この小説は、「デジモンノベルコンペティション」に応募したものです。
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私が鱗竜国(きりゅうのくに)の守護役を継いだ日、私はまだ十歳だった。
春のうららかな日差しの中、私は菜の花色の小袖姿で、屋敷の廊下を歩いていた。
父上の部屋の前で膝をつく。
「父上、望(のぞみ)が参りました」
「お入りなさい」
返ってきた声はミタマモンのものだった。
私はふすまを開けて部屋に入った。
板敷の部屋の中心に、布団が敷かれている。そこに父上が横になっていた。
顔の彫りは深く、その肌は髪と同じくらい黒い。他国の貴族からは「貴族というより漁師のようだ」と言われていた。
しかし、今の父上にかつての覇気は無い。手足の筋肉は落ちてやせ細り、肌は青黒い。
持病が悪化して、この三日程は床に臥せっていた。
守護役の印であるデジヴァイスも、枕元でうっすら埃を被っている。
その周りを守るように、ミタマモンが長い体を横たえている。その体は部屋よりも大きいが、半透明の竜の体は、不思議と壁や天井をすり抜けている。
私が父上に近づくと、父上が目を開けた。
「父上、今日も村の見回りに行って参ります」
「そうか……。すまんな。私が行けぬばかりに、お前には迷惑をかける」
その声は弱弱しく、しゃがれている。
「とんでもございません」
私は父上を安心させるように微笑む。
「国を守るのが貴族の務め。私も鱗竜家の子ですから」
「ミタマモン、私は良い。望についてやってくれ」
父上がミタマモンに目を向けた。ミタマモンは困ったように父上と私を見比べる。
「しかし、私の《鏡花水月》の癒しが無ければ、あなたの体は」
私はミタマモンに顔を向けて頷いた。
「お気になさらないでください。安全な村の中を歩くだけですから」
「分かりました。お気をつけて」
ミタマモンと父上に一礼して、私は部屋を出た。
廊下を歩きながら、私は唇を噛んだ。
「姫様」
廊下の向こうから、水神(みずかみ)満信(みつのぶ)が早足で寄ってきた。年は十八歳。日頃から鍛錬を積んでいる体は引き締まって日焼けしている。来ている茶色の小袖もあって、木造の建物に溶け込んで見える。従兄にあたるが、私と違って目鼻は小さく、顔だけ見れば女のようだ。
「お父上のご様子はいかがでしたか」
満信の言葉に、私は顔を曇らせて、首を横に振った。
「あの様子では、もう長くないかと思います。何より、ミタマモンが父上の傍を離れたがりません」
「もうそこまで……」
満信が両手を握り震わせた。
癒しの力を持つミタマモンは、父上の相方であり最高の侍医でもあった。
それが父上の傍を離れないということは、父上の命が尽きかけていることを意味する。
満信が表情を引き締めた。
「私は鋭刃国(えいじんのくに)に加勢に出ている両親を急ぎ呼び戻します。姫様は村へ顔を見せにお行きください。姫様の顔を見れば、民も安心しましょう」
屋敷の門を出る。
父上の病状とは裏腹に、鱗竜国は晴れ渡り、遠くまでよく見える。
鱗竜湖が日の光できらめいていた。今日のように天気が良い日でも、対岸や離れ小島がかすんで見えるほど広い。この水が、田畑だけでなく湖の幸ももたらしてくれる。
少し歩くと、漁師達が船着き場に集まっていた。
私を見つけると、我先にと駆け寄ってくる。
「姫様、守護役様のお加減は」
「ミタマモンが、看病してくれていますので」
そう言って微笑もうとするが、唇が震える。
そんな私を見て、漁師達も不安そうに顔を見合わせた。
私に口々に訴えてくる。
「では、水神のご夫妻は戻られませんか」
「ミタマモン様がお姿を見せられないので、湖のデジモンが船を襲うようになりまして」
「貴族の皆様のデジモンがいなければ、漁ができなくなってしまいます」
私は鱗竜湖に目を向けた。
湖には、野生のデジモンも多く生息している。
これまではミタマモン達が見回り、時には戦い、人の生活圏に入り込まないようにしていた。
けれど、ミタマモンは看病にかかりきりになり、残る満信の両親とそのデジモンは隣国の戦に加勢するため国を離れている。
