『自分と家族の健康は、自前で築く』整体カウンセラーのブログ -16ページ目

(つづき)

 

映画『国宝』の話でした。
 
優れた作品と言うのは、様々な切り口が可能な作品です。
様々な切り口が可能なので、作品に奥行きと深みを増すし、多くの人を魅了します。
 
私も50歳を迎えようとしていて、整体を未来にどう残そうか考えています。
もちろん、日々の整体指導も教育ですから、
この映画における稽古体系、教育のあり方には、大変興味を覚えました。
 
 
 
 
芸の厳しさと、人間をどう育てるか 
 
映画『国宝』を観ながら、私は「芸の世界」と「整体の道」がどれほど重なっているか。
改めて考えさせられました。
あの映画は、人間修行の縮図でもあります。
 
ここでは、いくつかのテーマに分けて感想と学びを整理してみます。
 
 
 
片足 vs. 両足切断の予後
 
劇中、副主人公が糖尿病で、脚を切断する場面がありました。
 
医学的な現実を確認すると、
片足切断後の5年生存率は、40〜50%程度。
(がんの一部と同等か、それ以下)
両足切断後はさらに悪化し、20〜30%程度まで落ちると報告もある。
ここから腎症、心筋梗塞、脳梗塞などに発展して、旅立ちが早くなるです。
 
結論として「片足切断よりも命が短い可能性が高い」と理解してよいでしょう。 
糖尿病患者全体で下肢切断に至るのは、1〜2%程度ですが、
40代でも条件が重なれば、起こり得るようです。 
あの映画で描かれてた話は、嘘ではないと言う事ですね。
 
整体的には、糖尿病には、「足湯」です。
足を通じて腎臓の働きを良くすれば、案外変わる人が多いと聞きます。
30代で糖尿病にかかった友人がいますが、足湯で治しました。
副主人公にも足を教えてあげたかったですね。
もちろん糖尿病は強烈なストレスが原因ですから、
ここを改善しないと、また繰り返してしまう可能性もありますが。
借金はなくても、看板を背負う、そこまで使命を感じていないものを、
無理矢理完遂すると言う事は、どれほどストレスが掛かるかと言うことです。
 
まさに「生き方」や「芸との向き合い方」が、
身体に直結することを示す象徴的な描写でした。
整体業界でも、よく聞く話ですからね。
 
 
 
江戸時代の歌舞伎と風紀
 
映画の中で語られる歌舞伎の歴史。
背景を押さえると見方が深まります♪
 
歌舞伎の始まりは、出雲の阿国が初めて、遊女歌舞伎(女性)と言う形で大流行。
しかし風紀紊乱(ビンラン)で禁止。
続く若衆歌舞伎(少年)も、同性愛や売春問題で禁止。
野郎歌舞伎(成人男性)に移行しても、役者は芸者や遊郭と同じく色事の対象であり続けました。
 
特に女方は「色子(いろご)」と呼ばれ、パトロンとの性的関係が暗黙の前提になることも多かった。
 
恋愛・性的関係にまで踏み込む熱狂構造は、令和は違うのかもしれませんが、
幕末・明治になっても変わりません。
芸が人間の欲望と切り離せないことを歴史は示しています。
 
なので、あの映画で描かれていたことも、そんなに誇張された話ではないといえます。
現代でもジャニーズ問題がありましたからね。
 
 
 
 
芸能の起源
 
興味を持って歌舞伎の起源を調べてみました。
 
1600年代の江戸時代に阿国によって作られた歌舞伎は、能から出ています。
能は、1300年代鎌倉時代の世阿弥達によって作られ、
能の源流は、猿楽から出ています。
そして、この猿楽は、外国文化と混じって、800年前後の奈良〜平安期に成立。
 
だけど、さらに遡れば、天岩戸神話の「アメノウズメの舞」もあります。
神に捧げる「楽しげな踊り」が原型だったと考えられるので、
既に日本でも似たようなものはあり、
海外のアクロバティックなものが取り入れられたのが、猿学かもしれません。
 
ちなみに、
江戸時代では朱子学の観点から、女歌舞伎が禁止となっていますが、
幕府に対抗するかのように、上方関西では、人形浄瑠璃が代役として発展しました。
そして、人形浄瑠璃の内容が、女形が導入された歌舞伎で上演されるようにもなりましたました。
面白いですね。
まさに、町人の力が止まらないと言った感じです。
 
つまり、
「芸の原点」は、人間の本能に目指す楽しさと、神聖さが重なったもの。
その流れの先に、能や歌舞伎が体制化していったと言えそうです。
 
 
 
