「だいすけー、はらへったよ。チョコ! チョコ!」
腕の中から大輔を見上げ、チコモンがおやつをせがむ。
「わーったよ。家帰ったらな」
それを見下ろして大輔が答える。小さくなってもチョコ好きは相変わらずだ。
マンションの階段を上がる。長い夏の日も、もう傾きだしている。今日はふ頭での戦いや情報交換があって遅い時間になってしまった。
足早に廊下を抜けて、自分の家のドアを開ける。
「ただいまー!」
靴も適当に脱ぎ散らかして上がりこむ。
リビングのソファには、姉のジュンがくつろいでいた。背もたれに腕を乗せ、堂々と二人分を占拠している。大輔の方に面倒くさそうに向いて。
顔色を変えて跳ね起きた。
目をこれ以上ないくらいに見開いて、大輔をまじまじと見ている。口まで半分開いている。
その勢いに、大輔も立ちすくんだ。明らかにいつもと違う。ジュンの目は、まるで他人でも見ているみたいで――。
「な、何だよ姉貴、人の顔じろじろ見て」
乾いたつばを飲み込んで、声をかける。
ジュンは大輔を見つめたまま、まばたきした。
その目がだんだんいつものサイズに戻っていく。
「え……ああ、大輔じゃん。おかえり」
そう言って、頭を掻きながらソファに座り直す。
「おかえり、じゃねえよ。今の態度どういうことだよ」
姉に近寄って問い詰める。ジュンは前を向いたままうーん、と首を傾げた。
「分っかんない。何か大輔の顔見たらびっくりしたの」
「はあ? 俺の顔なんて毎日見てるだろ」
「うるさいなあ。そんなのどうだっていいじゃん。それより帰ってくるの遅い! 夕飯待ってたんだから」
最後はジュンの都合で怒られた。いつも通りのやりとりだった。
夕飯の前に個包装のチョコをつかみとって、自分の部屋に入った。
チコモンを机の上に置いて、ビニールの包装をみんな開けてやる。チコモンは大喜びでかぶりついた。手も足もないのに、器用に食べる。
それを見ながら、大輔はさっきのやりとりを思い返していた。一瞬のことだったし、気のせいかもしれない。でも大輔は、事件の前触れのような嫌な予感がしていた。
もやもやする気持ちを抱えながら、ポケットのデジヴァイスとD-ターミナルを机に出す。
D-ターミナルに着信が来ていた。伊織から、大輔達小学生組への一斉メールだった。
『明日なんですが、急用が入ってしまいました。たくやさんたちのこともあるし、集まって話しあわないといけないのは分かっているんですが。
昼にタケルさんが話していた海から上がったい体、ぼくの父の友人だったそうなんです。父のかわりに、おせんこうをあげてきたいんです。わがまま言ってすみません。 火田いおり』
そういえば前に、伊織の父親は亡くなってるって聞いたっけ。代わりに葬式に行こうなんて、律儀な伊織らしい。
『こっちは気にしないで行ってこい』とメールを送ったところで、母親が夕飯に呼ぶ声が聞こえてきた。
「今行く!」
チョコをほおばってるチコモンの頭を軽くなでてから、大輔はダイニングに向かった。
結局その日は、それ以上のことは起こらなかった。
翌日、日曜日の朝。大輔は珍しく朝寝坊していた。十闘士のデジタルワールドから帰ってきたと思ったら、突然のメールでお台場を走り、そのままマリンデビモンとの一戦。ハードスケジュールにさすがの大輔も疲れていた。
が、おかまいなしに叩き起こしにくる人が約一名。
「大輔! いつまで寝てるのよ!」
ジュンがドアを勢いよく開けて入ってきた。大輔のベッドにつかつか歩み寄って、かけ布団を引っぺがす。
「なんだよ朝っぱらから……」
大輔は眠い目をこすって不機嫌な声を出す。
その顔面に、ジュンが電話の子機を突きつけた。
「あんたに電話。急いでるみたいだから早く出てあげなさい」
大輔が子機を受け取ると、ジュンはすぐにダイニングに戻っていった。嵐のような女だ。
「はい、大輔です」
大輔が寝ぼけ眼のまま子機を耳に当てる。
『大輔! 俺だ、拓也だ』
拓也の焦った声が飛び込んできた。それどころか、泣きかかっているようにさえ聞こえる。
大輔の眠気が一瞬で覚めた。背筋が伸び、子機を持つ手に力が入る。
「どうしたんだ!?」
『なんて説明したらいいか俺にも分からないんだ。本当に、何がどうなってるのか』
電話の向こうでブーと音がした。拓也が慌てて小銭を入れる気配。遠くから、電車のアナウンスが聞こえてくる。
「お前、公衆電話から話してるのか? 何で家じゃないんだ?」
『……追い出された』
「は?」
『朝起きたら、いきなり家族に家を追い出されたんだ! 『お前は誰だ? この家から出てけ』って! 俺、デジヴァイスと財布ぐらいしか持ってこれなくて。お台場に行こうかとも思ったんだけど、そこまでの金を持ってなくて』
「分かった。落ち着けって」
大輔はゆっくりと呼びかけた。拓也が黙って、ため息をつくのが聞こえる。
「分かった。迎えに行く。詳しい話はそれから聞くよ。今どこにいる?」
『東急大井町線の、自由が丘駅』
「よし。じゃあそこで待ってろよ」
通話を切る。横では、パートナーデジモンが大輔を見上げていた。一晩寝てチビモンに戻っている。ただごとでないのを察して、真剣な顔だ。
「だいすけ、いまのたくや?」
「ああ。すぐ行こう」
大輔は素早く着替えを済ませて、デジヴァイスとD-ターミナルをポケットにつっこんだ。財布はポケットに入れる前に中身を確認。これだけあれば二人分、自由が丘まで往復できる。
ダイニングに飛びだすと、家族が驚いて大輔を見た。
「大輔!? どこ行くの! 朝ごはんは!?」
「いらない!」
母親の質問に短く答えて玄関を開ける。
チビモンを肩に乗せて、大輔は駅まで全力で走った。
電車に乗ってからD-ターミナルを見ると、メールが十通近く来ていた。大輔が家から駅に来るまでの短い時間にだ。
目を通すにつれて、大輔の表情はけわしくなっていく。
タケルから、京から、ヒカリから、太一から。
輝二について、純平について、泉について、友樹について。
人は違っていても、共通して言えることが一つ。
十闘士のみんなが、全員、突然家を追い出された。まるで他人を家から追い出すみたいに。
そして、十闘士のみんなから選ばれし子ども達に連絡が来て、それぞれ合流しようとしている。今の大輔と同じように。
大輔の脳裏に、昨日のジュンとのやりとりが思い浮かんだ。やっぱり、あれは気のせいじゃなかった。
「ダスクモンが言ってた『明日が楽しみ』って、このことなのか……?」
つぶやきながら、大輔はD-ターミナルを握りしめた。
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事態が大きく動きました。具体的な状況や分析は次回。
公衆電話を使う機会も、最近はめっきり少なくなりましたね。電話が切れる直前に鳴るブーっていう音も、知らない人が増えていくんだろうなあ。