桟橋につけられた船の中には、傷がついていたり、折れたりしているものもある。
このままでは、国の平和が保てない。
そこに、大声が響いた。
「姫様! 姫様!」
振り返ると、転びそうな勢いで人が走ってくる。屋敷の使用人だ。
使用人は私の元まで来ると、息を切らせながら訴えた。
「姫様……すぐに屋敷に、お戻りください! 急変でございます!」
その言葉だけで、私は全てを察した。
「父上!」
私は一目散に屋敷へと走った。
日暮れに、父上は息を引き取った。
枕元で嗚咽を漏らす私の肩に、ミタマモンが触れた。
「待っています」
その声に顔を上げても、ミタマモンはいない。
半透明の体だから見えないのではない。相方の父上が亡くなったから、ミタマモンも消えたのだ。
青白い父上の顔に、満信が白い布をかける。
そして、正座して私に向き直った。
「姫様。お父上を亡くしてお辛いところ申し訳ございません。が、すぐに継承の儀を行っていただきとうございます。せめて私の両親が戻るまで、この国を守るデジモンが必要です」
私はミタマモンが触れた肩に、指を当てた。指が震えているのが分かる。
父上の病気が悪くなった頃から、心を決めたつもりでいた。
それなのに、父上がいなくなった今、守護役を継げる自信がまるで無い。
「満信では駄目なのですか」
思わず弱音が漏れる。涙を流しながら、顔を上げて満信を見る。
「鱗竜家の血を引いていて、まだデジモンと盟約を結んでいない者ならば、満信でも良いはずです。私より年上で、しっかりしていて、よほど上手く国を治められます」
満信は辛そうに息を吐いた。首を横に振る。
「……次に誰と盟約を結ぶかは、ミタマモンが決めることです。私が姫様の名代になることを望んだとしても、ミタマモンが認めなければ意味がありません」
ミタマモンは、最後に「待っています」と言った。
私が継承の儀を行い、ミタマモンのデジタマを呼ぶのを待っている、と。
私はさすっていた肩をつかんだ。指が食い込むほど強く。
自信は無い。
けれど、ミタマモンが私を選ぶのなら、私は応えなければならない。
私は父上に深く頭を下げて、その枕元からデジヴァイスを手に取った。四角の四隅が欠けた不思議な形だ。白地に青い波のような模様がついている。
腹の下に力を入れて、声を張る。
「湖で禊(みそぎ)をしてきます。継承の儀の用意をしてください」
「かしこまりました」
満信は一礼した。
禊を済ませ、白の小袖の上に白の打掛を羽織る。日は落ちて、月明かりだけが頼りだ。
神棚のある部屋に入ると、既に満信がろうそくを灯して控えていた。私と目が合うと、小さく礼をして、手のひらで神棚を指し示した。
神棚に歩み寄り、畳に座る。
机に祝詞(のりと)の巻物が広げられている。神棚には、まだ空の小さな台――三方(さんぽう)が置かれている。
父上のデジヴァイスを三方に置く。
両手を組み合わせ、深呼吸する。
吸った息を吐きながら、祝詞を読み上げる。
「我が名は鱗竜望。守護役の初めたる始祖帝の娘にして、プレシオモンと盟約を結び、鱗竜家を興した末姫の血を引くものなり。人とデジモンを結びし竜戦士よ、我が血筋と盟約を結びし鱗竜よ、我が言葉を聞き届け給え」
ろうそくの灯が揺れる。
「末姫より千年の長きに渡り、我が血筋は鱗竜と共にあり。今ここに、我、先代の意思を継ぎ、鱗竜と盟約を結ぶことを求む。我が前に現れ、盟約を結び給え」
三方に置いたデジヴァイスの中心から、光があふれ出た。それは昼間のように部屋を照らし出す。
デジヴァイスの中から、一抱えほどの卵が現れた。デジヴァイスと同じように、白地に青い波のような模様がついている。
鱗竜の卵。代々鱗竜家と盟約を結んできたデジモンの卵。ミタマモンが生まれ変わった卵。
私は膝立ちになり、卵に手を触れた。温かく、脈を打っている。
卵に呼びかける。
「鱗竜よ、我と共にこの国を守り給え!」
卵の殻にひびが入った。
殻は一瞬で飛び散り、光の粒となって消えた。
私の手の中には、卵と同じくらいの大きさのデジモンがいた。
背中は茶色、腹と手は青い毛で覆われている。足は無く、雲のようにあいまいになっている。
顔には銀の仮面がついていて、ミタマモンの名残が感じられる。