 
厳しい稽古と体罰の文化
 
劇中、弟子を何度も叩き、叱り飛ばす場面がありました。
これは決して脚色ではありません。
脚色と言うならば、かなり優しくした脚色です。
実際はもっと厳しいです。
 
江戸時代の芸事指南書や随筆にも、
「弟子を怒鳴りつけ、叩く」場面が普通に記録されています。
ヨーロッパでも同様で、バレエや音楽教育では暴言・体罰が当たり前でした。
 
背景には「芸は人間の限界を超えるもの」という思想があり、
身体と心を極限に追い込む稽古が、当然とされたようです。
 
結果として「多くを潰す代わりに、一握りの超一流を生む」方法論となった。
 
芸を神聖視し、生半可な態度を許さない姿勢。
家の名誉を背負う緊張感。
精神的にも身体的にも徹底的に鍛え込む必然性。
こうした背景が体罰を正当化してきたのです。
 
しかし、問題は、次の世代の育成に果たして有効かどうかですよね?
少なくとも私はこう見ます。
 
 
 
厳しさと体罰を切り分ける
 
時代は変わりました。
 
平成以降、映画でも描かれていたように「叩く稽古」は減少しました。
主人公が師匠になった時には、棒で叩かれた記憶を笑い話にする程度に。
 
現実の歌舞伎・能・雅楽でも、体罰を前提とせず後進が育つ時代になっているようです。
本質は「言ってもわからない者は追い返せばよい」ですから、
いちいち叩く必要もないでしょう。
この辺、武術武道の道場の方が、人を叩いたり、変に罵ったりしないんですよね。
こうした芸事の方が、よほど辛辣で厳しいです。
 
私は、体罰が成長の必須条件ではない!と確信しています。
厳しさは必須ですが。
しかし、恐怖と厳しさは全く違うものです。
恐怖で押さえるより、解放されて伸びる方が、芸も人間も豊かになるのです。
 
1番良い例は人間国宝となった、万菊さんじゃないでしょうか?
芸の能力が「歳をとるほどに錬られる」と言う話もありますが、
本当でしょうか?
40代以降となれば、怖い先輩もいなくなり、叩かれる恐怖もなくなるので、
様々な試行錯誤ができて、もともと醸成されたベースが花咲く余地が出てくる。
これだけのことじゃないかと思います。
「恐怖がなくなったから、錬られる」
 
私はうがった見方をしてしまいますが、
歳をとったから大天才になるのではなく、
自由な発想ができたり、沢山の検証が可能な立場になったから、
大天才、国宝になるのではないでしょうか?
 
厳しさは教育には必要ですが、
本当に有効なのかどうか都度確認しながら、実践する必要がありますね。
教育は、暴力や、感情のはけ口であってはなりません。
一緒に取り組み、一緒に考え、一緒に突破するものだと思います。
 
 
 
抑圧とスキャンダル
 
一方で、教育において強い抑圧をかけると、
そのエネルギーが後年「スキャンダル」として噴出するリスクもあります。
 
伝統芸能の役者も、現代芸能(ジャニーズなど)も同じ構造です。
実際の歌舞伎役者にも、クラブで乱闘騒ぎを起こした人もいましたね。
映画でも、副主人公も、主人公も、揃って駆け落ちをしています。
世間的には、名門家の大スキャンダルです。
 
人間性を芸に昇華する仕組みが弱い場合、
溢れた部分が問題行動になるのではないでしょうか?
 
芸をどう昇華させるか。
これが整っていないと、抑圧と逸脱の繰り返しになる。
伝統芸能も現代芸能も例外ではないような気がします。
 
 
 
型と再構築
 
体罰による「叩き込み」は、大昔なら基礎固めには有効かもしれません。
禅宗や密教の修行でも、芸能の稽古も平成頃まで「叩いて教える」が当たり前でした。
しかし実際には組織維持・統制のためでもあり、
効率的な育成法とは言えなかったような気が私はします。
 
現代は「個の力」を育てる必要があるため、厳しさは「自覚」として与える方が理にかなうと思います。
 
体罰や暴言による「叩き込み」は基礎を刷り込むには良いでしょう。
だけど、それでは結果として、ただ考えないだけの「型守り人間」の大量生産になり、
ごくわずかなラッキーな人間か、ごくわずかな天才だけが偶然生き残るという
不毛な構造が残ってしまうのです。
 
教育効率から考えると、私は「叩き込み」教育は否定的です。
少なくとも整体教育においては不必要です。
 
 
 
まとめ
 
映画『国宝』は、芸の厳しさと人間性のせめぎ合いを見事に描いていました。 
体罰が主流だった時代から、自覚と解放を重視する現代へ。 
 
しかし「厳しさ」そのものは常に必要であり、それをどう与えるかが芸の継承の要でしょうね。
主人公たちも、自分の跡継ぎが思うように育ってくれないことを嘆いていました。
 
