部屋に足を踏み入れた途端、体がガクリと重くなった。何倍もの重力に、腕が上がらない。足が一歩も進まない。耐えきれなくて、その場に膝を付いた。
重い頭をどうにか回す。ノゾムが俺と同じように座りこんで、歯を食いしばっている。
俺達が入った場所は、式典用の広い空間だった。正方形の部屋はサッカーコート2面分。天井は普通の3倍ある。大抵のデジモンが入れるだろう。
突き当たりは5段の階段になっていて、一番上が小さな舞台のようになっている。
舞台には、粉々に砕かれた玉座。
その残骸の上に座り、俺達を見下ろす人影。
白い長髪にマント。長髪の間からヤギの角が生え、額からも長い黄金の角が伸びている。盾のような歯車がついた黄金の籠手。同じ色の仮面が顔の左半分を覆っている。
「ちっ、ユピテルモン本人じゃなくて分身かよ……!」
俺は舌打ちした。今までの旅で何度も襲ってきた分身の特徴と合っている。
分身がゆったりとした動きで立ち上がった。
「200年程前、古代十闘士はこの部屋でルーチェモンを封印した。お前達の身動きを奪っているのは、この部屋に残る封印への怨念だ」
「分身が、話してる……」
ノゾムが歯の隙間から驚きの声を漏らした。
今までの分身はうなり声一つ上げない、感情のないロボットだった。それが、なめらかに言葉を話している。
仮面に隠されていない、右半分の顔が微笑んだ。
「私は、ユピテルモン本体に生み出された分身の中で、最も本体に近い姿と能力を持っている。自ら思考し、会話することができる。身動きできない状態では話もろくにできまい。楽にしてやろう」
分身が両手を天井に掲げた。
途端に俺達の体が軽くなった。すぐさまデジヴァイスをひっつかみ、ノゾムを背中にかばう。
分身が舞台から階段を下りてくる。
「今のはこの身に取り込んだ闇の闘士の結界の力だ。闇の闘士はユウレイ現象を押さえるのに結界の力を使っていた」
「で、お前はその奪った力で俺達を助けてくれたってわけか。親切な神様だぜ」
敵から目を離さずに吐き捨てる。
分身は微笑んだまま、階段を下りきったところで足を止めた。
「さて、本体に近い分身である私が、この城に配置された理由は二つある。一つは結界の力の調整に知性が必要であるため。もう一つは、ここまでたどり着いたお前達に真実を語るためだ」
「自分から、話してくれるんだ」
「お前達もそれが知りたくてここまで来たのだろう」
ノゾムの警戒した言葉に、分身は偉そうに答えた。
俺は奥歯を噛んだ。知りたいことは確かにある。でもそれを知れば、間違いなくノゾムと俺が傷つく。
この城に入ってから握り続けてきた、ノゾムの左手。俺が右手で握ると、ノゾムも強く握り返してきた。
俺は腹をくくって分身をにらみ、口を開く。
「だったら聞かせてもらうぜ。ルーチェモンの残骸データからノゾムを作った、その理由をな」
分身の笑みが深くなった。
「さすがは神原信也。私が見込んだ人間だ。どこまで分かっている?」
「ノゾムはルーチェモンのデータを元に作られている。この城でルーチェモンの記憶が反応したのはそのせいだ。ノゾムは最初から記憶喪失なんかじゃなかった。ノゾムが作られたのは、俺と出会う直前。そこからの記憶しかないのは当たり前だ」
俺は言葉を切って、大きなため息をつく。
ノゾムが後をひきとって話す。
「僕と出会ってから、信也はスーリヤモンに進化できるようになった。その力の元は僕以外に考えられない。多分……スーリヤモンのスピリットはルーチェモンのデータから作られた。そして僕の中に埋め込まれている」
ノゾムは吐きそうな顔で自分の胸元を握りしめた。
最悪の気分の俺達と反対に、分身は満足そうな笑みを浮かべ続けている。
「なぜ、私が策をろうしてまで力を与えたと思う」
「スーリヤモンの力を使って、十闘士の世界を壊すつもりなんだろ。自分で使ってて、スーリヤモンの実力が気味悪い速度で成長してるのが分かる。このスピリットとユピテルモン本体の力を合わせたら、十闘士を倒して、世界ごとぶっ潰せる」
俺のつっけんどんな答えに、分身はゆっくりと首を横に振った。
「半分不正解だ。確かに、私は十闘士の世界を崩壊させるつもりでいる。しかしその御業を行うのは私ではない。神原信也、お前自身だ」
聞こえた言葉の意味が、一瞬分からなかった。いや、意味を理解しても分からない。
「……は? 何言ってるんだよ。俺がそんなことに手を貸すはずないだろ」
くそっ、声が震えた。ノゾムと握っている手が汗ばんでいる。
俺の動揺を見て、分身が両腕を広げる。
「混乱するのも無理はない。お前が何をなすべきなのか、私が教えよう」
お前に指図されてたまるか。
言い返したかったのに、声が出なかった。
