拓也達がデジタルワールドで冒険を繰り広げたあの日から一ヶ月。
拓也はゴールデンウィークの一日をだらだらと過ごしていた。家族で遊びに出かけるのも楽しいが、家でマンガやゲームをして過ごすのも幸せな時間だ。一人で留守番してる時は特に。
しかし、ダイニングに置かれた電話が容赦なく鳴った。
拓也は顔をしかめて、読んでいたマンガを置いた。しぶしぶ立ち上がって、受話器を取る。
「ぁい、神原です」
『拓也か? 輝二だ』
電話越しの声を聞いて、拓也は意外に思った。珍しく気弱な声をしている。
拓也はだらけていた背筋を伸ばした。
「どうした? 急に電話なんかかけてきて」
『いや、拓也なら、ケンカになった時のこと、詳しいかと思って』
「は? どういう意味だよ」
輝二が何を言いたいのか分からず、拓也は少しイラついた声になる。
それを聞いて、輝二が焦ったように言葉を続ける。
『その、実は……輝一と、兄弟ゲンカ、になった』
「お前が!? 輝一と!?」
思いがけない発言に、拓也は大声を上げた。
そしてすぐに笑いだした。
「そっか、初めての兄弟ゲンカってことか! へえ、お前達もケンカするんだなっ」
『何で嬉しそうなんだよ』
輝二はげんなりとしたため息をついた。
拓也に電話をかけてきたのも、拓也に兄弟がいて、兄弟ゲンカの経験者だから、というわけだ。
拓也が笑い声をひっこめて、改めて聞く。
「で? 何でケンカになんかなったんだ?」
事の発端は、双子の産みの親である母親と輝二を会わせたい、という輝一の提案だった。
日課になりつつある毎日の電話で、輝一が話し出した。
「入院後に、母さんに輝二の話はしたけど、まだお互い会ってないだろ。母さんも輝二に会いたいみたいだし、どうかな」
『そうだな。お見舞いに行く時間も俺は昼間だけで、お前の母さんは夜で、すれ違ってばかりだった』
「今度の日曜日は母の日だし、せっかくだからその日にしないか。母さんも、何も予定ないらしい」
『分かった。母の日か……プレゼントとか、持っていった方がいいかな』
「だったら、俺と輝二で、お小遣いを出し合って何か買わないか?」
『俺もそれがいいと思う。母の日なら、やっぱりカーネーションの花束だよな』
「うん。でも、俺はそれよりも、ちゃんと残る物の方がいいと思うんだ」
『何かアイデアがあるのか?』
「アクセサリーとかどうかなって。母さん、ペンダントとか指輪とか、あまり持ってないから」
『さすがに、俺達には高すぎないか?』
「確かに、お小遣いじゃおもちゃみたいな物しか買えないとは思う。でも、初めての輝二からのプレゼントだから、ずっと大切にできる物がいいよ」
『それなら、やっぱり花の方がいいと思う。見栄張って中途半端な物買うより、素直に喜んでもらえると思う』
「中途半端って……俺は輝二と母さんと両方のことを分かってるから、両方にとって一番いい物にしようとしてるだけだ」
『じゃあ、輝一がいいと思うのにしよう。輝一が選べば間違いない。お前の母さんなんだから』
「その呼び方、前から気になってるんだ。俺達の母さんって呼んでほしい。他人みたいに言うなよ」
『前にも言ったけど、俺が「母さん」って呼ぶのはうちの母さんだけだ』
「なら、何で母の日のプレゼントを選ぼうとしてたんだ」
『……今日はこれから棒術の道場に行くから、そろそろ切る』
「そう。じゃあ」
電話を切って落ち着くと、言い過ぎた、という焦りがこみ上げてきた。
冒険を経て、帰ってきてから毎日電話するようになって。
仲が良くなったから、何を言っても相手は分かってくれる気がしていた。
でも実際には、お互いに知らないことがまだたくさんある。それを忘れていた。
明日の電話で謝ろうと思った。