その目が開いた。青く丸い目が、私を見据える。
「我が名はバクモン。鱗竜望と盟約を結びし者。共にこの国を守ることを誓う者なり」
私の肩の力が抜ける。
継承の儀は成功して、私はバクモンを受け継いだ。
けれど、これは始まりでしかないのだ。
その夜、私は父上の夢を見た。
病床で苦しむ父上の夢だ。
そこにはミタマモンも満信もいなくて、私一人が必死に看病をしている。
「父上、私を一人にしないでください。置いていかないでください」
私が涙ながらに訴えても、父上の肌は冷たくなっていく。
と、その姿が靄のように崩れた。風が吹いてきて、靄が奥へと流れていく。
そこには、バクモンがいた。私の悪夢は靄になって、バクモンの口の中に消えていく。
バクモンは最後に飲み込むしぐさをして、私に微笑んだ。
「可愛い姫様。その胸にあふれそうな不安を受け止めるため、この姿になりました。これから辛いことも多いでしょうが、あなたの傍には常に私がいることを忘れないでください」
「……はい」
バクモンの言葉に、私は体の力が抜けた。
バクモンが私に寄り添ってくれる。抱きしめると、夢の中なのに温かい。
バクモンが短い手を伸ばし、涙に濡れた頬を撫でてくれる。
目が覚めるまで、私はバクモンを抱いて泣いた。
翌日、父上の葬儀が行われた。
民の混乱を避けるため、屋敷の者だけで、内々に済まされた。
葬儀の後、満信が私の元に来た。
「お父上の死のことを、書簡にしたためて隣国の両親に知らせました。昨日送った重篤を知らせる書簡もありますし、あと三日もすれば両親も帰ってくるでしょう」
満信は私に告げた。
隣国への加勢は、外交において重要な役目だ。それを、この国を守る戦力が足りないばかりに、呼び戻さなければならない。
「申し訳ありません。私の力が足りないばかりに」
私は胸に下げたデジヴァイスを握りしめる。
私の膝に、バクモンがそっと寄り添う。
「望、あなたは十分やっています。私を成長期の姿で生み出しただけでも素晴らしい素質です。同じ年頃の者は大抵、幼年期でしか生み出せないのですから」
「ありがとうございます」
バクモンの背の毛を撫でる。指通りの良い毛並みを撫でていると、少し、気持ちが落ち着く。
鋭刃国からの使者が来たのは、二日後のことだった。
知らせを聞いてすぐに、屋敷の物見やぐらに登り、山の方へ目を凝らす。
川に沿って二十人ほどの鎧侍が歩いてくる。
ただし、先頭を歩く二人のうち、一人はデジモンだ。外見は人間の鎧侍に似ているが、その体は、人の二倍はある。
私の横で、バクモンも目を凝らす。
「鋭刃国の貴族、鋭刃豪三郎とその相方であるムシャモンですね。当代の三男坊で、ムシャモンは彼の叔父から継いだデジモンです」
「叔父上と叔母上の姿はありませんね」
私は肩を落とす。
使者の一団は、山から出てすぐのところで足を止めた。
そのうちの一人が坂を下ってくる。
私が物見やぐらを降りてすぐ、満信が駆け寄ってきた。
満信が口を開く。
「姫様、使者が姫様へのお目通りを求めています。鱗竜国の守りについて、ご相談があると」
そう言いつつも、満信の表情は冴えない。満信も両親が帰ってくることを期待していたのだ。
「ひとまず、屋敷に通して話を聞きましょう」
バクモンがため息交じりに言った。
私は正装に着替えて座り、使者が来るのを待った。
国土を流れる青木川や鱗竜湖、そして代々のデジモンの姿が刺繍されている打掛だ。亡くなった母上の物を私の背丈に合わせて直したので、模様がやや不格好だ。
緊張でしびれる手を開閉して気を紛らわせる。
私の横で、バクモンがささやいた。
「使者との話は私がします。望は堂々と座っていなさい」
「は、はい」
じきに、床板を踏む大きな足音が聞こえてきた。一歩ごとに何かを引きずる音がする。
満信に案内されて現れたのは、赤い鎧を着た人間と、同じく赤い鎧のデジモンだ。
人間の方は三十歳くらい。髪も髭もぼさぼさで、どこからが髭なのか分からない。人間としては大柄で、武士らしく筋肉質だ。けれど右足は引きずっていて、包帯が巻かれている。これが鋭刃豪三郎か。
デジモンの方も使い込まれた鎧を身にまとっているが、物静かだ。人には目もくれず、庭を興味無さそうに眺めている。
