金融庁の組織体制への内部批判 | ニュースな話題

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興味深いコラムだったので、とりあえずコピーと。


こうした、頭脳と手足が一致しない組織の実際をみると、いかにリーダーの役割が重要か

思い知らされます。



また 欧米が金融機関への資本注入を短期間で決断し、実行計画も作成したのに比べ、

日本は 地銀等への資本注入をこれから議論するという、私からみれば「周回遅れ」の状況にあるのも

こうした組織体制が遠因にあるのだろうかという気がしてきた。



「市場の変化」について行けない金融庁の迷走

http://seiji.yahoo.co.jp/column/article/detail/20081014-01-1501.html

厳格な検査を続けるのは当然だ。だが、この時代にシステムにも新たな金融商品にも通じていないで、何を“仕事”にしようというのか。
「システムに通じた人材もおらず、問題の軽重が判断しきれないのに検査や監督で下手に指摘すれば、システム障害が起きた時に『なぜ改善させられなかったのか』と“痛い腹”を探られる。システム障害を百パーセント未然に防ぐことは土台無理。金融機関側の自己責任にしておいた方が行政の責任を問われなくて済む
 三菱東京UFJ銀行が旧東京三菱と旧UFJのオンラインシステム完全統合リハーサルを重ねていた今春、金融庁関係者はこう声を潜めた。欧米でも例がない、全国四千万口座を持つメガバンクの「世紀のシステム統合」。金融当局としては五月からの完全統合に向けて、大規模トラブルの芽がないか、目を皿にして徹底検査するのが筋だろう。しかし、今の金融庁に、システム問題に通じたスタッフは乏しく、本番に向けた最終検査は三菱東京UFJ銀関係者が「拍子抜けした」というほどあっさり終わった。その結果、統合作業初日の五月十二日、提携先のコンビニATM(現金自動預払機)で預金が引き出せないトラブルが発生。他に、東京証券取引所も今年に入って三回も大規模なシステム障害を起こしているが、それらも金融当局による「チェック不在」が影響している。


 一九九八年六月に、政府の「財政と金融行政の分離」方針により金融監督庁(金融庁の前身)が誕生してから十年。金融庁は目先の急務である大手行の不良債権問題の解決に邁進し、検査や監督などの現場で「銀行の資産査定のノウハウは積み上げられてきた」(同庁OB)が、その分、システム問題への対応やマーケットの監視など、その他の分野の専門家育成は後回しにされてきた。
 弱点は、あおぞら銀行(旧日本債券信用銀行)への行政処分をめぐる迷走でも露呈した。米ファンド「サーベラス」は、あおぞら銀の筆頭株主として米金融会社GMACなどサーベラスの投資先に対して資金を融資させたうえ、巨額の焦げ付きを発生させた。金融庁検査局の幹部は当初「銀行を自分のサイフ代わりに使う『機関銀行化』の典型で看過できない」と騒ぎ立て、業務停止命令どころか、サーベラスにあおぞら銀の経営から撤退するように迫る構えさえ見せていた。
 あおぞら銀では、サーベラスの機関銀行化を批判した農林中央金庫出身の能見公一会長兼最高経営責任者(CEO)が突然解任されるなど経営混乱も起きており、金融界は同庁の対応に注目した。
 ところが、七月下旬にあおぞら銀に出された行政処分は、公的資金注入行に課された利益目標未達を理由とする業務改善命令だけ。金融庁の現場の力量不足で「機関銀行化」の事実を証明しきれず、相手が外資ゆえの訴訟リスクも考慮して、上層部の腰が引けたのが原因と見られる。

内部告発が明かした“実情”

