌舞伎なのに松竹ではなく、東宝なのも面白いですね。
そして、原作者も監督も、いわゆる日本人ではないのです。
だからこそ、面白く作れたのでしょうね。
映画も商売ですからマーケティングの鉄則に従うのですが、
そわな売れるための鉄則をいくつも破った作品です。
「南極物語」以来の実写版の大ヒットで、しかも前代未聞の一代記物かつ3時間長編物。
これがここまで売れるのは異例中の異例だそうです。
でも、わかる気がします。
宮沢エマさんの、女将さん役が役者としては、とても光っていました。
さすがアメリカの大学で演劇論を習っていただけあります。
喜一さんの才能が、演劇の分野で開花したのかもしれませんね。
「一体この女優さんは誰だろう?本当にうまい」と冒頭部分から驚きました。
この映画は、私から見ると、禅宗的な境地を入れた歌舞伎の映画でした。
禅宗なら能楽なんですが、歌舞伎でも今回入れていました。
喜久雄、俊介、万菊。
この3人が軸に展開された映画だと思います。
HPを見ると、登場人物はかなりいるのですが、
この3人をジェミニに頼んで、アニメーションにすると、こんなになりました(笑)
『国宝』を観て 〜 人生も整体も、すべて肥やしになる
映画『国宝』の題名は「人間国宝」のことを指しているのでしょう。
でも、映画を観て感じたのは、単なる称号ではなく、
人間が到達する境地のことだということでした。
主人公の喜久雄。
彼は、入門したての高校生の時に人間国宝の舞台を観て、
その境地、その美しさに対し「化け物だ」と口にします。
その後、家族も捨て、名誉や出世欲に翻弄されて、
一度は「化け物」として道を踏み外します。
けれども、支えてくれる人の存在により、
もう一度「本当の芸」に立ち戻ることができました。
最後には、生き別れ恨む娘にさえ「感動し尊敬する」舞台をつくれる境地にまでに至るのです。
映画の中で、人間国宝が主人公にこう語ります。
「何があっても芸で勝負する。
すべてを芸に打ち込む。
仇を取ることも含めて芸で勝負する」
この言葉は、整体を学び実践する私達にそのまま当てはまります。
家庭のこと、仕事の悩み、人生の悩み、体の不調などなど、
一見整体と関係ないように思えることも、
すべて整体の技の肥やしになるのです。
「今日は疲れているから整体、体操
はできない」ではなく、
「疲れているからこそ、この疲れをどう活かすかを学べる」
そう考えられる人が、整体を深めていけるのだと思います。
一方で、主人公の義兄弟のような友人・俊介は、
サラブレッド中のサラブレッド。
才能も血筋も恵まれていましたが、
糖尿病を悪化させ、40代で亡くなってしまいます。
彼には「何のために芸をやるのか」という答えがありませんでした。
だから酒や遊びでごまかすしかなく、最後は身体を壊してしまった。
これは整体を学ぶ上でも大事なことです。
自分が何を目指して整体を続けるのか。
それがなければ、途中で苦しくなり、続けられなくなる。
逆に、明確な目標がある人は、たとえ凡才でも必ず伸びていきます。
必ず。
これが人間の構造だからです。
映画の終盤、老境に至った主人公は「すべてに感謝です」と語ります。
この言葉に私は深く共感しました。
整体が板に付いてくると、
人生の様々な出来事が「整体の景色」として見えてくる。
子育てや仕事の悩みも、
体の声として受け止めれば、そのまま技術の糧になる。
整体を通して人生を生きるとは、まさにそういうことです。
『国宝』は、国宝という称号の物語ではなく、
「すべてを芸に打ち込む」境地を描いた作品でした。
整体も同じ。
体験したことすべてを整体に還元できるようになったとき、
あなた自身の人生も「国宝」と呼べるほどの価値を持つのだと思います。
整体を学ぶことは、単なる技術習得ではなく、
人生そのものを輝かせる道だと私は思っています。
このことを別の角度から照らしてくれた面白い映画だと思いました。
(つづく)
(感謝)
吉田直樹 拝