鋭刃豪三郎が私の前に腰を下ろした。包帯の巻かれた右足は伸ばしたままだ。満信は壁際に寄り、私と豪三郎の間辺りに座った。
豪三郎が口を開く。
「先代殿が亡くなられたと聞き、急ぎ鋭刃国より参った。本来ならば水神家のお二人をお返しするべきところだが、戦が激しく一人でも戦力が欲しい状況じゃ。わしはこのとおり足に傷を負って戦線を退いている故、この国を守る代理として遣わされた」
見た目にたがわず、腹の底から出てくるような大声だ。
「まずは、お悔やみ申し上げる」
そう言って頭を下げてくる。
「ご足労いただき、感謝いたします」
バクモンが淡々とした声音で返す。
豪三郎が懐から書簡を取り出した。
「これは我が当主より預かってきた書簡じゃ」
満信が受け取り、私の元へ運んでくる。
書簡を開いて目を通す。
父上のご病気を気遣っていること、水神家の二人を鱗竜国に戻せず申し訳ないこと、取り急ぎ豪三郎を遣わすとのことが書かれている。
私と共に書簡を読んだバクモンが、豪三郎に目を向ける。
「私どもとしても、鋭刃国とは良き友人であり続けたいと思っております。水神家の二人が戻るまで、この国の守りをご助力いただけるとのこと、ありがたく思います」
豪三郎は満足げに鼻を鳴らした。
「ところで」
バクモンの声が固くなる。
「この書簡では、我が先代の病気のことは書かれていますが、亡くなったことは書いていないようです。私達は亡くなった旨の書簡も出したはずですが、お受け取りではないのですか」
豪三郎が、ああ、と言いながら瞬きした。
「わしが鋭刃国を出たのは最初の書簡が来た直後じゃ。この国に向かう途中で二通目の書簡を持った使者に会い、亡くなったことを聞かされたのじゃ。その書簡はわしの侍が預かり、鋭刃国に戻った。今頃、鋭刃国に着いている頃じゃろう」
「そうですか。それなら良いのですが」
バクモンは少し不満そうな声を出しながらも引き下がった。
満信が声を上げる。
「鋭刃国の方々が逗留される部屋をご用意せよ!」
使用人が駆けつけて、豪三郎とムシャモンを案内する。
豪三郎は右足をかばいながら立ち上がり、使用人の後を歩いていった。
豪三郎が去ってから、私はほっと息を吐いた。
「良い話で安心しました。これで、バクモンだけにこの国の守りを任せずに済みます」
そう言ってバクモンと満信を見る。
私とは対照的に、二人の表情は冴えない。
バクモンが満信を手招きして、近寄らせた。私達にだけ聞こえるささやき声で話す。
「他国の使者の書簡を預かって運ぶなど、よほどのことがなければあり得ません。それも、国の守護役が亡くなったという大事な書簡を」
満信も頷く。
「一つ、ツテがあります。書簡の行方を調べてみます」
「ツテ、ですか?」
私は首を傾げた。満信に他国の状況を調べるツテなどあっただろうか。
私の疑問に、満信は少し申し訳なさそうに肩をすくめた。
「情報が集まり次第、お二人にはお話しします」
それから三日。
豪三郎とムシャモンは精力的に村を回り、野生のデジモンを退治して回った。
民からは、父上の死を惜しみつつも豪三郎に感謝する声が上がっている。
鋭刃国の侍達は屋敷の各所に配備された。
私の部屋の外にも一人置かれて、食事に行くのにも厠(かわや)に行くのにもついてくる。
バクモンはともかく、満信や屋敷の者達と会う時は室内の声の聞こえる場所に侍がいる。
「万が一にも屋敷の皆様に何かあってはなりませんので」
豪三郎はそう言っていた。話の筋は通っているが、自分の屋敷なのに居心地が悪い。
豪三郎のいる部屋の方からは、上機嫌の大声が聞こえてくる。屋敷の者が言うには、屋敷の酒が目減りする勢いで飲んでいるらしい。
国を守ってもらっている以上、もてなすのは当然だし、注意もしづらい。
複雑な気持ちを抱えながら、自分の部屋に戻る。ついてきた侍は、ふすまの外で立ち止まり待機する。
「姫様」
満信のささやき声が聞こえた。部屋を見回し、声の出所を探す。満信の姿はどこにも無い。
バクモンが押し入れを手で示した。
押し入れを開けて覗き込むと、天井板からこちらを覗く目があった。
悲鳴を上げたくなるのを押し殺す。