「ことの始まりは、私が病に侵されたことだった。診てくれたユノモン曰く、数年は症状が出ないが不治。十数年の内に死に至ると。
私は自らの死よりも、残される民を案じた。オリンポス十二神族の永きに渡る統治により、民の心は神に頼り切っていた。神あってこその世界だ。私が消えれば、民は生きる気力を失い、衰えていくだろう。それでは哀れだ。
ならば、私が亡くなるより前に民の営みを終わらせてやらねばならない。
心苦しい決断だった。民が最後まで神を信じられるよう、私はユノモンとメルクリモンだけに心の内を伝え、秘密裏にウィルスを撒いた。ウィルスにより大地は砕け、世界は無事に滅びた」
淡々と、時に悲しみさえにじませて分身は語った。民への思いやりが感じられる声だ。
だからこそ、俺は自分に言い聞かせる。目の前にいるのは敵だ、信じちゃいけない。
「しかし、私はもう一つの世界を思い出した。200年前に私達に助けを求めてきた十闘士の世界。一度慈悲を与えたのだから、彼らも私の民だ。私達の世界の民と同じことをしてやらねば、彼らに不公平だ。民への慈悲は平等に与えなければ」
何も考えずに聞けば、筋が通っているように聞こえる。でも、疑って聞けば分かる。
こいつ……狂ってる。
見た目は正常だし、会話もできる。なのに、論理の根っこが壊れてる。
「私は他の神々や民を使ってウィルスを十闘士の世界にもたらした。しかし、大地の仕組みが異なり失敗した。思い悩む私に、ユノモンが情報をもたらしてくれた。神原信也の特性のことを」
スピリットが崩壊するまでデータを引き出してしまう特性。
「お前の存在はまさに光明だった。データを引き出す元を、スピリットから大地に変更する。それだけで、お前は世界を跡形もなく消し去る存在になれる」
褒めたたえられて、こんなにぞっとしたのは初めてだ。
俺の特性は、スキャンで力を得るのとは違う。取り込んだデジコードは消費され、消滅する。本来消費できないデータさえ力に変えられる。
それを足元の大地に使ったら。
ひざをついている床が、今にも崩れ落ちそうな気がした。
「しかし、問題が二つあった。神原信也の意志は強く、私達の側にはつきそうもない。また、もし神原信也が手に入っても、十闘士に倒されてしまっては意味がない。
まず二つ目の問題だ。十闘士に匹敵する力として、ダークエリアから吸い上げたルーチェモンの残骸データを利用し、スピリットを作った。ウルカヌスモンの研究室は破壊されたが、幸いルーチェモンのデータは残っていた。
スピリットは作っただけでは力を発揮しない。文字通り魂を得る必要がある。だからスピリットが自らの意志で動けるよう人形に埋め込んだ。それが、お前が『ノゾム』と名づけた人間だ。
スピリットは神原信也と旅をするなかで感情を持ち、神原信也に同調していった。既に完成に近づいている」
ノゾムの手が、俺の手の中で震えている。
強く握り返しても止まらない。……俺の手も震えてるんだ。
「最後の仕上げは、人形の体からスピリットを取り出すことだ。直接デジヴァイスに取り込み、進化することでスピリットは最大の力を発揮する」
「いい加減にしろ!」
やっと声が出た。俺の怒りを目の前の敵に叩きつける。
「俺もノゾムも、お前の言う通りになんかならない! スピリットは魂だ。体から取り出したら、ノゾムは……ノゾムは死ぬじゃないか! そんなこと誰がするかっ!」
「全力を引き出さなければ、ユピテルモン本体は倒せない。ユピテルモンはユノモンのデジコードを取り込み、神二柱の力を得ている。お前の全力以外の何者も、ユピテルモンにはかなわない」
絶対的な自信のある返事に、俺は言葉に詰まった。
ユピテルモンを倒すために、ノゾムを殺せっていうのか。
話の主導権が、分身に奪われる。
「もう一つの問題、お前にどうやって特性を発揮させるかだが。私の作ったスピリットは強大な力を持っている。『ノゾム』を失った不安定な精神状態では制御できない。つまり、お前が全力を引き出そうとすると暴走する」
「っ!?」
「お前はその力でユピテルモンを倒し、十闘士を倒し、全てのデジモンを倒す。力尽きる心配はない。世界全てがお前の力だ。全てのデジコードを消費し尽くすまで、お前は動き続ける」
汗ばみ、震える手からデジヴァイスが滑り落ちる。堅い床に当たり、ゴトリと転がる。
「全ての者に死をもたらす最期の神プルートモン。それがお前のたどり着く姿だ」
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……気が重い。今回の話を書くために伏線張り続けてきましたが、自分で書いてて重い。
11歳の信也と実質0歳のノゾムにこんな運命を課すユピテルモンは残虐です。ユピテルモン本人は崇高な役目を与えていると思っているのですが。
【今回初登場のデジモン】