三途の川の話し | 花咲く祈りの寺☆清瀧寺

花咲く祈りの寺☆清瀧寺

山号を雲光山、院号を華蔵院、寺号を清瀧寺といいます。
平安時代、大同2年(807)の創建と伝えられています。
茨城県南部守谷市、鬼怒川のほとりに建ちます。
境内は四季折々様々な花が咲き乱れる、総合霊場が特徴の寺院で『花咲く祈りの寺』です。

おはようございます☆


昨日も猛暑の中、御参拝いただき、絵解きをさせていただけることがありがたく、感謝しておりますm(__)m



今日は『三途の川』のお話しです。



死天山(死出の山・針の山)を越えた先に、この世とあの世の境となる『三途の川』があります。


三途の川は、この世での行いによって三通りの渡り方があるので『三途の川』と呼ばれ『三つ瀬川』や『葬頭川』とも表記されます。

三途の川の橋渡し
熊野観心十界曼荼羅より

①有橋渡(うきょうと)
善人は地蔵菩薩が橋を架けてくれて橋の上を渡ることができます。

②山水瀬(さんすいせ)または浅水瀬
一般的には、腰ぐらいまでの浅瀬、小川となります。

③江深瀬(こうしんせ)または強深瀬
罪深い人は、罪の深さに応じて川も深く、広くなり、流れが早い川を渡らなくてはなりません。
一説には、水を司り、仏法を守る龍神さまが渡る者の罪を見極め、三途の川の水位を変えているとの言い伝えもあります。


三途の川を渡り終えると、あの世の門番とも言われる『脱衣婆』(だつえばあ)と『懸衣翁』(けんぬおう)そして『衣領樹』(えりょうじゅ)があります。


十王図・二七日


脱衣婆が死者の着物を脱がし、懸衣翁がその着物を衣領樹に掛けます。
罪の重さによって枝のしなり方が違い、その罪の重さが閻魔さまに報告されるそうです。


三途の川の橋を渡った方は、着物が水に濡れていないので枝はしなりにくく、罪深い川『江深瀬』を渡った方は、びしょ濡れなので枝がよくしなります。


しかし、あの世にも悪さをする者がいるようで、自分の濡れた着物を他人に着せようとします。

自分の罪を他人にきせる『濡れ衣を着せる』という言葉の由来とされております。


現在は火葬後に骨あげ、収骨の儀があり、箸と箸でお骨を骨壺に納めますが、これは無事に三途の川の『橋』を渡り、迷うことなく成仏できますようにという祈りが込められた儀式となります。



 地獄絵めぐりについてはこちら↙️