胸を押さえて、あれは満信だと自分に言い聞かせる。
改めて覗き込むと、満信と知らないデジモンがいるのが分かった。
バクモンと同じくらいの大きさのデジモンだ。栗に手足が生えたような姿をしている。
「何者ですか」
私の問いかけに満信が、お静かに、と指を唇の前に立てる。外にいる侍に聞かれてはいけない。
現れたデジモンは、膝を突いて私達に頭を下げた。
「望姫様、バクモン様、このような場所から失礼。お初にお目にかかる。拙者、イガモンと申す者。半年前にこの満信と盟約を結んだデジモンでござる」
「満信が⁉」
私は目を丸くして満信を見た。
満信は恐縮したように肩を狭くして、深く頭を下げる。
「姫様、ご報告をせず申し訳ございません。お父上が病に倒れられてから、私なりに姫様のお役に立つ術を探しておりました。風のうわさに、忍びとして優れたデジモンがいると聞き、秘かにこのイガモンを探し当て、盟約を結んでおりました」
満信が懐からデジヴァイスを取り出す。その色はイガモンと同じ焦げ茶色だ。
「何故、すぐに教えてくれなかったのですか」
私は顔をしかめた。
今の鱗竜国には、ミタマモンしか頼れるデジモンがいないのだと思っていた。だからこそ、それを受け継ぐ私に国を守る全責任があると思っていた。
満信とイガモンのことを早くに知っていれば、もっと気が楽になったのに。
満信がミタマモンの継承を断ったのも納得できる。既にイガモンと盟約を結んでいるならば、ミタマモンとは盟約を結べない。
「拙者が満信に、このことは伏せるようにと言っていたのでござる」
答えたのはイガモンだった。
「忍びは影となって動くもの。大事があるまでは、満信と拙者の関係は誰にも知られず動きたかったのでござる」
バクモンが静かに口を開いた。
「ということは、その大事が起きたということですね」
イガモンが頷いた。
「左様。満信に言われて、書簡を持った使者の後をつけていたのでござる。豪三郎の侍が書簡を預かった様子も見ていたでござる」
イガモンが私達を見回した。
「豪三郎の侍は、書簡を鋭刃国に届けておらぬ」
「何ですって⁉」
私は叫びそうになり、慌てて口に手を当てて押し殺した。
父上が亡くなったという書簡が鋭刃国に届いていないということか。
バクモンがイガモンの方へ身を乗り出す。
「何故、そのようなことを」
「豪三郎は戦で足を負傷し、手柄を立てられない状況にある。そこで、鱗竜国の守護役が亡くなったという情報を遅らせ、自分ができるだけ長く鱗竜国を守っていたいのでござる。他国を手助けしたならば、功績と言えるでござろう」
私はあごに手を当てて、考えを巡らせる。
「つまり、私達がいつまで待っても、鋭刃国や叔父上達に父上の死が伝わらないということですね」
バクモンがため息を吐く。
「そのとおりです。そして、日数が経つほど豪三郎のこの国での地位は高まっていくでしょう。何しろ、鱗竜家のデジモンは未熟な成長期。水神家の両親は戻ってこない。頼れるのは豪三郎だけなのですから」
私は唇を噛んだ。このままではいけない。
「何とかして、書簡を取り返さなければ」
「それならば――っ」
イガモンが急に姿を消した。
直後、私の部屋のふすまが勢いよく開けられる。
「先程から妙な声が聞こえると思えば!」
鋭刃国の侍が私達を見て大声を上げた。
「豪三郎様! 姫君の部屋に曲者です!」
「しまった!」
満信が慌てて天井裏を這って逃げようとする。
私は押し入れの前で手を広げて、侍の前に立ちはだかる。
けれど、鍛えられた侍に肩をつかまれて、あっさり突き飛ばされた。
侍が押し入れによじ登り、満信の足をつかんで引きずり出す。抵抗して激しい音を立てながら、満信が転がり落ちた。
そうしている間に足音がして、豪三郎や他の侍達が駆けつけてきた。
豪三郎は顔を真っ赤にしているが、それは酒のせいだけではない。
目は見開かれて、怒りに燃えていた。
「これは姫君にバクモン殿、そして家臣の満信殿。これは一体どういうことかな?」
「こ、これは」
私は頭が真っ白になって、言葉が出てこない。ただ、胸元のデジヴァイスを握りしめる。
バクモンが私の前に出た。