 不良債権問題や生損保の不払いなどには滅法強い金融庁だが、システムが絡んだり、ファンドが絡んだりする新たな問題には対処しきれない――。危機感を抱いた佐藤隆文長官は昨年七月のトップ就任時に「ベターレギュレーション」という新たな金融行政の方向性を打ち出した。大手行の不良債権問題が終わり、存在意義の再構築を迫られた末に出てきた話で、「経営介入も辞さず厳しく検査・指導する従来の行政スタイルから脱皮し、金融機関の自主的な規律を促すイギリス金融サービス庁型の“スマートな行政スタイル”への転換を図るのが狙い」(関係筋)だという。
 これまで、ともすれば敵対してきた民間金融機関との交流を通じて、市場の変化に対応した監督や検査のノウハウを吸収しようとの思惑もあったと見られる。実際、欧米の金融当局はそうやって新たな金融商品や金融技術に対する知見を得て、市場の監視などに役立てている。
 ただ、唐突に打ち出されたこの方針は、一年経っても現場に一向に浸透していない。そもそも佐藤長官自身が過去に「大手行のトップは馬鹿ばかり」との態度を取り、金融界と対話して来なかったことも災いしている。このため、せっかくの新路線も完全に上滑りし、特に検査部門は今でも「不良債権の査定で大手行や地銀を締め付け、それだけで自己満足に浸っている」(大手行幹部)という。
 そんな状況を金融庁の中枢幹部が“内部告発”し、波紋を広げている。大森泰人総務企画局企画課長が業界雑誌『金融法務事情』(七月五日号)に執筆したコラム「金融検査――ダブルスタンダードの憂鬱」がそれだ。
 コラムは冒頭で「金融庁の幹部が、業界との意見交換の場で、みなさんの自主性を活かしたベターレギュレーションとか、対話の促進とかいったところで、聞いているほうは醒めている。『あんたはともかく、ウチに来る検査官はそうじゃない』、と思っているからだ」と、今の同庁の問題点をズバリと指摘。さらに、ヘビースモーカーの大森氏による庁内の喫煙所での目撃談として若手検査官が「机叩いてでかい声出したら、ハケに落ちたぜ」と得意がっていた様子を紹介している。検査で銀行の甘い査定を怒鳴り上げたら、相手がビビッて融資先の資産分類のランクを不良債権のハケ(破綻懸念先)に落としたというのだ。これに対し大森氏は「『やれやれ。猿にマシンガン持たせて野に放ってるようなもんだな』とぼやきたくもなる」と、直属ではないとはいえ、部下を痛烈に批判したのである。
 そのうえで大森氏は、「破綻処理が日常茶飯事だったころ、金融行政を主導していたのは検査だが、『メガバンクをも消滅に追い込んだ伝説の検査官』を今の若手がこぞって目指すなら、あまり健康な行政組織とは思えない。もとより、業界から(ベターレギュレーションを唱える上層部とそれに従わない現場との)ダブルスタンダードと受けとられる世界が形成されるのは、私たちの組織管理や人事システムにも構造的な問題があるのだろう」と締めくくっている。
 このコラムに対して同庁上層部からは「組織の混乱を引き起こすつもりか」「課長が評論家のようなことを言うな」などと非難の声が噴き上がったが、大森氏の主張は金融危機がひとまず過ぎた後の新たな役割を確立できない金融庁への強い危機感から出たものだ。佐藤長官ら上層部が「ベターレギュレーション」を唱えるなら、ノンキャリアが中心の検査局など現場の能力再開発による組織全体の底上げが不可欠で、そこに手を付けなければ組織は一向に変わらない。
 さらに現場からは、七月の幹部人事に象徴される佐藤長官の強引な組織運営にも批判が高まっている。佐藤長官はナンバー2で次期長官の最有力候補だった西原政雄監督局長を証券取引等監視委員会事務局長に“降格”させ、後任の監督局長に金融監督や検査行政の経験がほとんどない三國谷勝範総務企画局長を就けた。
 同庁関係者は「公務員制度改革も担当し、天下り根絶を訴える渡辺喜美・前金融担当相が業界団体への再就職を前提にした三國谷氏の退職を認めず、佐藤長官も局長間でポストをたらい回しするしかなかった」と都合のいい解説を口にするが、現場では一様に「部下の意向を尊重しすぎるとさえ言われる現場派の西原氏を『ソリが合わない』として斬った」と信じられている。
「金融の現場行政に素人で、財務省時代からリスクを取らない典型的な官僚」との評価が定着している三國谷氏を最前線の監督局長に持ってきたことも、中堅・若手職員の間では「信じられないミスキャスト」との声が渦巻いている。

指をくわえて見ているのか

 迷走する金融庁を尻目に、欧米金融当局の間では、サブプライムローン(信用力の低い個人向け住宅融資)問題を端緒に起きた国際金融市場の混乱への反省から、金融行政の改革が進み始めた。
 改革は、ゴールドマン・サックスCEO出身のヘンリー・ポールソン米財務長官が主導。サブプライム問題で浮き彫りになった証券化市場やクレジット市場の混乱に、当局がより効果的に対応できるようにするのが主眼だ。
 サブプライム問題では、信用不安が証券化商品全体に波及。これまで当局が監督してこなかった格付けの信頼性に問題があることや、モノライン(金融保証)会社が巨額の保証債務に対して圧倒的な資本不足にあることも明らかになった。
 ポールソン改革の要諦は、当局が対処すべきは、もはや貸し出しの焦げ付きによる預金取り扱い金融機関の経営危機問題ではなく、信用不安から突発的に起こる証券会社やヘッジファンドのサドンデス(突然死)の危機だとするもの。当局の対応が遅れ、サドンデスが生じれば、投資銀行やヘッジファンドがデリバティブ(金融派生商品)などを通じて、国内外で幅広く展開する信用取引などにも債務不履行(デフォルト)が同時多発的に連鎖し、金融市場が制御不能に陥るからだ。
 ポールソン長官には金融業界の利益代弁者との批判もあるが、サドンデスの危機に緊急融資が可能な米連邦準備制度理事会(FRB)を「市場安定の監督者」と位置づけ、中央銀行として監督権限の及ぶ範囲を投資銀行やヘッジファンドなどにも拡大する金融行政の大転換を進めている。日本で言えば、特別融資(特融)ができる日銀に市場安定に絶対的な責任をもたせる代わりに、金融行政の大部分を金融庁から移管するようなものだ。
 そこまでやるべきかどうかはともかく、佐藤長官が一応はポールソン長官と同様の現状認識を示している以上、少なくとも現在は、人事交流もほとんどない日銀との連携強化は避けて通れない。だが、中央銀行を巻き込んだそれ以上の“大改革”など、まるで視野にないだろう。
筆者:ジャーナリスト・本田真澄 Honda Masumi
フォーサイト2008年9月号より