でも、次の日電話は鳴らなかった。
相手はまだ怒ってるのかもしれない。そう思うと、自分から電話をかけるのも怖い。
友達よりずっと近くて、親とも違う、兄弟とのケンカ。
こういう時、どうやって仲直りすればいいのか分からない。
悩んでいるうちに、一日が過ぎ、二日が過ぎた。
困った末にダイヤルしたのは、仲間の家の電話番号だった。
「でもさ、どうして僕に電話してきたの? 拓也お兄ちゃんとこの兄弟の方が、年が近いのに」
輝一の話の後、友樹は不思議に思ったことを聞いた。
友樹にも兄はいるが、十歳近く年が離れている。兄弟ゲンカはするが、友樹のワガママで兄を怒らせるのがほとんどだ。
輝一が頼ってくれたのは嬉しいが、自分に聞かれるのは少し違う気がする。
電話の向こうから、輝一の重いため息が聞こえてきた。
『俺も、最初はそう思ったんだけど……拓也には、輝二が電話かけそうだから』
「確かに、今ごろ拓也お兄ちゃんと電話してるのかも」
言ったところで、友樹はふふっと笑った。
『どうした?』
「あのね、輝一さんと輝二さん、ケンカしててもやること同じなんだなって思ったの」
『輝二、本当に拓也に電話かけたのか?』
「分からないけど、そんな気がする」
友樹が言うと、そうか、と嬉しいのか残念なのか良く分からない返事をしてきた。
『えっととにかく、兄弟ゲンカした時の仲直りのコツとかあったら、教えてほしいんだ』
輝一の言葉に、友樹はうーん、と考える。
「友達とケンカした時とそんなに変わらないよ。どうして兄ちゃんが怒っちゃったのか考えて、ごめんって謝る」
『……それだけ?』
輝一は拍子抜けしたような反応をした。
「うん。でも、兄ちゃんに謝る方が勇気がいるなって思う時ある。僕の兄ちゃんが年上っていうのもあるんだけど、兄弟って友達よりそばにいるから、もし謝って許してもらえなかったら怖いなって思うんだ。うーん、何かうまく言えないんだけど」
『大丈夫。その気持ち、なんとなく分かる』
輝一がふう、と息を吐いた。
『ありがとう。友樹と話したら、気持ちの整理がついた。頑張ってみる』
「うん! 僕、応援してるね!」
友樹との電話が終わった後、輝一は今切ったばかりの電話を見つめていた。母親は出かけていて、家の中は静まり返っている。
もうメモを見なくても、輝二の家の番号は覚えている。すぐにだって電話をかけられる。
でも、言葉だけで自分の気持ちを伝えられるか分からない。
許してもらえなかったらと思うと怖い。でも、このままでいるのはもっと怖い。
顔を合わせて話がしたい。
やっぱり、直接会いに行こう。
輝一は自分の財布に手を伸ばす。
と、玄関のチャイムが鳴った。
こんな時に、タイミングが悪い。顔をしかめながら、ドアスコープで玄関の外をのぞく。
そして目を見開いた。
すぐさまドアを開ける。
「輝二!?」
「突然来たら驚くとは思ったんだけど、直接話がしたくて、来た」
輝二は気まずそうにうつむき、視線を逸らしている。
輝一の方も、心の準備ができておらず、何から話せばいいのか迷う。
「「ごめん」」
二人の口から出てきた言葉は同じだった。
この言葉をきっかけに、輝二が息せき切って話し出す。
「俺、ずっと自分の母さんは俺を生んだ人だけだって思ってた。だから、父さんが再婚した母さんを『母さん』って呼べなくて。でも、やっとあの人が俺の一人きりの母さんだって受け入れられるようになったから、『母さん』って呼べるようになったんだ。……だから、今になって俺を生んだ人が生きてるって言われても、『母さん』とは呼べない。だから、『お前の母さん』とか『俺達の母さん』って言い方になってて。そういうとこ、ちゃんと伝えられてなくて、ごめん」
