きょうの聖書を読んで、みなさんはたぶん『おやっ?』と一瞬思ったのではないでしょうか。なぜなら、イエスさまがもうこれで二回いや三回も弟子たちのまえで証をなさったのに、きょうの箇所ではいきなりまた、ペトロは『わたしは漁に行ってくる』なんて言って、もとの仕事である漁師にもどってしまっている、ほかの数人の弟子たちも、イエスさまではなくペトロについて行ってしまっている
からです。いったいどういうことでしょう?わたしはこう思います。それほど弟子たちのこころの中には深い失望感と、イエスさまを裏切ってしまった自分へのどうしようもない、責めさいなむ気持ちが支配していたのです。イエスさまは死んでしまった。わたしが殺したも同然だ。自分たちはもうどうしようもない。いっそ過去なんかなかったことにしてしまって、もうこれからは静かに故郷に戻って漁師として残りの人生を過ごそう…。 でもね、きょうの聖書にも書いてあるとおり、漁師に戻ったとて、なかなか思うようにはいきません。一晩中湖に出ても結局なにもとれない。ここでまたペトロたちは虚しさをさらに重ねるように感じなければなりませんでした。ただただ虚しい溜め息ばかり。そんなペトロたちのこころのなかには、もうイエスさまが一緒にいてくださった生き生きとした記憶は遠くどこかへ飛んでいってしまっているわけです。だから岸辺に再び現れてくださったイエスさまの姿を目で見ても、こころがもう虚しさでいっぱいなペトロたちには、イエスさまの姿は見えなかった…。なんか知らない人がいるなぁぐらいにしか本当にわからなかった…。
わたしたちもたぶんそういう寂しい虚しいこころの持ちようの中では、イエスさまがたとえすぐここにおられたとしても、イエスさまを見ることはできないでしょうね。わたしも痛いほどそういう経験を経験しました。イエスさまが見えるということは、この肉眼で視覚的に見えるということとは違うんです。
イエスさまが見える、イエスさまを感じるということは、このわたしといつもイエスさまがどんな時も一緒にいてくださる、たとえ自分を信じてあげられないほど悲しいときでも、いつもイエスさまはわたしの悲しみと一緒にいてくださるっていうことを思い起こすということだからです。
わたしたちの周りには、いつも『イエスさまがいてくださるならどうしてこんなことが起きるの?』っていう出来事がいっぱいあふれています。友達との関係、お父さんお母さんとの関係の中で、どうしようもない失敗をしてしまって、自分を責めるようなことも経験します。でも、イエスさまはそんなわたしたちのそばにいつもいてくださる。たとえ過ちをおかしてしまっても、やり直すチャンスを与えて、喜んで毎日を生きられるようにわたしたちを招いていてくださる。そのことをどうか忘れないでください。
からです。いったいどういうことでしょう?わたしはこう思います。それほど弟子たちのこころの中には深い失望感と、イエスさまを裏切ってしまった自分へのどうしようもない、責めさいなむ気持ちが支配していたのです。イエスさまは死んでしまった。わたしが殺したも同然だ。自分たちはもうどうしようもない。いっそ過去なんかなかったことにしてしまって、もうこれからは静かに故郷に戻って漁師として残りの人生を過ごそう…。 でもね、きょうの聖書にも書いてあるとおり、漁師に戻ったとて、なかなか思うようにはいきません。一晩中湖に出ても結局なにもとれない。ここでまたペトロたちは虚しさをさらに重ねるように感じなければなりませんでした。ただただ虚しい溜め息ばかり。そんなペトロたちのこころのなかには、もうイエスさまが一緒にいてくださった生き生きとした記憶は遠くどこかへ飛んでいってしまっているわけです。だから岸辺に再び現れてくださったイエスさまの姿を目で見ても、こころがもう虚しさでいっぱいなペトロたちには、イエスさまの姿は見えなかった…。なんか知らない人がいるなぁぐらいにしか本当にわからなかった…。
わたしたちもたぶんそういう寂しい虚しいこころの持ちようの中では、イエスさまがたとえすぐここにおられたとしても、イエスさまを見ることはできないでしょうね。わたしも痛いほどそういう経験を経験しました。イエスさまが見えるということは、この肉眼で視覚的に見えるということとは違うんです。
イエスさまが見える、イエスさまを感じるということは、このわたしといつもイエスさまがどんな時も一緒にいてくださる、たとえ自分を信じてあげられないほど悲しいときでも、いつもイエスさまはわたしの悲しみと一緒にいてくださるっていうことを思い起こすということだからです。
わたしたちの周りには、いつも『イエスさまがいてくださるならどうしてこんなことが起きるの?』っていう出来事がいっぱいあふれています。友達との関係、お父さんお母さんとの関係の中で、どうしようもない失敗をしてしまって、自分を責めるようなことも経験します。でも、イエスさまはそんなわたしたちのそばにいつもいてくださる。たとえ過ちをおかしてしまっても、やり直すチャンスを与えて、喜んで毎日を生きられるようにわたしたちを招いていてくださる。そのことをどうか忘れないでください。

