昭和の日 | ニュースな話題

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今年から、4月29日は『昭和の日』となりましたね。



…って、そんなこと、知らへんかったで!

だれが、いつ、決めたの?

ネットで調べたら、平成17年に祝日法が改正されていました!

ただ、施行日は平成19年1月1日だったため、今回から適用になったようです。

「昭和の日」は、祝日法によれば、

『激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧み、国の将来に思いをいたす。』

ための祝日だとか。

この祝日に際して、報道2001で「『昭和の日』に語る」という特集をやっていました。

野田毅氏、島村宜伸氏、秦郁彦氏の3人のゲストが、A級戦犯合祀に対する昭和天皇の真意や、戦争に突き進んでいった時代における政府への天皇の思いなどについて、それぞれのコメントされておられました。

非常に興味深い話ばかりでした。

まず、昭和天皇が靖国神社に参拝しなくなった理由については従来から方々で解説されていますが、野田氏らから次のような趣旨の話がありました。

・そもそも靖国神社は、戦死者、つまり、天皇の命を受けて戦場に赴き、

お国のために戦って亡くなった人(=英霊)を祀るというのが大原則。

・したがって、A級戦犯のような軍人でない、戦死者でもない(病死など)人を祀ることは

この原則にそぐわない。

・これは東京裁判が正しいかどうかということとは別問題である。

・ところが、A級戦犯合祀の際は、こうした原則に従わなかったばかりか、

宮中にも話を通さずにやってしまった。

  ・こうしたことに対し、天皇は快く思わなかったのだろうと思われる。

また、昨年7月の富田元宮内庁長官のメモの中で、

当時の松岡外相、白鳥イタリア大使の名が特に挙げられていることについて、

秦氏は次のように解説しておられました。

 

 ・天皇は、先の戦争に反対の意向を表明しておられたにもかかわらず、

  戦争を避けることができなかった

 ・なぜ避けられなかったのか。それを天皇は三国同盟の締結にあったと考えた。

  これも天皇は反対されたが強行された。

  その責任者が松岡外相であり、白鳥大使だったのだ

さらに、満州事変から日中戦争、日米開戦と、開戦するたびに3か月で終わるとの軍部の説明に、「このまえもそう言っていたではないか!」と、ときに激高しながら反対していたという話がありました。

   私は、これまで、軍部の独走を天皇は傍観していたと思っていました。

   戦争に反対の意向を表明していたとは、知らなかった。

最後に、敗戦国のリーダーは命乞いをするのが常なのに、昭和天皇はすべての戦争責任を一人で負おうとし、それに対し国民がより一層敬愛の念を持ったこと、さらにマッカーサーにも感動を与えたこと等々について、野田氏が熱っぽく語っていました。

また、満州事変の前年に生まれ、まさに戦争の時代を生きてきた竹村健一氏は、

・自分たちの時代は何でも天皇がお決めになられて、

天皇の命令だから戦争に行くんだ、と思い込んでいた、

・(そんな時代に生きてきた自分としては、)

今までの話を聞いて胸がつまる思いだ。

と語った。

戦争を知らないどころか、平成に生まれた子たちが数年後には成人となる時代です。

年に一度は、こういう話をしていただくのもいいことかもしれないですね。