この流れは整体の修行にも重なります。 
人をどう育てるか。
現場(舞台)こそは厳しいですから、その厳しさをどう与えるか。
 
芸能のこの問いは、整体の道を歩む者にとっても避けられない課題なのです。
子育て、部下育てでも同じことでしょうね。
 
あの映画は、こんな切り口も見せてくれる優れた映画でした。
 
 
 
映画『国宝』見ました 完
(感謝)
吉田直樹 拝

映画「国宝」を見ました。

何人かの方にお勧めいただき、見に行きました。

竹田宮の恒泰さんもオススメの映画です。

 

 

一言で言えば、見て良かった映画でした。

日本人らしい感性を見ることができる映画であり、大変勉強になりましたし、

技術の道を進んでいる人には必見の映画ともいえます。

 

難しくなく、極わかりやすく表現してるし構成しているので、

幅広い世代でファンができるかと思います。

 

竹田さんが言うように、歌舞伎なのに松竹ではなく、東宝なのも面白いですね。

そして、原作者も監督も、いわゆる日本人ではないのです。

だからこそ、面白く作れたのでしょうね。

映画も商売ですからマーケティングの鉄則に従うのですが、

そわな売れるための鉄則をいくつも破った作品です。

「南極物語」以来の実写版の大ヒットで、しかも前代未聞の一代記物かつ3時間長編物。

これがここまで売れるのは異例中の異例だそうです。

でも、わかる気がします。

 

 

 

 

宮沢エマさんの、女将さん役が役者としては、とても光っていました。

さすがアメリカの大学で演劇論を習っていただけあります。

喜一さんの才能が、演劇の分野で開花したのかもしれませんね。

「一体この女優さんは誰だろう?本当にうまい」と冒頭部分から驚きました。

 

この映画は、私から見ると、禅宗的な境地を入れた歌舞伎の映画でした。

禅宗なら能楽なんですが、歌舞伎でも今回入れていました。

 

喜久雄、俊介、万菊。

この3人が軸に展開された映画だと思います。

HPを見ると、登場人物はかなりいるのですが、

 

 

この3人をジェミニに頼んで、アニメーションにすると、こんなになりました(笑)

 

 


