小泉純一郎首相は1日午後の参院予算委員会で、構造改革に伴う経済格差拡大への批判が強まっていることに関し、「わたしは格差が出ることは悪いこととは思っていない」と答弁した。
その上で「ようやく今、光が見えてきた」と景気回復の成果を強調する一方、「光が見え出すと影のことを言う(人がいる)。影に対し、どうやって手当てをしていくかが大事だ」と述べ、経済的弱者にも配慮する姿勢を示した。自民党の市川一朗氏が「改革一本やりでいいのか」とただしたのに対し、答えた。
一方、社民党の福島瑞穂氏は「貧困層が増えているという認識はあるか」と、社会構造の現状認識をただしたのに対し、首相は「ますます増えているとの認識はない。どの時代でも成功した人と成功しない人がいる」と述べた。
さらに、首相は「貧困層をなくす対策と同時に、成功をねたむ風潮や能力のある人を引っ張る風潮は厳に慎んでいかないと、社会の発展はない」と答えた。
いま、書店には、「格差」に関する書物が店頭に平積みされ、国民の関心が高まりつつある。
そして、とうとう、国会で、格差論争が行われるようになった。
経済が回復に向かう中で、ヒルズ族と呼ばれるような有り余る資産を手にする若手実業家。
一方で、派遣や請負、フリーター、ニートなどの一般に低所得階層となる者が増大していることなどを背景に、経済の格差が拡大しているというのだ。
野党は、ここぞとばかり、「格差拡大は小泉改革の影」と批判している。
最近内閣府が行った調査では、格差拡大の傾向は統計的にはみられないとしているが、各種民間の世論調査でみれば、「格差」を感じる人々が増えているのは確かなようだ。
しかし、格差問題は、小泉政権になって急に出てきたものではないと思っています。
調査の精緻度で評価はいまいちのようだが、「不平等社会日本 さよなら総中流」(中公新書)(2000年刊行)では、すでに階層の固定化について論評されている。
おおざっぱにいうと、『親が高収入層の場合、その子も高収入層となっている割合が高い。』
逆に、『親が低収入層の場合、その子も低収入層となっている割合が高く、高収入層となる(逆転する)割合は低い』現状があることを指摘している。
(※高収入=ホワイトカラーの高収入層、低収入=ブルーカラーで想定されている。)
こうした論評が正しいなら、2000年以前からすでに格差拡大の傾向はあったのだろう。
私が考える経済格差拡大の理由は、3つ。
1 所得税の累進税率を緩和したこと。
2 経済の規制緩和・グローバリーゼーションが進むなかで、バブル経済の崩壊が重なり、
企業が余剰人員を抱える余裕がなくなったこと。
3 高等教育機関(高校、大学)に入るまでに必要な教育費用の高騰
1について。
→所得税の最高累進税率は、かつて80~90%だったと思う。
むかし、プロ野球の王選手が1億近くの年俸をとっていたとき、手取りは1000~2000万くらいしか残らなかったそうな。
それに比べると、今の実業家は自分の手取り分が増えた。
しかし、その分、国の税収は減り、税の所得再分配機能は弱まっている。
2について。
→企業もいまは正社員はとことん減らして、派遣・請負・フリーターに切り替え、人件費を大幅に削減できたのが、いまの財務体質改善、競争力強化につながっている。
しかし、労働分配率(労働者の取り分)は逆に減らしてきた結果、好景気を謳歌する企業に比べて、労働者は実感がわかないという結果になっているのだろうと思う。
3について。
→経済が低迷を続けた90年代では、教育費が高騰する中、親のリストラ等により学業を継続できなくなった者も少なくない。
非常に心痛むことなのだが、こうして高等教育を受ける機会が失われると、高収入の職業に就く機会も狭まるので、いわゆる下層に滞留することとなってしまう。
結局のところ、かつて、「一億総中流」といわれた社会に、多少揺り戻すべきなのかどうか?
それとも、小泉総理の言われるように、「能力のある者を引っ張らない」ため、保護的な政策はとらず、個々人の自立自助にできるだけゆだねていくのがよいのか?