「あなたに言われる筋合いはありません。今しがた、満信から聞きました。先代が亡くなったという書簡を、鋭刃国に届けていないと。我が国に対する反逆行為です」
豪三郎は目を丸くした。が、すぐに髭の奥で笑みを浮かべる。
「それは間違いじゃ。大方、わしの侍が途中で野生のデジモンにでも襲われ、書簡の届くのが遅れているのじゃろう」
「何を言うか! 鱗竜国と鋭刃国を結ぶ街道に、侍の手に負えないデジモンが出るなど聞いたことが無い!」
満信が怒鳴りつける。けれど、侍に床に組み伏せられ、腕を捻りあげられて苦悶の声を上げる。
豪三郎があご髭を手でしごく。
「何事にも例外はつきものじゃ。そんな言いがかりをつけ、わしに隠れて密談をしているお主らこそ、鋭刃国に対する謀反を企てているのじゃろう」
「そ、そんなことはありません!」
私は勇気を振り絞って声を上げた。
精一杯背筋を伸ばして、豪三郎に近寄る。
「書簡が届いていないというのならば、改めて私が書簡を出します。そして、満信に鋭刃国まで届けさせます。異論がありますか」
私が背伸びをしても、豪三郎の胸までしか届かない。
そんな私を見下ろして、豪三郎はにやりと笑った。
「この屋敷はわしの侍が見張っておる。満信殿は屋敷から出しませんぞ」
「それなら」
イガモンが、と言いそうになって、慌てて飲み込んだ。
イガモンが一人で逃げた理由が分かった。
豪三郎に、イガモンの存在を知られてはいけない。
私は黙り込んでうつむく。
豪三郎が侍を見回した。
「満信殿を縛って閉じ込めよ! 姫君とバクモンはこの部屋にいていただき、室内に見張りを置いておけ」
侍が満信を縛り上げて、連れ出していく。
満信と目が合う。満信は黙って天井に視線を向けた。
イガモンを信じろ、ということか。
部屋に残った私とバクモンの前に、豪三郎が立ちはだかる。
「デジヴァイスをお預かりいたす。万が一にも、バクモン殿に進化されては困るのでな」
そう言って、私の首に下げたデジヴァイスを奪い取った。
父上から受け継いだばかりのデジヴァイスを、こんな相手に渡すなんて。
「返して!」
豪三郎にすがりつこうとする私の腕を、バクモンがつかむ。
「望、いけません!」
「さすがは千年を生きる鱗竜家のデジモン。勝てない相手を心得ていらっしゃる」
豪三郎は豪快に笑って、私のデジヴァイスを懐にしまった。
その日も悪夢を見た。
デジヴァイスを失った私を、父上が、バクモンが、民が見下して陰口を言うという夢だ。
『望は私が託した国を守れないのか』
『次の守護役に望を選んだのは間違いでした』
『姫様は守護役として何の役にも立ちませんなあ』
泣いて謝っても、耳をふさいでも声はやまない。
不意に、その姿や声が、霞になった。
気づくとバクモンがいて、霞をみんな吸い込んでいく。
バクモンは私に優しい笑顔を向けてくれた。
「私はあんなひどいことは言いませんよ。望はこの国の守護役にふさわしい強さを持っています。豪三郎に面と向かって反論した姿は凛々しかったです」
私はその笑顔がまぶしくて、うつむいた。
「でも、結局私は何もできていません」
バクモンが私の手を取った。
「そんなことはありません。今頃、イガモンが鋭刃国に向かっているはず。満信が選んだデジモンならば、きっと書簡を取り返してくれるでしょう。私達も、できることをしましょう」
「私達に、できることなど残っているのですか?」
私の問いに、バクモンは頷いた。
「まずは私のデジヴァイスを取り返しましょう。あれは鱗竜国の守護役の証。あの男が持っていて良いものではありません」
「しかし、豪三郎は話して聞くような相手ではありません。それに荒事となれば、ムシャモンに勝てるとは思えません」
悩む私に対して、バクモンが身を乗り出した。
「私に考えがあります」
寝床の中で目を開けると、傍らにいるバクモンと目が合った。
バクモンが音も無く空中を飛び、ふすまの向こうにいる侍に近寄る。
その口から靄を噴き出す。その色は青黒い。
靄はふすまの隙間を抜けて、侍を取り巻く。
侍は小さなうめき声を上げて、その場にへたりこんだ。
私は寝床を抜け出して、ふすまをそっと開ける。
侍はふすまに寄りかかって眠り込んでいた。その顔はゆがんでいて、悪い夢を見ているようだ。
