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- わたしはある。わたしはあるというものだ(旧約出エジプト3:14)
ヤハウェ(注1)
神でもGodでも、ましてやキリストでもない
わたしはある"ヤハウェ"という超越者が
わたしの生、わたしの存在を決定づけているのは確かだろう
そうして
わたし自身の孤独と
ヤハウェご自身の嘆きが、ひたと交わるその一点に
キリストという名の
完全なるヤハウェであり
完全なるMenshen(人間)であるお方が立ちつくしておられて
ヤハウェの聖なる御血と、わたしの貧しい涙を共に流している。だが、
"十字架の救い"が果たしてわたし自身にあるのかどうかは、
いまだヤハウェでも知り得ないだろう
- いえす『受苦』
8月19日 闘病の床にて。
注1):旧約聖書に描かれている超越者(ヘブライ語でヤハウェ。『わたしはある』の意)
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- 『だれも、二人の主人に仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛するか、一方に親しんで他方を軽んじるか、どちらかである。あなたがたは、神と富とに仕えることはできない。』
- 新約聖書(新共同訳)マタイによる福音書六章二十四節より。
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- 慰めのない世界で
月は弧を描いて地平線にしずみ
陽はあえぎながら東雲のあわいに姿をみせる
慰めのない世界で
繰り返し月は没し陽は昇り
きょうも徒労のような営みに
人々は汗し
喜び
落胆する
慰めのない世界で
わたしは生まれ
人々と共に生き
そして生かされる哀しみを知り
慰めを
ほんとうの慰めを
ただ神の手にのみあずけて
きょうもあしたもあさっても
人は生きわたしもそのなかにたたずんでいて
そしてひっそりといつか
召されていくさだめを知る
慰めのない世界の片隅でいま
わたしはこのきよらかな時間のなかに
およいでいる
- いえす『慰めのない世界で - 石原吉郎に捧ぐオマージュ4』
9月5日 闘病の床にて。