‪『国宝』を観て 〜 人生も整体も、すべて肥やしになる‬


‪映画『国宝』の題名は「人間国宝」のことを指しているのでしょう。

‪でも、映画を観て感じたのは、単なる称号ではなく、

人間が到達する境地のことだということでした。‬


‪主人公の喜久雄。

彼は、入門したての高校生の時に人間国宝の舞台を観て、

その境地、その美しさに対し「化け物だ」と口にします。‬

‪その後、家族も捨て、名誉や出世欲に翻弄されて、

一度は「化け物」として道を踏み外します。‬


‪けれども、支えてくれる人の存在により、

もう一度「本当の芸」に立ち戻ることができました。‬

‪最後には、生き別れ恨む娘にさえ「感動し尊敬する」舞台をつくれる境地にまでに至るのです。‬



‪すべてを芸に打ち込むということ‬

‪映画の中で、人間国宝が主人公にこう語ります。‬


‪「何があっても芸で勝負する。‬

‪すべてを芸に打ち込む。‬

‪仇を取ることも含めて芸で勝負する」‬


‪この言葉は、整体を学び実践する私達にそのまま当てはまります。‬

‪家庭のこと、仕事の悩み、人生の悩み、体の不調などなど、

一見整体と関係ないように思えることも、

すべて整体の技の肥やしになるのです。‬


‪「今日は疲れているから整体、体操

はできない」ではなく、‬

‪「疲れているからこそ、この疲れをどう活かすかを学べる」‬

‪そう考えられる人が、整体を深めていけるのだと思います。‬




‪俊介の人生が教えてくれること‬

‪一方で、主人公の義兄弟のような友人・俊介は、

サラブレッド中のサラブレッド。

才能も血筋も恵まれていましたが、

糖尿病を悪化させ、40代で亡くなってしまいます。‬


‪彼には「何のために芸をやるのか」という答えがありませんでした。‬

‪だから酒や遊びでごまかすしかなく、最後は身体を壊してしまった。‬


‪これは整体を学ぶ上でも大事なことです。‬

‪自分が何を目指して整体を続けるのか。‬

‪それがなければ、途中で苦しくなり、続けられなくなる。‬

‪逆に、明確な目標がある人は、たとえ凡才でも必ず伸びていきます。‬

必ず。

これが人間の構造だからです。



‪整体を通して人生を生きる‬

‪映画の終盤、老境に至った主人公は「すべてに感謝です」と語ります。‬

‪この言葉に私は深く共感しました。‬


‪整体が板に付いてくると、

人生の様々な出来事が「整体の景色」として見えてくる。‬

‪子育てや仕事の悩みも、

体の声として受け止めれば、そのまま技術の糧になる。‬

‪整体を通して人生を生きるとは、まさにそういうことです。‬



‪結び‬

‪『国宝』は、国宝という称号の物語ではなく、‬

‪「すべてを芸に打ち込む」境地を描いた作品でした。‬


‪整体も同じ。‬

‪体験したことすべてを整体に還元できるようになったとき、‬

‪あなた自身の人生も「国宝」と呼べるほどの価値を持つのだと思います。‬


‪整体を学ぶことは、単なる技術習得ではなく、‬

‪人生そのものを輝かせる道だと私は思っています。

このことを別の角度から照らしてくれた面白い映画だと思いました。


(つづく)

(感謝)

吉田直樹 拝

 

 

 

 

日本の季節は5つの季節がある。
このように整体では、人間の体を見た上で、解析しています。
 
もちろん最近は季節の違いや、移ろい方が、曖昧になってきてはいますが、
あるものはあるのです。
 
季節の移ろいがはっきりしていた方が、体は丈夫になって行きやすいし、
疲れや負担を翌年に乗り越すことなく、取り除きやすい特徴が、
季節の存在にはあります。
 
宇宙空間に浮かぶ宇宙ステーションなどで季節、温度や湿度をずっと一定にしてしまうと、
人間の体は十分に働きにくい可能性があると見ています。
 
 
 
昔ほどはっきりした季節の違いが薄くなってはいますが、
日本では歴然と、5つの季節が巡ります。
夏、秋、冬、春、そして梅雨。
温度、湿度、日照時間にそれぞれ特徴があります。
 
 
 
これらに合わせて、人間の体は変わっていきます。
 
体力がある体は、この季節の変化を健康法に使うことができます。
しかし体力がない体はこの変化を、不健康になる方向に行きます。
簡単に言えば体力が削られます。
季節の変化など、外部的な刺激を、健康法にできるかどうかが、
命としての体力があるかどうかなのです。
整体は治療術の1種ではありますが、
この命としての体力を復活させたり、養う点に特徴があります。
 
 
 
そして、各季節は、2つに分かれると思ってください。
季節の移ろい始めた、その季節の入り口の時と、
その季節らしい温度等になった時の、2つです。
 
多くの人が体調を崩すのは、この移ろいの時です。
季節の入り口の時です。
なぜなら、前の季節までに培った疲労や負担を、
次の季節で解除をしようとするからです。
次の季節で十分に動けるように、疲労や負担を排泄して、
体を準備させるためです。
 
なので、季節の移ろいの時は不調を覚える人が多いのです。
 
 
ちょうど今は激しい夏から、穏やかな秋に移ろうとしている時です。
一昨年の夏も、昨年の夏も激しかったのですが、今年の夏も激しかったです。
この上で、今年は落ち着いた春がなく、梅雨も梅雨らしくなく、
夏の入り口は穏やかだったのですが、急に暑くなりました。
このため、昨年までよりも季節の変化がわかりにくい状態であったので、
体がついていけないことが多いのです。
異常や不調を出してきている人が多いです。
 
例えば、
腰痛は10月位なのですが、今出してきている人が多いのです。
また、転ぶ人が増えるのは、11月に大変多いのですが、
今の時期、多くなっています。
(11月は汗の問題であり、今の時期は、夏の疲れの問題から、転倒につながっています)
体を見ていると、普段と違うリズムで季節が動いており、
多くの体にとってそれが負担になっていることが見て取れます。
 
 
 
つまり、
今重要な事は、夏の疲れをしっかり解消することです。
 
昭和40年位までは、体の弱い人が体調を著しく崩すのは、
圧倒的に冬でした。
 
しかし、令和になってから、
暖流の流れが変わっていたためでしょうか、黒点が移動していたためでしょうか、
冬はさほど問題ではなく、
夏の暑さの方が体にとってはきついのです。
 
私の所では、いくつかこの夏の疲れを解消する体操をお伝えしています。
しっかりこなしてください。
古傷を激しく出したり、喘息を起こしたり、
痔や心臓に来てしまっている方もいらっしゃいます。
 
近年ない激しい夏の終わりです。
しっかり養生してくださいね。
 
そして、もう少ししたら、おいしい焼き芋を食べましょう🍠
 
 
 

(感謝)
    
   
セルフ整体道場・新宿天心會   吉田直樹 拝
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