「本当に寝てる」
私のつぶやきに、バクモンは自慢げに胸を張った。
「これが私の技、《ナイトメアシンドローム》です。望の悪夢を何日も食べていましたから、まだまだ使えますよ」
私の悪夢が元になっている、ということは、この侍は私の見た悪夢を見ているのだろうか。
少し、恥ずかしい。
「さあ、他の侍に気づかれる前に行きますよ」
バクモンが私を小突いて促した。
物陰を利用して、豪三郎のいる部屋を目指す。
侍はあちこちに立っているが、屋敷の構造なら私達の方がよく知っている。
できるだけ侍のいる場所は避け、避けられない時はバクモンの《ナイトメアシンドローム》で眠らせて進む。
じきに、豪三郎がいる部屋に辿り着いた。
部屋の前の侍を眠らせた後、バクモンは《ナイトメアシンドローム》の靄を部屋の中に送り込んだ。
しばらく待ってから、ふすまを開ける。
豪三郎はいびきを掻いて眠っていた。《ナイトメアシンドローム》など必要なかったかもしれない、と拍子抜けするほどだ。
その奥には、ムシャモンが壁に寄りかかって眠っている。
私は豪三郎に近づいた。酒臭さに顔をしかめながら、懐に手を入れる。
見慣れたデジヴァイスを引き出す。自分の手元に戻ってきたことに、ほっと息を吐く。
そして顔を上げたところで、ムシャモンと目が合った。
「ひっ」
私は悲鳴を上げて、庭へと後ずさる。バクモンが私をかばうように前に出た。
「《ナイトメアシンドローム》!」
バクモンが青黒い靄を吐く。
しかし、ムシャモンが刀を振ると、靄は散って消えた。
バクモンの技が効いていない。
ムシャモンが刀を向けると、バクモンと私の前に切っ先が突きつけられた。
降参したい。
でも、ここで降参したら、二度とデジヴァイスを取り返す機会は無い。
それに――。
私はデジヴァイスを握りしめた。
足に力を入れて、ムシャモンをまっすぐに睨み据える。
「我が名は鱗竜望! 守護役の初めたる始祖帝の娘にして、プレシオモンと盟約を結び鱗竜家を興した末姫の血を引くものなり! この国を侵す者相手に、退くことはできない!」
その言葉に応えて、デジヴァイスの中心から光があふれた。継承の儀の時と同じ、昼間のように明るい光だ。
その光はバクモンの体に流れ込み、その体をまばゆく照らす。
バクモンの体が急激に膨れ上がった。
四つ足が伸び、地面を踏みしめる。
その胴は私が見上げるほどの高さになり、首も長く伸びる。
ムシャモンがその首に刀を振り下ろした。
しかし、高い金属音と共に跳ね返される。
バクモンと同じような金属の防具が、体の随所を守っている。
しかし、デジヴァイスの光に照らされた体毛は湖のような深い青だ。
そのデジモンは、首を高くもたげて、声高に名乗りを上げる。
「我が名はバルキモン! 鱗竜望と盟約を結びし者! 共にこの国を守ることを誓う者なり!」
進化、した。
私はバルキモンを見上げて呆然としていた。
盟約を結んだデジモンは、人間の成長に応じてより強い姿に変わるという。
それが、デジモンを受け継いで五日で起きるなんて。
バルキモンが一歩踏み出した。額の仮面についた赤い宝石が光る。
「《サイキックチェーン》!」
宝石から赤い鎖が飛び出した。
鎖は生き物のように動き、ムシャモンの四肢を縛り上げる。
バルキモンが膝を曲げて腰を落とした。
「望、乗って!」
「はい!」
私はバルキモンの体毛をつかんで、背によじ登った。
バルキモンの脇腹から、靄が噴き上がった。それが翼のような形を取る。
バルキモンの体が空中へと浮かび上がった。屋敷が一望できる高さまで上がる。
私は目を丸くして、バルキモンの首にしがみつく。
「バク……バルキモン、どうするつもりですか⁉」
「屋敷を占拠する方々に、お引越ししていただきます」
眼下ではムシャモンが鎖を振りほどき、こちらを忌々しそうに睨みつけている。
ようやく目覚めたのか、豪三郎も目をこすりながら庭に出てきた。
バルキモンは大きく息を吸って、白い靄を吐きだした。
それはバルキモンや屋敷を包み込み、視界が全く効かなくなる。
あちこちで混乱した侍の大声が聞こえてくる。
「姫君がデジモンと逃げたぞ!」
「追え! 捕まえろ!」