「俺こそ、俺の母さんを輝二にも大切に思ってほしいって気持ちが強すぎた。俺が思ってることを押しつけるような言い方になってた。輝二には輝二の気持ちがあるのに、考えてなくて、ごめん」
「いいんだ。輝一はずっと俺達の母さんと暮らしてきたんだし、俺が会うのに、色々考えるのは当たり前だ」
「ありがとう」
「これで仲直り、だな」
それで、二人はやっと笑いあえた。
輝一がふと思いついて尋ねる。
「輝二、今日まだ時間あるか?」
「ああ。夕方までに帰ればいい」
「だったら、今から母さんのプレゼント買いに行こう。せっかく輝二が来たんだから、一緒に選ぼう」
輝一の言葉に、輝二は表情を明るくして頷いた。
5月12日の日曜日、母の日。
輝一は母親を連れて、自宅から数駅離れた公園に来ていた。母親には、「見せたいものがある」とだけ言ってある。
「輝一、まだ先なの?」
戸惑う母親の手を引き、輝一は足早に進む。
「もう少しだよ。この角を曲がったところ」
新緑の木々が並ぶ道を右に曲がる。
打ち合わせ通りに、輝二が立っていた。両手を後ろに回して、少し緊張した面持ちで。
母親は息を呑んで、その場に立ち尽くした。輝一はその手を静かに離して、邪魔にならないように母親の後ろに回った。
母親は一度深呼吸した後、そっと口を開いた。
「輝二ね?」
名前を呼ばれて、輝二は緊張しながらも笑顔を見せた。名前を呼ばれたのは、赤ん坊の時以来だ。
今度は輝二が話しかける。
「えっと……久しぶり。輝一から話を聞いて、ずっと会いたいと思ってた」
その言葉に、母親は申し訳なさそうに眉尻を下げた。
「時々、輝一の姿に輝二を重ねてた。輝二も輝成 さんの家で、同じくらいに成長しているんだろうなって」
母親が視線を足元に落とす。
「あなた達を引き離したのも、兄弟がいることを秘密にしてたのも、みんな私達、親の都合。一緒に育ててあげられなくて、ごめ」
「俺達、今日はそんな話をしに来たんじゃないんだ」
輝一が母親の言葉を遮った。
輝二が背中から紙袋を差し出す。小学生の手のひらに乗るくらいの、小さな紙袋。
「今日は母の日だから、プレゼントを持ってきたんだ。輝一と俺とで選んだ。受け取ってほしい」
母親が紙袋を受け取る。セロハンテープの封をはがして、中に指を入れる。
出てきたのは、トンボ玉のペンダントトップと細い鎖だった。
透明なガラスをベースに、赤いカーネーションのような模様が入っている。
二人の気に入ったデザインだったけど、予算より少し高くて悩んだ。それを見かねたお店のおばさんが値引きしてくれて、可愛い紙袋までつけてくれた。
決して高級ではないけれど、沢山の優しさが詰まったペンダントだ。
「すごくきれいね」
母親が泣きそうな顔になりながら微笑む。
ペンダントを持ったその手を、輝二が自分の両手で包む。そっと母親の顔を見上げる。
「俺達の母さん。俺達を生んでくれてありがとう」
その言葉に、母親は自分の二人の息子を抱きしめた。
「輝一、輝二。生まれてきてくれてありがとう」
カーネーションのペンダントが、涙に濡れて光った。
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というわけで、久しぶりの更新は双子の短編でした!
「双子が思いがけずケンカして、困って仲間に相談する」というネタは、このブログを作ってすぐの頃にやったバトンからきています。
このネタを5年も温めてたのかよ、と突っ込まれそうですが、その通りです(笑)
いや、フロ02を完結させたらやろうって思ってたんですよ。そしたら5年も経ってしまったという。
ともあれ、ようやく形にできて満足です。