靄の中で、侍達の足音が響く。
しばらくして、靄が晴れた時。
ムシャモンや侍達は、湖の離れ小島にいた。草木もろくに生えていない、島と言うより岩と言った方がふさわしいような小さな島だ。
「どうしてこんなところにいるんだ⁉」
混乱する豪三郎達を上空から見下ろして、バルキモンが笑った。
「私の《クラウドビジョン》の力です。幻覚を見せて、この島まで移動してもらいました」
そう言われて、ムシャモンが湖へと歩を進める。
が、一歩目で胸まで水に沈み込み、慌てて四つん這いになって陸に戻る。どうやら泳げないようだ。
バルキモンが言葉を投げかける。
「《クラウドビジョン》が消えた以上、歩いて戻ることはできません。まあ、泳いで戻るのも難しいでしょうが」
私は湖を見回した。
この離れ小島は人間の生活圏から遠い。水中に野生のデジモン達の姿が見え隠れしている。人間やムシャモンが無傷で泳ぎ切ることはできないだろう。
私は豪三郎達に向けて大声を上げた。
「鋭刃国が迎えをよこすまで、あなた方にはその島にいていただきます!」
島から悲鳴と抗議の声が上がる。食べ物も無いこの島で寝起きするのは、数日でも辛いだろう。
「私は、あなた方が湖の上を歩いている時に《クラウドビジョン》を解くこともできたんですよ?」
バルキモンがそう言うと、抗議は収まった。
四日後、鋭刃国から別の侍達がやってきて、豪三郎達を引き取っていった。
侍の代表が床板に頭を擦るほどに、深く頭を下げる。
「このたびは、我が国の貴族がご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。水神家のご夫妻もこの国に戻る手はずを整えております。一両日中にはお戻りになるでしょう」
私は背筋を伸ばして答える。
「鋭刃豪三郎殿にはしかるべき処分をしてくださいますよう、お願いいたします。私達としても、この件で鋭刃国との関係にひびが入るのは避けたいと考えておりますので」
「ご当主の寛大なるお心、痛み入ります」
侍は再度深く頭を下げて、去っていった。
私の傍らに伏せているバルキモンが、嬉しそうに笑った。
「この数日でたくましく成長しましたね。私が代わりに話さなくても、十分当主としてやっていけます」
「ありがとうございます。でも、まだまだバルキモンには沢山教わりたいことがあります」
微笑みあう私達とは対照的に、満信は背を丸くしてため息を吐いていた。
「満信は、何をそんなに落ち込んでいるのですか?」
私の問いに、満信は申し訳なさそうな顔を向けてきた。
「私はほとんど姫様の役に立てませんでした」
「そのようなことはござらん」
いつの間にかイガモンが、満信の横に座っている。
「満信はこのような事態に備えて、拙者を説得し、盟約を結んでいたでござる。それ故、拙者は鱗竜国のために情報を集め、書簡を取り返しに向かったのでござる」
「しかし、イガモンが逃げた時に私は逃げきれず、捕まってしまいました」
そう言って満信が顔をしかめ、こぶしを握る。
そんな満信の背を、イガモンが叩いた。
「ええい! そんなに言うのならば、拙者が厳しく忍びとしての修行をつけるでござる! さあ、立つでござる!」
「ああ、はい!」
満信はイガモンに急かされながら、庭へと出ていく。
私も立ち上がって、バルキモンに声をかける。
「私達も出かけましょう。村の見回りをする時間です」
私とバルキモンは連れ立って、屋敷の門へと向かった。
おわり
―――――
普通のパートナー物だと応募作品の中で埋もれる気がして、違うパートナー制度を考えた結果こうなりました。
特別な血族だけがデジモンと関係性を結んで、それを代々継いでいくという形です。
最初は日本の人間がこの世界に迷い込む展開とか、血族ではない人間がデジモンを得てしまう展開とか考えてたんですが、これやり始めると10万字以内にオチまで持っていけないな、と思い、一国のミニマムな話になりました。あと、デジモンで和物やりたかった。
書いてて、つくづく自分の描写力が落ちているなと痛感しました……。スポーツで言うと筋力的な。
日々書くの大事ですね。そのためには疲れやすい体調を改善しないとな……やっぱり筋力か、運動なのか。